第18話


         ※


 俺がアジトに戻った時、食堂はがらんとしていた。メモ書きがあり、憲明は現場に、和也は狙撃ポイントを探しに市街地に向かったとのことだ。と、いうことは。


「残ってるは葉月か」


 俺は胸中がもやもやしていて、誰かと話をしないと自分が押し潰されそうだった。

 エレナがあれほど、俺たちのことを心配してくれていたとは。意外だった、と言ってしまうと彼女に申し訳ないのだが、それでも俺の心に与えた影響力は凄まじかった。もちろん、ドクの過去のこともある。情報統括部の二人にさえ、あれほどの過去、あれほどの思いがあったとは。


 俺にはRCがあるから別枠としても、俺が上手く立ち回らなければ葉月も憲明も和也も危険な状況に置かれかねない。それに、相性の問題を差し引いても、土田との戦闘でRCの限界まで追いやられたことも事実だ。


 いつか、戦場で死ぬかもしれない。それはごく当たり前のことだ。しかし、それを自覚するのに俺は二ヶ月もの月日をかけてしまった。これでは、エレナに申し訳が立たない。


 必ず、生きて帰らなければ。全員で、最悪でも軽傷で。


 こんなことを語り合うのは、馬鹿げているだろうか。当然だと一刀両断されて、葉月に追い返されるのがオチだろうか。それでも、俺は葉月と話がしたかった。同性の人間と違い、異性と話をすればまた違った安堵感を得られるかもしれない。


 そんな甘え心もあって、俺の足は葉月の部屋へと向かっていた。食堂でココアでも飲みながら、ゆっくり話をしよう。

 そんなことを考えながら、俺は葉月の部屋の前に立った。ノックしようと、右手の拳を上げる。しかし、葉月には既に話し相手がいた。


「だからね、今回もきっと、大丈夫だから。安心して頂戴」


 ん? 誰だ? 誰と話している? それに、こんなに優しい葉月の声を聞いたのは初めてだ。まるで、ふっと消え去ってしまいそうな大事な人に、ゆっくり語りかけているような口調だ。


 その時になって、ようやく気づいた。葉月の部屋のドアが、僅かに開いている。だからこそ、今の声が聞こえてきたのだ。


 話し相手がいるなら、俺が介入するわけにもいくまい。俺はそっと、その場を離れようとした。が、しかし。

 俺の足は、根っこが生えたようにその場から動こうとはしなかった。

 動けなかったのだ。俺は葉月の過去をほとんど知らない。それは、憲明や和也に関しても言えることだ。

 大人に恨みを抱くようになったきっかけは知っている。だが、それ以外のことを知るのに、二ヶ月はあまりにも短すぎた。


 ええい、乗り掛かった舟だ。そもそも、自室のドアをきっちり閉めなかった葉月も悪い。

 俺は挙げたままだった拳を振るい、コンコン、とドアをノックした。ドアの向こうで、葉月の身体がぴくり、と震えるのが分かる。


「俺だ。佐山だ。さっき玄関から入るのに、声をかけたはずだけど」

「ああ、佐山か。済まない、ちょっと、な」

「邪魔ならすぐに出ていくよ。ただ、少し話をしたいと思って」

「いや、私も話し相手が欲しかったところなんだ。佐山、お前こそよければ、入ってくれ」


 全く片付いてはいないがね。そう言って、葉月はドアに近づき、こちらへ押し開けた。

 いくら朴念仁とはいえ、俺だって年頃の男子である。女子の部屋に入るのは多少気が引けた。が、相手は葉月だ。今更、過去や秘密を共有するのに躊躇いを感じるほど、薄っぺらい仲ではない。

 俺は小声で『失礼しまーす』と言って、身を屈めながら入室した。


 葉月の部屋は、俺の部屋と同じくらい殺風景だった。壁にも天井にも、ポスターや縫い包みの類は見受けられない。目を引くものとしては、ベッドの頭の方にキャスター付きのラックが一台。だいぶスカスカだが、数冊の冊子のようなものが挟まっている。厚くはないが、作りはしっかりとしている。

 葉月が声をかけていたのは、そのうちの一冊だったのだ。それはラックから取り出され、葉月のデスクの上に置かれている。


「私が誰と話をしているか、気になっているようだな、佐山」

「え? あ、そりゃ、まあ……」


 図星だ。葉月の指摘を否定する理由はないが、『それを知ってしまっていいのか』という葛藤は、俺の胸中で燻ぶっている。

 誰かの何かを知る、ということは、何らかの責任を共有することだと俺は思っている。その片棒を担ぐのが俺でいいのだろうか?


 しかし葉月は、気楽な様子で回転椅子から腰を上げ、俺に座るように促した。俺は再び、『失礼しまーす』と呟いて、デスク上の冊子、厚めのアルバムに目を落とした。


 そこに写っていたのは、葉月、憲明、それに見知らぬ少女が一人。撮影された日付からして、和也はまだチームに入っていなかったのだろう。


「葉月、この女の子は……」

「坂井朋美。私の幼馴染だ。去年の秋の作戦で死んだ」

「なっ!」


 俺は思わず顔を上げた。


「し、死んだ、って……!」

「私は事実を端的に述べただけだ」


 いやいや。そんな淡白な口調で言っていい事実ではないだろう。


「葉月、お前はこの子、朋美と仲が良かったんだろう?」

「当然」

「それを、えっ? 死んだ? そんな簡単に?」


『そんな簡単な言葉で片づけるな』――俺が言いたかったのは、つまりそういうことだ。しかし葉月は、そんな俺の戸惑いを一蹴する。


「私が誤射して彼女を死なせた。それが事実だ」

「さっきから事実、事実って、あんまりじゃないか! 友達が死んだんだろう?」


 すると突然、葉月は両の掌をデスクに叩きつけ、思いっきり声を荒げた。


「そうやって意識の外に追いやらなければ、辛い思いを引きずるだけだろう⁉ 私もそうだし、朋美だって救われない!」


 今更ながら、俺はこの場に憲明や和也がいないことを幸いだと思った。

 これは事件だ。葉月の心の奥底にあるものに、俺が不用意に手を触れてしまった。結果、葉月は激昂してしまった。こんな場面、他のメンバーに見せられたものではない。


 葉月は一旦振り返り、ぽすん、とベッドに腰を下ろした。


「朋美はいい子だった。殺めた相手がテロリストであっても、その場で両手を合わせることを忘れなかった。憲明は呆れていたようだが」


 まあ、彼の性格からしてそうだろう。だが今は朋美の話だ。


「朋美はどうして、葉月のいるこのチームに入ったんだ?」

「両親からの虐待に耐えかねたんだそうだ。私が正体を明かした時、つまり自分もまた、テロリストの断罪に関わっていると告げた時、朋美は言った。自分にも戦わせてくれと。よくよく話を聞けば、父親が暴力的になったのは、麻薬に手を染めたからだったらしい。その点、和也に似ているな」


 そうだったのか。だからエレナは。


「俺が、全員死なずに帰ってくると言った時に、あんな複雑な顔をしていたのか」

「ん? どうした、佐山?」

「いや、何でもない」


 すると葉月は、ふっと短いため息をついて語り出した。


「あの日の作戦……。去年の夏の終わり頃のことだ。私と憲明、朋美の三人は、小さな暴力団の事務所を潰しに行った。部下の大半が出かけるという情報をドクから受け取ったのでね、幹部だけでも仕留めようと思ったんだ。結果は、私たちの敗北だ」

「敗北?」

「死者を出した。朋美だ」

「あ、ああ……」


 俺の胸中は荒れに荒れた。これ以上のことを聞いてもいいのか、会話を打ち切って葉月の過去から目を背けるべきなのか。

 しかし、葉月の言葉には確かな重みがあった。それがまるで、足枷のように俺をこの場に留めている。


「私がもっと冷静で性格な判断ができて、射撃の腕が良かったら、朋美が死ぬこともなかったはずなんだ」


 それは詭弁だと、俺は言いたかった。人間、死ぬときは死ぬものだし、テロリスト共が命を落とすのは、彼ら自身が人命を顧みない野蛮人だからだ。


 確かに、朋美を死なせたのは葉月の放った銃弾かもしれない。第一、葉月の友人なのだから、坂井朋美という女性は、テロリスト共とは一線を画す、善なる存在だったはずだ。それなのに命を落とした、ということは、誰のせいでもない。運が悪かったのだ。

 俺の母や、今までの戦争、テロ、事件事故で亡くなった人々のように。


 俺は何とか言葉をまとめ、葉月の方に手を差し伸べた。


「なあ、葉月――」

「止めてくれ、佐山」


 葉月は俯いて、『私のせいだ』と数回繰り返した。こうまで頑なになられては、俺も持論の展開ができない。

 ただ一つ。俺は葉月に、自分を責めることは止めてほしかった。少なくとも、今俺たちは生きている。それを否定する者がいれば、どんな相手だろうと返り討ちだ。そしてダリ・マドゥーも俺の親父も、必ず仕留めてやる。


 しかし、今の葉月にどう声をかけたものか。その時だった。


《こちら憲明。帰還した。和也も一緒だ。玄関を開けてくれ》


 不意に、足枷が解かれた。俺は葉月を再度一瞥してから、インターフォンのある一階へと向かうことにする。逃げ出せた、と思ってしまったのは、俺なりの逃げだろうか。

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