第13話


         ※


 翌日、午後十一時半。海浜公園前にて。


《こちら葉月、皆、通信状態を確認せよ》

《憲明、問題なし》

《和也、大丈夫だよ!》


 皆の通信を聞きながら、俺は一つため息をついた。


「こちら潤一、コンビニ前で待機中。通信に支障なし」

《葉月、了解》


 俺たちは、土田基樹の身柄を確保すべく、息を潜めて彼の登場を待っていた。

 二ヶ月前、俺がこのチームに入った時から、ドクの情報が外れたことはない。外れたとしても、きちんと退路を用意してくれている、というのが葉月から受けた説明だ。


 皆と同じヘッドセットは装着済み。俺はスマホをいじるふりをしながら、道路向かいの公園入口に注意を払っていた。気休めにと思い、缶コーヒーにちびちびと口をつけている。

 コンビニ入り口の照明には蛾や夜行性の昆虫がたかっていて、少しばかり俺の集中力を削いでいる。

 まあ、真夜中とはいえこの暑さだ。羽虫の立てる音に苛ついてしまうのも仕方あるまい。じっと立ち止まって見張り番などしていれば、緊張感はすぐに緩んでしまう。


 しかし、俺にはRCがある。緊張感、というか冷静さは、RC発動時にいくらでも取り戻せる。

 他の皆は暗視ゴーグルを装着して作戦に臨むようだが、俺にはそんなものは不要だ。


 コンビニの入り口を挟んで反対側、灰皿つきのゴミ箱のそばに、中年男性が二人やって来た。二人並んで、道路の対岸を何とはなしに見つめているようだ。服装は、汗染みの目立つ白いシャツに、くたびれたスラックス。

 サラリーマンにしては遅いお帰りのようだが、そんなことはどうでもいい。


 重さで缶コーヒーの残量を計った俺は、残りを一気に飲み干した。証拠を残さないよう、空き缶は潰してズボンのポケットに捻じ込む。

 さて、さっきの中年二人組は何をしているのか。単なる興味本位で、二人が交わしているであろう会話に意識を向けようとした。が、そちらから人の声は聞こえない。

 ふと振り向くと、そこには既に男性二人の姿はなかった。


 違和感を覚えた俺が正面に向き直ると、二人組は慎重に道路を渡り、公園側へと移動するところだった。腰元に手を遣っている。その時、更なる違和感が俺を襲った。

 あれは、腰元から武器を取り出そうとしているのではあるまいか?


 しまった! と、俺は胸中で叫んだ。二人組の向かう先に、土田の姿が視認されたのだ。

 件の二人組が土田の背を追っていること。武器を取り出そうとしていること。やたらと緊張感を漂わせていること。この三つの事実から、俺は自分が遅きに失したことを悟った。


「皆! 土田が現れた! 刑事二人がその後をつけている!」

《なんだって?》

《おい潤一、何やってんだよ?》

《ジュン、油断しないでくれよ! 僕はどうしたらいいんだ?》


 皆からの非難を受け流し、俺は自分の取るべき行動を思案した。

 まず、警官二人は排除しなければなるまい。警察組織に土田の身柄を譲ってはならないのだ。殺さずにおければベストだが。

 そして間違いなく、その過程で土田はこちらに気づく。彼に残された選択肢は、逃げるか戦うかだが、今までの傾向からして、十中八九俺と戦闘状態に入るだろう。


「葉月、俺は警官二人を気絶させてから、土田を行動不能にする。憲明、こちらが合図したら変電設備を破壊してくれ。和也はそのまま監視を続行だ」


 一瞬の沈黙。きっと葉月が、計算外のことが起きたことで黙り込んでしまったのが原因だろう。だが、そうしている間にも、土田や刑事たちの背中は遠ざかっていく。


「葉月、今の作戦でいいか?」

《了解した。憲明は、変電設備を破壊してからすぐに佐山の援護についてくれ。私も合流する》

《憲明、了解》


 颯爽と歩んでいく土田。音を立てないよう、速足でその背中に向かう二人の刑事。

 予想通り、土田は森林公園へと入っていく。刑事二人も続く。ドクン、と緊張で胸が鳴ったが、俺は一つ深呼吸してこれを鎮めた。大丈夫だ。俺にはRCがある。


 森林公園の入り口に着いた俺は、念のためもう一度周囲を確認した。街灯が、林道に沿って配されている。


「今だ、憲明」

《了解》


 バン、という、思いの外軽い音がした。街灯が一斉に沈黙する。何事かと振り返る刑事たちの視線を、俺は草むらに滑り込むことで回避した。が、当の刑事たちは、土田に見つかってしまった。


 まさに、次の瞬間だった。ズスッ、という鈍い音がして、刑事一人が倒れ込んだ。それと同時に、何かが空を斬る音がする。ギラリ、と凶暴な光が発せられるのを、俺ははっきりと見た。

 刑事の首元から鮮血が噴き出したのは、その直後だった。


 土田のナイフだ。刑事たちが防弾ベストを着込んでいることを見越して、首筋を狙ったらしい。そしてその狙いは精確だった。

 膝を折って、その場に倒れ込む刑事。もう一人は何やら悪態をつきながら拳銃を抜いた。が、遅い。


 どうせ土田の犠牲になるなら、俺の行動に役立ってもらったとしても、罰は当たるまい。

 俺は拳銃を構えた刑事の背後に回り込み、羽交い絞めにした。盾にしたのだ。


「なっ⁉」


 それは驚くだろうな。ここに自分と土田、それに事切れた相棒の三人しかいないと思っていたのなら。

 四人目の参戦者として、俺は刑事の身体を押し出しながら、片手で自分の左側頭部を指圧。RCに突入した。そのまま関節技を仕掛け、刑事の上半身を動けなくしてから、土田に向かって駆け出した。

 再び投擲されたナイフは、刑事の腹部を捉えたが、俺には及ばない。刑事の腋の下から自分の拳銃を突き出し、発砲。土田はすぐに身を翻し、これを回避した。


「なかなかやるねぇ、坊や」


 それが土田の声だった。

 俺が少年だとバレている? 何故だ?


「でも人を盾にするのはよくないよねぇ? 刑事さん、二人共死んじゃったよ?」


 そんなことはどうでもいい。俺は、盾に使った刑事の遺体をわきに放り投げ、土田に狙いを付けようとした。が、RCを以てしても、彼の姿は確認できない。この能力は、透視はできないのだ。


 俺もまた木陰に身を隠すと同時、さっと穏やかな光が差した。月明りだ。

 もし土田が、夜でもある程度視覚を保つことができるとしたら、この月明りはまさに僥倖と言える。これで互いに、敵の位置を視覚的に把握できるようになってしまった。


「いいのかなぁ、坊や? そちらが動かないのなら、こちらから行くよ?」


 その宣戦布告に、俺はしめたものだと思った。土田が木陰から身を乗り出したところを射殺すればいい。だが、土田はその程度の敵ではなかった。


 俺が木陰から左半身を覗かせた時、土田は視界には入らなかった。後出しじゃんけんの要領で、俺は先に相手に姿を晒してしまったのだ。

 視線の先で何かが光ったのを認め、すぐに引っ込む。しかし、左手は引っ込ませるのが遅れ、拳銃は叩き落された。


「くっ!」

「いやぁ、悪いね。火薬とか苦手だからさ、ボク」


 奴の挑発に乗ってはならない。俺は右手の拳銃を両手で握りしめ、より精確な射撃を意識した。しかし、一呼吸と置かない間に、殺気立った気配の接近を察知。咄嗟にしゃがみ込み、首元に拳銃を掲げる。

 直後、ガキン、と金属のぶつかり合う音がした。回り込んできた土田の振るったナイフが拳銃と接触し、これを弾き飛ばす。同時にナイフは大きく狙いを逸れ、俺の髪を数本散らすに留まった。


「ほぉ、今のを防ぎきるとは、やるねぇ坊や」


 バックステップで俺から距離を取る土田。俺が拳を頬の高さまで上げ、格闘戦への構えを取る間に、その手には新たなナイフが握られていた。

 そうか。長袖のパーカー姿でいたのは、袖にナイフを仕込んでおくためか。


「それじゃぁ、踊ってもらおうかぁ!」


 ナイフで二刀流となった土田の、流麗な死の舞が始まった。月光を浴びた刃の輝く様子は、まさに演舞のようだ。

 俺はしゃがみ、跳び、牽制の蹴りを放つことで、辛うじて回避を繰り返す。しかし、いつしか歩道の反対側まで追いやられ、背中が木にぶつかってしまった。これ以上は退けない。


「ここまでだぁ!」


 俺は上半身を傾け、刺突を回避しようと試みる。が、ほんの僅かに耳たぶを斬られ、血が滲むのが分かった。

 しかし、これは計算通り。俺がギリギリまでナイフを引きつけたことで、土田はとどめの一撃を放つことになった。当然、威力は増すだろうが、同時に小回りも利かなくなる。案の定、土田の右手は、ナイフが木に突き刺さったために、少しばかり動きが鈍った。


 今だ。

 俺は土田の右肘を掴み込み、思いっきり振り回した。


「うおっ⁉」


 そのままの勢いで、そばにあった別の木の幹に叩きつける――という俺の目論見は、達せられることはなかった。土田が巧みに腕を振り払い、跳びすさったのだ。

 しかし、この機会を逃す俺ではない。土田が引き戻そうとした右腕を、爪先で蹴り上げたのだ。接触は僅かだったが、指先の骨を二、三本は折ったはずだ。


「ほっほぅ!」


 土田は目を見開き、耳まで裂けるような笑みを浮かべた。蛇のように、舌をチロチロさせている。


「人様の商売道具をお釈迦にするとは……。お仕置きが必要だねぇ、坊や!」


 左腕のナイフを的確に振るってくる土田。RCのタイム・リミットまで、残り七分。

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