第17話【第三章】

【第三章】


 それから数時間ほど、俺はドクとエレナの情報収集に付き合った。ちょうど、父とその部下との間で、会話が為されていたのだ。

 こちらが盗聴していることは、相手も承知しているだろう。ガセネタを掴まされ、最悪罠に嵌められる可能性もある。

 

 だが、情報の収集先は、土田の情報痕だけではない。飽くまでそれは、情報源の一つだ。

 情報痕から得られた通信を聞きながら、ドクは満足気に頷いた。


「間違いない。ダリ・マドゥーの居場所が分かったぞ。情報痕を回収できたお陰で、かなり確度が上がったな。潤一くん、車を回してくれ。エレナ、君はこの録音テープを持って、潤一くんと共にアジトへ向かうんだ」


 俺とエレナは、同時に頷いて見せた。


         ※


 アジトに到着した時、時刻は正午を回っていた。

 

「俺だ。佐山潤一だ。エレナも来てる。入室を要請する」


 入り口前のパネルに手を遣りながら、声を張り上げる。それに返ってきたのは和也の声だ。


「ジュン? 分かった。今開けるよ」


 その声からは、未明に行われた反省会の暗さ、心理的なべたつきは感じられない。どうやら、少なくとも和也はいつもの調子に戻ったようだ。


 俺が玄関ドアを抜け、食堂に入ると、そこには葉月と和也がいた。葉月の左頬の腫れは、もうだいぶ引いている。そんな葉月に、和也は静かな声で話しかけていた。

 憲明がいないのは、台所で昼食の準備にあたっているからだろう。俺は朝から何も食べていなかったことを思い出し、急に空腹感を覚えた。

 が、今はそんなことを言っている場合ではない。


「皆、聞いてくれ。ダリ・マドゥーの居場所が分かったぞ」


 この言葉に対するリアクションは、やはり三者三様だった。


 葉月ははっと顔を上げ、和也は『何だって?』と素っ頓狂な声を発し、憲明は台所と食堂の境目の暖簾を押し上げて顔を出した。その中で最初に落ち着きを取り戻したのは、葉月だった。


「昼食は後回しだ。今は潤一の話を聞こう。皆、会議室に向かってくれ」

「りょーかい!」


 和也はひょうきんな声で敬礼し、憲明もその巨体には似合わないエプロンを外し始めた。

 エレナと並んで、憲明の料理の腕も大したものだが、今はお預けをくっても仕方がない。俺はエレナを見下ろし、彼女が頷き返すのを認めてから、和也、葉月に続いて反対側の廊下へ向かった。


         ※


《では佐山博士、これ以上はマドゥー一味とは距離を置く、と?》

《そうだな。私の研究は実戦テストを残すのみだし、日本におけるマドゥーの縄張りも確保された。これ以上の馴れ合いは、互いに好ましいものではないだろう》


 俺は音のないため息をつきながら、親父の言葉の意味を考えていた。『私の研究』とは、一体何だ? 


《連中、一体どう出ますかね》

《ああ、彼らか。もし息子が、何らかの諜報機関に通じていたとすれば、私よりも先にマドゥーを叩くはずだ。私はいつでも拠点を移動させられるが、マドゥーはそうはいかない》

《そうですね。では博士、次の実験のお時間です》

《了解した》


 そこで、通信は切れた。


「以上が、今朝ドクがキャッチしたマドゥーの情報だ」


 俺は葉月の代わりに皆の前に立ち、解説役に回っていた。


「つまり、マドゥーの居場所はもう確定、ということでいいんだな?」


 腕組みしながら問いを投げる憲明。俺はそれに頷いてみせてから、説明に補足した。


「マドゥーの一味は、中心市街地の雑居ビルの一角に陣取っている。五階だ」


 地図をテーブルの上に広げ、指をさす。


「次の麻薬取引は明後日だから、今日か明日には強襲をかけたい。皆、どう思う?」

「佐山、お前は大丈夫なのか?」


 顔を上げると、ちょうど葉月と目が合った。サングラスの向こうで、微かに瞳が揺れている。


「大丈夫、って、何が?」

「だって、その……。今回は別としても、いつかお前は自分の父親と戦うことになるかもしれないんだぞ? 平気なのか?」

「そう、だな」


 俺は腰に手を当て、天井に視線を泳がせた。そのまま、言葉を紡ぐ。


「親父だろうが誰だろうが、母さんを殺した奴にかける情けはない。いざとなったら、俺が自分の手で仕留める。もし、皆に躊躇う余裕があったら、引き金を引かないでくれ。これは俺と、親父の話だ」


 顔を下ろし、俺はエレナを含めた全員をぐるりと見まわした。和也がごくり、と唾を飲む。俺はそんなに大したことを口にしただろうか?


「話を戻すぞ」


 地図を見下ろしながら、憲明が言った。


「このビルの五階だが、最近になって改修工事が入ったそうだな?」

「ああ。このガラス張りの壁面は、防弾仕様になっている可能性が高い」


 俺の声に反応したのは、やはり和也だった。


「えー! それって、狙撃用ライフルじゃ役に立たない、ってこと?」

「お生憎だな、和也」

「そんなこと言わないでよ、ノリ! 僕の出番がなくなっちゃう!」

「そう言うだろうと思ったよ、和也」


 俺は和也の肩に手を載せた。


「ドクに、対戦車ライフルを一丁、注文しておいた。それなら、仮にこの階層の壁面が防弾仕様でも撃ち抜ける」

「マジで? やったあ! これで葉月の援護ができるよ!」


 嬉々として葉月に向き直る和也。葉月はそれに曖昧な笑みを浮かべる。

 俺は『空気を読むのが苦手だ』という自覚の元に、葉月の胸中を察しようとした。が、間髪入れずに憲明が声を上げた。


「和也の援護はそれでいいとして、俺は反対側の壁面から、清掃用のゴンドラで五階まで上がろうと思う」

「ほう?」


 俺が首を傾げてみせると、憲明は淡々と説明した。


「潤一、葉月、お前たち二人が組んで、入り口から突入しろ。俺はビルの背面にある電気設備をいじって、緊急避難誘導灯とスプリンクラーを作動させる。これで、民間人は極力巻き込まないようにできるはずだ」

「分かった」


 すぐに振り向く葉月。和也を避けたのだろうか? 何故だろう。いや、今それを考えるのは不適切だ。作戦立案に集中しなければ。


「今回の作戦は、マドゥー一味の殲滅にある。連中がこのビルに潜んでいるのは、夜間より日中だ。可能であれば、明日にでも突入を敢行したいと私は思う。皆はどうだ?」


 葉月がテキパキと場を仕切る。いつもこんな感じでいてくれるとありがたいのだが。

 取り敢えず、この場にいる者たちの中で、異を唱える者はいなかった。俺は葉月に大きく頷いてみせてから、そばに控えていたエレナを見下ろした。


「エレナ、今の会話、録音したか?」


 こくこくと頷くエレナ。


「分かった。今日も寺まで送って行こう。さっきとは違う車の方がいいな」


 するとタイミングよく、憲明が俺に車のキーを放って寄越した。


「ありがとう、憲明」

「早く戻れよ、潤一。昼飯は皆で食おう」

「了解だ。行くぞ、エレナ」


 俺はそっと、エレナの背中を押した。


         ※


 寺に着いてから気づいたことだが、今日は土曜日だった。道理でバイパスが空いていたわけだ。


「じゃあな、エレナ。ドクによろしく」


 こくん、と頷くエレナ。しかし、その首肯の仕方が俺には気になった。口を利けないからということもあり、俺たちはエレナの感情を、その頷き方で察することができる。まあ、少しは。

 今は、その頷き方に躊躇いというか、頷いていいのか否かという葛藤があるように見えたのだ。


 何事だろうか? いや、今はそういった雑念に囚われている場合ではない。でも、実戦を経験していないエレナこそ、俺たちのことを余計に心配してしまうきらいはあるのかも。

 無傷で帰って、エレナを安心させてやらなきゃな。そう思いながら、寺の裏の駐車場に車を停め、別な車に乗り替えようとした、その時だった。


「!」


 何者かに背後を取られた。しかし、敵意や殺意は感じられない。小さな気配だ。

 俺が訝しんでいる間に、気配の主は俺の背中に思いっきり抱き着いた。


「エレナ……」


 背中に押し当てられる、柔らかな温もり。俺の腹部に回される、華奢な両腕。こつんと背中に押し当てられる、頭部のやや固い感覚。


「ど、どうしたんだよ?」


 額を俺の背中に擦りつけるエレナ。どうしたんだと尋ねながらも、彼女の懸念、心配は、否応なしに俺の心に染み込んできた。


「心配すんなよ。確かに掠り傷はあったかもしれないけど、今まで全員、無事に帰ってきただろう?」


 そう言って宥めるものの、エレナは腕に込める力を強めるばかり。

 俺はそっとその腕を解き、振り返った。軽く腰を折って、エレナと目線を合わせる。


「大丈夫だよ。俺たちは、お前とドクのくれた情報に基づいて作戦を立てて戦ってるんだから。だから、大丈夫だ」


『大丈夫』という言葉を繰り返して、俺はエレナの充血した目を覗き込んだ。そしてそっと、彼女の頭部に手を遣った。くしゃくしゃにしてしまうのは躊躇われたので、そっと撫でるに留める。


「作戦は明日だ。全員で、必ず戻るよ」


 そう言って、今度こそ俺は車に乗り込み、寺をあとにした。

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