第14話
痛覚麻痺作用のある薬物でもキメていたのか、土田は右袖からも新しいナイフを取り出した。右手の親指と薬指、小指の三本で柄を握り、先ほどまでと変わらぬ剣戟を見舞ってくる。
回避し続けることは可能だろう。だが、それはRCが続いていればの話だ。残り七分、いや、六分近くとなった中で、回避ばかりの戦法に転じるのは無理がある。
バク転してナイフの大振りを回避した俺と、一旦身を引いた土田。その間、約五メートル。近接戦闘中の俺たちにとっては、どちらが先に仕掛けるか微妙なところだ。
しかし、間髪入れずに俺は攻め込んだ。ぐっと太腿から下に力が入り、コンバットブーツの裏が土にめり込む。それを認識しつつ、腰を落として相手の膝に掴みかかるようなタックルを仕掛けた。
その先では、土田が右手を引き、左手を突き出すようにして、ナイフの切っ先をこちらに向けている。さて、斬り込んでくるのはどちらの腕か。
俺の視界で、向かって左、すなわち土田の右手のナイフがサッと突き出される。
その間合いに入りつつ、俺は上体を起こして半回転した。足首の捻りを利かせるような形だ。
土田に零距離で背中を見せながら、俺は突き出された右腕を掴み込み、そのまま馬鹿力に任せて土田をぶん投げた。バキリ、と土田の右肘から嫌な音がしたが関係ない。
もしこれを、自分の背中を土田に密着させてやっていれば、きっと背負い投げのように見えただろう。だが、土田は左手にもナイフを握っている。背負い投げができるほどまで、身体を引きつけるだけの余裕はない。
「がはっ!」
地面に背中を強打し、呻く土田。俺は我ながら流れるような動作で、土田の頭部を蹴りつけようとした。しかし、流石に土田はそこまでの隙は見せなかった。半ば無理やりに、左手のナイフを投擲してきたのだ。
真横に回転のかけられたナイフを、俺はサイドステップで回避。その間に、土田は立ち上がった。右腕はだらり、と垂れ下がり、最早何の用途も成し得ないことは明白だ。
それでも、もう片方の左手には、既に新しいナイフが握られている。RCの活動限界まで、あと四分弱。
互いに立ち上がり、再び睨み合いの様相を呈する。その時だった。俺は背後から、謎の気配を察した。殺気のようだが、俺に向けられたものではない。まさか、この状態で土田を狙っているのか!
土田の顔からも余裕が消えた。自身が狙われていることを察したのだろう。そこまで相手を観察する間に、俺は横っ飛びして『それ』を回避していた。
それ――狙撃用ライフルの弾丸は、俺の真正面から飛来して、土田の右肩を抉った。
僅かに鮮血が舞う。そして俺の立っていた場所から煙が上がる。俺まで射程に入っていたとは、和也は何を考えている?
その間に、RCの活動限界は三分を切っていた。この三分は、俺が土田のナイフの餌食になる前に与えられた猶予期間と言っても差し支えない。長期戦を得意とした土田の術中に嵌ってしまった。どうしたらいい?
「潤一、任せろ!」
そう叫んだのは、暗視ゴーグルを装備した憲明だった。同時に連続する発砲音。どうやら拳銃の射程範囲にまで接近してくれていたらしい。
バンバンバン、と、拳銃が連射される。しかし、これは飽くまで牽制だ。だから憲明は、わざわざ俺に『伏せろ!』と声を上げたのだ。
土田は爬虫類のような動きで山林に滑り込み、弾丸は虚しく木屑を散らす。
弾倉を交換し、拳銃を差しだす憲明。これを使えと言いたいのだろう。だが、俺はそれを断った。
土田はこの森の中で仕留めるしかない。となると、やはり接近戦になる。拳銃では逆に不意を突かれた時に対処できない。
俺は足元に落ちていたナイフを拾い上げ、勢いよく深呼吸した。土田は、憲明を警戒してすぐには仕掛けてこない。その沈黙の時間を、俺は十分に使わせてもらった。
深呼吸をしたのは、もしかしたら土田を発見できるかもしれないと思ったからだ。視覚、聴覚が活かせない中、敵の位置を確かめられる感覚。残されたのは、嗅覚だ。
案の定、鉄臭い血の臭いが三メートルほど奥の木陰から漂ってくるのが知覚された。
俺は憲明に、いざとなったら援護するよう手信号で示し、堂々と下草を踏みつけながら森に入った。躊躇いなく鉄臭さの下へと近づいていく。
ナイフの扱いにかけては、土田の方が圧倒的に上手だ。わざと音を立て、誘い出して仕留める。それしかない。
土田が動いたのは、互いの距離があと一メートルに入った時だ。這うような低い体勢で、刃を斬り上げてきた。それを見越して、俺は跳躍。頭上の枝を掴み込み、ぶら下がる。
土田のナイフは僅かにブーツを掠めたが、俺自身を負傷させるには至らない。俺は身体を前に振り、勢いよく土田の顔面を蹴りつけた。
「ぶふっ!」
土田は鼻血を噴出させ、仰向けに倒れ込んだ。
先ほどまでだったら、土田も躱しようがあっただろう。だが、右肩を負傷し、少なからず出血したせいで、その動きは精彩を欠いていた。
俺は土田に向かって飛び降りた。ナイフを両手で握りしめ、肋骨の間、心臓を狙う。だが、俺はこの男を未だ見くびっていた。
土田は、まだ動く左腕を、自分の胸元にかざしたのだ。俺のナイフは弾かれ、狙いが逸れる。同時に土田は、出血の止まらない右腕を無理に動かし、俺の胸倉を引っ掴んだ。そして思いっきり、頭突きを喰らわせた。
「がっ!」
「甘かったなぁ、坊や!」
RCの稼働時間、限界まであと三十秒。目の前には、立ち上がった凄腕のナイフ使い。両腕を損傷しているとはいえ、痛覚を麻痺させることで、それこそ千切れるまで両手を自在に操ることができるはずだ。
「ボクもすぐに逝くからさぁ、先に待っててよぉ!」
左袖から滑り出るナイフ。それを握り込む左手。そして、カッと見開かれた両目。
この位置では、憲明からの援護は望めない。ここまでか。
俺が奥歯を噛みしめた、次の瞬間だった。土田の胸に、真っ赤な華が咲いたのは。
僅かに遅れて、銃声がする。そして、僅かな血飛沫が俺の顔に飛散する。誰だ? 誰が撃った? そんな疑問を打ち消すように、意識がふっと遠のいた。RCの限界が来たらしい。
「潤一、無事か! 潤一!」
ばたばたと森に踏み込んできたのは憲明だ。俺はふるふるとかぶりを振って、
「ああ、RCは終わったけど」
と答えた。言い終えた瞬間に脱力し、俺は緊張感と共に、全身が崩れていくような感覚に囚われた。
「しっかりしろ。全く動けないわけじゃねえんだろう?」
無言で頷く。
憲明は俺に肩を貸して、ゆっくりと俺を太い木の袂に座らせてくれた。それから思いっきりしかめっ面を作り、振り返って土田の首筋に手を遣った。
「な、なあ憲明、土田は――」
「生きて捕らえるという作戦内容だったはずだぞ、葉月! 殺しちまってどうすんだよ!」
憲明の怒号が、周囲の木の葉を震わせた。いつもは、怒りを露わにするときでさえも静かだった憲明。そんな彼が怒り狂っている。だが、それよりも異常な案件があった。
葉月が土田を射殺したというのか? 自ら率先して命令順守を徹底するはずの葉月が?
俺が顔を傾けると、憲明の背中の向こうで立ち尽くす葉月の姿が見えた。両腕で拳銃を握りしめ、その銃口は下へ向いている。しかし、立ち昇る硝煙は、たった今発砲したのは自分だと、堂々と示すものだった。
葉月の顔は半ば呆然としたもので、自分が何をしたのか認識できていないような状態だ。
そんな葉月に、憲明はずんずんと歩み寄り、平手打ちをかました。
「ッ!」
バチン、と大きな音が響く。俺は、憲明のあまりの憤りに圧倒され、何も言うことができない。ただ一つ思ったことがあるとすれば、今の平手打ちが行われたのが木立の中でよかった、ということだ。
もし歩道で行われていたら、葉月に思いを寄せている和也が黙っているはずはない。最悪、憲明を射殺しかねない。
何とか胸中の怒りを鎮めたのか、憲明はヘッドセットのマイクに吹き込んだ。
《全員、撤退準備。和也、お前はライフルを仕舞ってから、俺と合流しろ》
《えー? 葉月と一緒じゃ――》
《黙れ》
この『黙れ』は効いた。憲明の静かな怒りは、和也を沈黙させるだけの重厚感を有していた。
俺の元に戻ってきた憲明は、俺が自分で歩けることを確認してから、土田の遺体を担ぎ上げた。土田やダリ・マドゥーは、相互通信の精密さを向上させるため、体内に小型の通信機を埋め込んでいる可能性がある。
ドクはこれを『情報痕』と呼んでいた。そこから逆探知を仕掛けることで、よりダリ・マドゥーへの接近が容易になる。もし土田に情報痕があれば、俺たちは収穫ありと言えるわけだ。
今更ながら、この公園の変電設備を破壊しておいたのは幸いだった。監視カメラも止まってしまったから、土田の遺体を運ぶのに人目を憚る必要がない。
また、憲明が自分と和也を同じ車に乗せようと提案したのもよい判断だ。今、左頬を腫らしている葉月と和也をかち合わせたらどうなるか、憲明は承知している。
どうもここ最近、葉月の言動が不用意なものになっている気がするのだが、そんなことを考えるのは俺だけだろうか?
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