第27話


         ※


 今度は俺が、激昂する番だった。

 自分でも、何と言ったのかは分からない。だが、俺はこの手紙の内容を否定したかった。


 俺は、復讐のためにどんな冷酷な手段でも取るような殺人鬼だ。そんな人間に惚れただの好きだなどと、甘い言葉が似合うはずがあるものか。


 しかも、そんな俺のために命を散らす、だと? ふざけるな。守る側と守られる側が逆転している。俺は――葉月を守りたかったのに。


 その時、はっとした。俺が捨てた、というより理解する余地のなかった『恋愛』という概念が、俺の胸の奥底で唸りを上げている。

そうか。俺も葉月のことが好きだったのかもしれない。いや、現在進行形で、好きだ。


 俺の戦う目的は、今まではテロリストを狩り、一般人、特に俺たちと同年代の若者たちに害が及ばないようにするためだった。

 だが、今回は違う。俺は葉月を酷く傷つけ、彼女の父親を死に追いやった悪魔を打ち倒さねばならない。そうすることでしか、彼女の思慕の念に応えられない。


 俺は一旦、ぐしゃぐしゃに丸めた手紙を開き直し、折りたたんで封筒に入れた。


         ※


 いつもの寺中央部、畳の間に入ると、そこには憲明、和也、ドクがいた。キッチンから何かを炒める音がする。エレナが軽食を作ってくれているのだろう。腹が減っては戦はできぬ、というわけか。


「来たな、潤一くん」


 気さくな風を装って、ドクがこちらに顔を向ける。正座しているドクに対し、残る二人はあぐらをかいて対峙している。俺も、その二人に倣った。それを見届け、俺に頷いてみせてから、ドクは語り出した。


「チームは解散だ」

「え?」


 そのあまりの唐突さに、和也が声を漏らした。


「葉月が殺されかけたんですよ⁉ リベンジしなきゃ!」

「じゃあお前に出来るのか、そのリベンジとやらが」


 冷え切った憲明の言葉に、沈黙する和也。

 ドクはしばし俯いていたが、意を決したように顔を上げ、俺たち三人の顔を順々に見回した。


「リーダーを失った今、もはや我々はチームとは呼べない。この場に冷静な統率を図ることのできる人物がいたとしても、人数不足だ。共同で事に当たっても、佐山博士を止めることはできない」


 俺には実感がなかったが、俺がチームに入るまでは、極めて小規模な作戦しか展開できなかったと聞いている。それはそうだ。頭数の問題もあるし、RCのような強大な力を使えるか否か、といった問題もある。


 そんな窒息状態を打ち破ったのが俺、佐山潤一だったわけだが、それでも勝利し得ない相手、親父が現れてしまった。他の皆の得物で倒すことができないのも、既に確認されている。


「憲明くん。私の旧友で傭兵を探している者がいる。特に、実戦ではなく市街地での戦闘訓練の監督役を任せたいと。君なら十分に実力を発揮できるだろう」


 それから、


「和也くん。君はここに残ってもらって大丈夫だ。狙撃だけのシンプルな、小規模な作戦展開ならできる。君の腕を今後も役立ててもらえると助かる」


 そして、


「潤一くん。君は普通の高校生活に戻るんだ。君にはまだ、退き返せるだけの退路がある。身分詐称は必要になるがね」


 俺たちは、沈黙した。皆、自分の安全とリスクを天秤にかけているのだろう。

 夜の夏の虫の音が、畳の間にも聞こえてくる。


 そんな中、自分でも気づかないうちに、俺は立ち上がっていた。


「俺は戦います」


 これには流石のドクも目を丸くした。


「おい、何を言ってるんだ潤一?」


 声を上げたのは憲明だった。


「潤一、お前、今度こそ殺されるぞ!」

「構わない」

「か、構わないって……。一体どういう了見だよ? この期に及んで死に急ぐ馬鹿があるか!」

「俺はお袋と葉月の仇を討つ」


 背を向けたまま、しかし決然と答えた俺の言葉に、憲明は黙り込んだ。何かに圧倒されていたのかもしれないが、他人のリアクションなどどうでもいい。


「憲明、和也、世話になったな。それに、エレナも」


 料理の手を止め、こちらを覗いていたエレナに、俺は頷いてみせる。


「三人は、ドクの指示に従ってくれ。俺は俺一人で片を付ける。生憎、無策ってわけじゃない。ドク、お願いがあります」

「何かね?」


 静かな口調に緊張感を漲らせ、ドクは問うた。


「父の通信を傍受して、次に待ち伏せできそうな場所を教えてください。それから、格闘戦の稽古をつけてください。お願いします」

「ふむ」


 きっと葉月の手術で精神的に参っていたのだろう、ドクは無精髭の生え始めた顎を擦り、黙考した。


「皆、俺にはついて来ないでくれ。これは俺と親父の勝負だ。そもそも、皆を巻き込むべきではなかったんだがな」

「巻き込むだなんて、そんな!」


 和也が慌てて俺の前に出張ってくる。


「僕たちだって援護するよ! そうでなかったら、せめて勝負の行方を見させてほしい」

「駄目だ。親父がどんな装備をしているのか、完全に分かったわけじゃない。流れ弾を喰らう可能性だってある。今は、俺一人で戦わせてくれないか」

「そうだな」


 憲明が答える。その声は、実に久々に聞こえたような気がした。


「だが、せめて戦況の分かるところにいたい。最寄の防犯カメラの映像を傍受して、それをこの寺で見させてもらおうと思うんだが、問題あるか?」

「ない」


 まあ、問題どころかまるっきり意味そのものがないような気もするけれど。


「皆の意見は聞かせてもらった」


 ドクはさっと立ち上がり、和也に代わって俺の前に立った。


「だが、こちらからもお願いがある」

「何です?」

「エレナの手料理だ。食べてやってくれ」


 事ここに至り、ようやく俺は空腹を感じた。きゅるるるる、という、情けない腹の虫の声がしたが、誰も笑いはしなかった。

 俺はドクの後ろから様子を窺っているエレナに向かい、軽く微笑んで見せた。


         ※


 翌日早朝。

 朝霧が立ち込める、肌寒い日だった。俺はいつものシャツにスラックス姿で、ドクは袈裟を纏った出で立ちで、寺の裏、竹林のそばの空き地に立っていた。その間、約十メートル。

開け放たれた障子の向こうでは、憲明、和也、そしてエレナが固唾を飲んで見守っている。


「それではドク、よろしくお願いします」

「ん」


 深々と頭を下げるドク。彼が顔を上げ、掌を合わせた格好に入ったところで、俺は一気に距離を詰めた。十メートルの距離は呆気なく消滅し、俺の拳がドクに握り込まれる。


「潤一くん、RCを使わないつもりなのか?」

「ええ」


 さも意外そうなドクに向かい、俺は目線だけで頷いた。


「そうでないと駄目なんです。俺の作戦を成功に導くには、RCの起動はまだ早い」

「承知した」


 するとドクは、握った俺の手を思いっきり捻った。腕を折られないよう、俺も回転して着地。そこにドクのミドルキックが炸裂する。


「がっ!」


 空腹で訓練に臨んだのは賢明だったようだ。一発で嘔吐直前まで打撃を受けるとは。

 俺はかぶりを振り、パチンと両頬を平手で叩いた。


「まだまだ、これからです!」


 それから先、俺は殴られ、投げられ、蹴り飛ばされた。まるであの日、初めてここを訪れた時のように。

だが、大きく異なる点が一つある。ドクが、ゼイゼイと息を切らしているのだ。

 

 これにはギャラリーも驚いたらしい。視界の隅で、三人が目を丸くしているのが見える。


「潤一くん、もう休むんだ。私を殺したいというのなら別だが」

「だ……誰もあなたを殺そうだなんて……。でも、俺の限界はまだ先です。付き合ってください」

「承知した」


 瞬く間に距離を詰めるドク。防戦一方の俺。と見せかけて、俺はしゃがみ込み、足払いをかけた。それを読んで跳躍するドク。落下しながらの回し蹴りを見舞ってくる。それを俺は、泥の中を転げ回って回避、すぐに立ち上がってファイティングポーズに戻った。


 こんなことをいつまで続けていただろう。俺の感覚器官は、その全てがドクの存在を中心に稼働していた。視界にブレを感じながらも、俺は拳を振りかぶる。しかし、それを肘でガードしたドクに、勢いよく跳ね飛ばされてしまった。思いっきり尻餅をつく。


「そこまで!」


 再び掌を合わせ、叫ぶドク。

実際のところ、最早俺に立ち上がるだけの体力は残されていなかった。


「よく戦った、潤一くん」


 掠れた音を喉から発する俺。


「今日はもう休むんだ。訓練を始めて、もう五時間になる」


 と、いうことはちょうど昼時か。


「私も君の作戦とやらを信じよう。だから休んでくれ。私とて、急所を外しながら戦うのは神経を使うのでね」


 荒い呼吸の中で、ドクはそう告げた。


 その時だった。俺がドクの腕に引っ張り上げられていたところ、タタタタ、という足音がした。姿を現したのはエレナだ。


「どうやら緊急事態のようだ。皆、通信室に行くぞ」


 ドクが場を仕切る形で、訓練は終了した。

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