第15話


         ※


 俺たちがアジトに帰り着いた時、時刻は午前二時を回っていた。いつもなら葉月が音頭を取り、反省会となるところだ。しかし、今は憲明が不在である。土田の遺体を、ドクの元へ届けに行ったのだ。

 土田の身体に情報痕はあるか。あるのならば、そこから何らかの情報を得られるか。それを、ドクに確認してもらわなければならない。


 食堂に集合した俺、葉月、和也の三人は、三者三様でこのじっとりとした空間を守っていた。俺は俯き、向かいの席に並んで座った二人に、時折視線を飛ばす。


 葉月は保冷剤を左頬に当て、テーブルのどこかを一心に見つめている。いや、目を見開いているだけで、視覚情報は何も得られていないだろう。

 対する和也は、両腕を後頭部に回し、背もたれに重心を預けながら、椅子を揺すっていた。その度に椅子の足先が床にぶつかり、カタン、カタンと音を立てる。口をとがらせているのは不機嫌さの表れか。

 俺は肘をテーブルに当て、指先を組んでその上に顎を載せていた。今日の戦闘における要所要所を思い出し、ため息をつく。本当に、俺たちは何をしていたのだろう。


 俺がふと時計に目を遣り、時刻がちょうど三時を指しているのを確認した時。タイミングを合わせたように、アジトの玄関先でドアがスライドする音がした。

 俺と葉月は腰元の拳銃に手を遣り、和也はテーブル端の小型ディスプレイを取り上げた。玄関前の監視カメラの映像が映っているはずだ。


「撃つなよ、俺だ」


 聞こえてきたのは、紛れもなく憲明の声だ。同時に、和也はディスプレイをテーブルにぱたん、と置いた。


「ドクとエレナは、早速土田の遺体の解析に入った。俺たちも俺たちの話をしねえとな」


 そう言って、憲明は俺の背後に回り込み、俺の隣に腰かけた。


「潤一、気分はどうだ?」

「大丈夫。だがあんまり眠くはないんだ。今日の反省会には最後まで付き合うよ」

「分かった」


 すると、憲明は胸の前で腕を組み、長く息をついてから口を開いた。その視線は葉月に注がれている。だが、葉月は保冷剤を片手に、項垂れたまま。


「葉月、さっき俺がお前をぶったことは謝る。悪かった」


 姿勢を正し、頭を下げる憲明。すぐに上体を起こし、また腕組みの体勢に戻る。そして、『しかし』と前置きしてこう言い放った。


「その件は今日の主題じゃない。和也、葉月。単刀直入に言うが、お前ら、よほどのアホだぞ」

「突然何だよ、ノリ!」


 身を乗り出したのは和也だ。いつの間にか、顔を茹った蛸のように真っ赤にしている。


「僕はジュンを援護するために撃ったんだ! 実際、土田を負傷させることができたじゃないか!」

「つまりお前は、問題点は自分の発砲にあったと自覚しているわけだな?」


 抑揚なく、まるで機械のように語る憲明。すると和也は、ぐっと息を飲んだ。


「暗視ゴーグル越しにとはいえ、俺にははっきり見えたぞ。土田が躱し、潤一が躱さなかった場合、あの弾丸は潤一の足に当たっていたはずだ」

「それは結果論だよ!」

「事実は事実だ」


 憲明の言葉には、一部の隙も容赦もなかった。


「さしずめ、お前は葉月にいいところを見せたかったんだろ? それで、無茶な狙撃を行った。狙撃手がこれじゃあ、皆おちおち戦っていられねえってもんだ」

「おい憲明……」


 俺は和也を庇おうとした。しかし、確かにあの時、あの場所で決行された狙撃は無茶だった。それは認めざるを得ない。


「それに葉月、お前も随分と派手なミスをしてくれたな」


 じろり、と音がしそうな勢いで、憲明は葉月に視線を移した。


「情報源になるであろう人物を射殺。これじゃあ黒幕に辿り着くのは無理だ。土田が生きていれば、拷問でも何でもやって情報を吐かせられただろうに」

「そ、それは佐山が!」


 今度は葉月が身を乗り出した。ぺたり、と保冷剤がテーブルに落ち、まだ腫れの引かない左頬が露わになる。

 しかし、憲明は軽くかぶりを振ってこう言った。


「潤一だったら大丈夫だったろうさ。まだRCは続いていたし、俺の位置からでも援護射撃はできた。それこそ、土田を殺さずに行動不能に陥らせるくらいは俺にだってできたんだ」

「で、でも!」

「でもじゃねえ。確かに葉月、お前の方が土田からは近かった。だが俺の方からだって、遮蔽物は少なかったんだ。俺に任せておけば、土田を半殺しにはできた」


 憲明の言葉はどこまでも冷徹だった。こんなに落ち着いて状況を把握し、分析し、その結果の責任を説明する。それは俺にだってできないことだ。


「全く、とんだ痴情のもつれだな。この会話を聞いたら、ドクだって頭が痛くなるに違いねえ」

「え?」


 そんな間抜けな声を上げたのは、誰あろう俺自身だった。『痴情のもつれ』ってどういうことだ? 和也が葉月を慕っている、ってだけじゃないのか?


 すると、憲明は再び長く息をついて、俺の肩に手を載せた。


「まあ、潤一は両親を亡くしてまだ二ヶ月だからな。周囲の人間の心情を推し測れ、ってのは酷だろうが……」

「それって、俺が空気を読めてない、ってことか?」

「端的に言えば、そうだ」


 急に毒気が抜けた様子で、憲明は俺を見た。同情とも哀れみともつかない、複雑な心境が、その瞳には表れている。


「そうだな、今日の反省会はここまでだ。潤一、先にシャワー浴びて寝とけ。RCを復旧させるためにも」

「で、でも皆は……」

「いいから、さっさと寝ろ」


 俺は半ば急き立てられるようにして、食堂をあとにした。

 シャワールームへ向かいながら、件の『痴情のもつれ』について考える。いや、考えようとして失敗した。憲明の言う通り、誰が誰に恋い焦がれているか、などということを考えられるほど、俺の胸中は穏やかではない。両親の死を告げられた日から。


「空気を読めてない、か」


 そう呟きながら、俺は頭から冷水を浴びせた。

 あの混乱っぷりを見るに、少なくとも今の俺たちに、『テロリストを狩るテロリスト』を名乗る資格はない。そんなことを、ぼんやりと思った。


         ※


 俺は自室で、聞き慣れたアラーム音によって目を覚ました。

 スマホが鳴っている。時刻表示は、午前七時。普段なら皆が起き出すところだろうが、流石に今日はそうともいかないだろう。

 戦闘行為に次いで、あれだけ精神を摩耗するような反省会に臨んだのだ。これで普段通りの生活リズムに戻れ、と言う方がどうかしている。


 しかし、俺は自分が目覚ましをセットしていなかったことに気づいた。ということは、このアラーム音は何だ? もう一度スマホを手に取ると、奇妙な着信番号が表示されていた。そうか、ドクからの連絡だ。メールらしいが、一体何事だろうか。


 俺はアラームが止むのを待ってから、スマホを特殊な機械に差し込んだ。それは俺の部屋の隅にあるノートパソコンに接続されている。このパソコンは、いわば暗号解読器だ。


 パソコンのディスプレイを点けると、既に文章の大部分は解読されていた。画面右下に、解読完了までの時間がデジタル表示されている。


「三、二、一、完了、っと」


 俺は画面をスクロールさせながら、文面に見入った。


《佐山潤一くん。土田基樹の遺体から、情報痕が発見された。可能であれば、できるだけ早く一人で情報統括部まで来てほしい。君には、他の皆よりも先んじてこの情報を知らされる権利がある。以上》


 随分と素っ気ない内容だが、ドクもここまでしか語れないということは、それだけ重要な案件だと認識していいだろう。しかも、『他の皆よりも先んじて』とある。どうして俺だけが? いや、それを確かめるのも、寺に出向く理由の一つだ。

 俺は目を擦り、洗面所で冷水を顔に浴びせてから、食堂へ向かった。車の鍵を得るためだ。


 俺が階段を下りていくと、ちょうど憲明と出くわした。


「おっと、潤一、もう起きて平気なのか?」

「ああ、大丈夫だ。葉月と和也は?」

「一応灸は据えておいたんだが……。まあ、後はお前次第、というところもあるな」

「俺?」


 自分の顔を指差す俺に向かい、憲明は『いや、何でもない』と言ってそばを通り抜けようとした。


「あ、そうだ。憲明、車の鍵を貸してもらえるか?」

「構わねえよ。食堂の壁に掛かってる奴なら、どれを使ってもいい」

「サンキュ」


 こうして俺は、寺、もとい情報統括部へと出向くことになった。


         ※


 ひどく久し振りのような気がする。確か二、三日前に、エレナを乗せていってやって以降だ。朝日に照らされたバイパスを、特に何の感慨もなく走っていく。山中の悪路での走行も慣れたものだ。

 俺は寺の正面からぐるりと回り込み、裏に停車してから降車、改めて寺の正面である境内に足をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る