第11話
「で、どうするんだ、リーダー殿?」
問うたのは憲明だ。葉月は、顎に手を遣って俯いている。
何を考えているのかは、俺にはすぐに分かった。時間だ。明日、土田が麻薬の密売に走るなら、現場を下見できるのは今日しかない。
「今から一時間後、午後零時に、先ほどの公園の偵察を行う。皆、出発準備をしておいてくれ」
「おいおい葉月、そりゃあねえよ」
椅子の背もたれに寄りかかりながら、憲明が反論する。
「何だよノリ、君はリーダーである葉月に文句があるのか?」
と和也が突っかかったが、憲明は『ある』と即答。
「食休み、って言葉知ってるか? 満腹では頭が回らない。偵察に行くにしても、せめて夕方まで待つべきだ。あれだけものを食わされてはな」
その言葉にムッとしたのは、誰あろう俺だった。エレナは善意で料理を振る舞ってくれたのだ。その気遣い(というにはだいぶ豪勢だったが)を責められては、エレナの居場所がなくなってしまう。早くこの場から引き離してやるべきだ。
「誰か車のキー、貸してくれ」
「どこかにいくのか、佐山?」
顔を上げ、尋ねる葉月に向かって、俺は『エレナを寺まで送っていく』と一言。その瞬間、サングラスの向こうで、葉月の瞳が微かに揺らいだようだったが、気のせいか。
「ジュン、作戦は一時間後だって、さっき葉月が言ったじゃないか!」
ばたばたと両手を振り回す和也に向かい、俺は少しばかり睨みを利かせた。
「その点は問題ない。俺も憲明の言う『食休み』ってのは必要だと思うしな。葉月、どうせ俺もすぐ戻るから、何時に公園に向かうのかは帰ってきてから聞かせてもらう。構わないよな?」
「ああ。佐山がそれでいいなら、な」
葉月の言葉には、僅かながら棘があった。俺が憲明に賛同したことが気に食わなかったのだろうか。
まあ、俺は自分の意志表示はきちんとしたわけで、無理やり引き留められる筋合いはない。
そんなことは、葉月も理解していたようだ。ポケットからキーホルダーを取り出し、こちらに放って寄越す。俺はそれを片手で受け止め、ノートパソコンの収納を終えたエレナに向き直った。
「行くぞ、エレナ」
そういうわけで、この作戦会議はお開きとなった。
※
結局俺が選んだのは、二ヶ月前、葉月に乗せられてきたのと同一車種だった。何の変哲もない、自家用車。ただし、ナンバープレートは取り換えてある。
俺とエレナが足を運んだのは、アジトの裏側だ。車両安置所としての倉庫がある。ドクが定期的に車を用意してくれるのだ。同じ車を使いすぎて、警察に目を付けられないように。『どこから用意しているのか』は、訊かない方がいいのだろう。
「エレナ、助手席に乗ってくれ。見せたいものがある」
そんな俺の言葉に、エレナはこくり、と首を傾げたが、すぐに席へと乗り込んだ。俺も運転席に乗り込む。
「全く、ドクも人使いが荒いよな。エレナみたいな女の子に、情報だけ託して何キロも猛暑の中を歩かせるんだから」
すると、エレナはふくれっ面をして見せた。自分を子供扱いするな、と言いたかったらしい。
俺はそれに気づかないふりをして、車を発進させた。
バイパスに乗り、結構なスピードで車を飛ばした。車の運転は、葉月と憲明に教え込まれている。
俺はさっさと冷房を切った。真っ直ぐ前方を見続けるエレナに、俺は
「左側を見てみろよ」
と一言。同時に助手席側の窓を下ろす。
はっと、エレナが息を飲むのが聞こえた。彼女の眼前に展開されているのは、広大な海だ。改めて、今日が晴天であったことに、俺は感謝する。誰に対してかという自覚はないが。
「少しくらいなら顔を出してもいいぞ」
そう言うと、エレナはシートベルトを外し、膝を座席に着いて、勢いよく流れる夏の空気を浴びた。
「あの寺に籠ってたら、こんな景色見られないだろ? 今日、情報を運んできてくれたお返しだ」
俺の言葉が届いているのか否かは分からない。エレナはその長い銀髪をなびかせ、鋭い熱射と穏やかな風に晒されている。俺はそのきめ細やかな銀髪を、純粋に美しいと思った。
こんな無邪気なエレナのような子が、どうして人殺しの片棒を担ぐことができるというのだろう?
俺は、自分たちが何故戦いに身を投じたのか、それに思いを巡らせた。
両親を爆弾テロで殺された、佐山潤一。
無茶な単独行動を強いられ、刑事だった両親を亡くした美奈川葉月。
反政府デモの途中、警官隊の発砲で両親を殺された大林憲明。
両親からの虐待を受けてきた、小野和也。
父親を目の前でテロリストに惨殺された、エレナ・イーストウッド。
きっかけも動機も様々だが、皆確かに、大まかに言って『大人』に対して復讐心を抱いている。そんな俺たちと上手く付き合ってくれているのだから、ドクは大した人物である。
「なあ、エレナ」
そう声をかけると、エレナは窓枠から手を離し、ちょこんと座席に座り直した。ゆっくりとこちらに向き直る。
「もし声が戻ったら、日本語は話せそうか?」
僅かな逡巡の後、エレナは頷いた。彼女の頭脳の明晰さは折り紙付きだ。そうでなければ、ドクの部下は務まるまい。
「ドクとは仲がいいんだな。じゃあ、俺たちの戦いをどう思う? 正しいと思うか?」
この質問に対しては、エレナははっきりと頷いた。俺はほっとすると同時に、一抹の息苦しさを覚えた。こんな幼い少女でさえ、人殺しを容認できてしまうほど、この世界は荒れているのか。
俺は思い切って、もう一押ししてみることにした。
「俺にはRCがある。一番人を殺してきたのは俺、ってことになるが……。俺を怖いと思うか?」
するとエレナは、すぐさまかぶりを振った。よかった。怖がられてはいないらしい。
「俺たちの中で、一番怖いのは誰だ? やっぱり憲明か?」
エレナは顔をしかめ、こくこくと頷いた。ううむ。あの図体だけでも圧倒的なのに、自分が華奢な少女なのだと自覚しているエレナにとっては、苦しいことこの上ないだろう。
『葉月はどうだ』と尋ねると、エレナの顔はぱっと明るくなった。やはり女性同士、通じ合う部分はあるのだろう。
「じゃあ、和也は?」
するとエレナは、再び顔をしかめた。和也はチビッこいし、懐きやすいから、仲良くなるのに問題が多いとは思えなかったが。
だが、エレナは『和也本人に問題がある』とは思っていない様子だ。何かが引っ掛かる、それをどう表現したらいいのか分からない。それで困惑しているように見える。
そう言えば、和也はよく葉月に絡みたがっているな。それが問題なのだろうか? よく分からないな。
「それにしてもエレナ、気を付けろよ。お前は基本、ドクと二人っきりで情報管制官を務めている。ドクの偏屈っぷりが、お前にも感染するかもしれない」
するとエレナは、再び頬を膨らませ、軽く俺の肩にパンチを見舞った。
「冗談! 冗談だよ」
そう言ってやると、エレナもこれが俺の言葉遊びだったことに気づいたらしく、すぐに笑顔を見せた。
「いずれにしても、何か困ったことがあったら、ドクや葉月に相談しろよ。二人共暇じゃないだろうが――」
と言いかけて、今度はシャツの袖を引っ張られた。
「どうしたんだ、エレナ?」
俺が首を巡らせ、助手席の方を見遣る。そこにいたエレナは、真っ直ぐに俺を見つめていた。強い瞳でだ。
「エレナ、もしかして俺に、日本語の練習相手になってほしいのか?」
すると途端に、エレナは狼狽えた様子で視線を揺るがせた。どうやら当たりらしい。だが、どうして狼狽えるのかが分からない。
ううむ、気まずいな。俺にはエレナの心中を読み解くだけの心理学的スキルはない。俺は半ばやむを得ず、当たり障りのないことを口にした。
「ああ、ドクに訊いておいてくれないか。生活用品で何か足りないものはあるか、って」
その頃には、エレナは正面に向き直っていた。そのまま頷く。
それから先は、話題が思いつかなかったので、俺もだんまりを決め込むことにした。しかし、それもそう長い時間ではない。
山道に入り、寺までゆっくりと登っていく。
「さあ、着いたぞエレナ」
ぴょこん、と車から降りるエレナ。その時になって、俺はようやくエレナが不似合いなリュックサック――真っ黒でやたらと角ばっている――を背負っていることに気づいた。
本来なら、義務教育期間で友達と遊びたい盛りだろうに、こんな無骨な格好をさせられ、人殺しの計画立案の片棒を担がされているとは。俺はエレナを気の毒に思うというより、彼女をそこまで追い込んだテロリスト共に怒りを覚えた。
だが、その怒りに任せて戦い続けるのは、エレナの望む俺の姿ではないかもしれない。
待てよ。どうしてエレナのことが気にかかるんだ? いや、思い返せば、今朝から葉月の様子もおかしかった。僅かとはいえ、だ。
どうも俺たちは、俺が思っていた以上に微妙なバランスの上に立っているらしい。まあ、バランス云々に関係なく、俺は両親の仇を討てればいいだけなのだが。
俺はエレナに短く別れの言葉を告げ、再び運転席に乗り込んで、山道を走り下りていった。
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