第10話【第二章】

【第二章】 


「ん……」


 随分長いこと、夢を見ていたようだ。それは紛れもなく、二ヶ月前の俺の過去だ。俺が両親を奪われてから、RCという自分の力を自覚するまでの。

 今俺がいるのは、ドクのいた山林の寺ではなく、麓の海沿いに位置するアジトだ。


 さて、どうして目が覚めたのか。一つには、光が目に差しているということがある。夜が明けたらしい。もう一つの理由は、誰かに肩を揺さぶられている、ということだ。


 俺がゆっくり目を開けると、そこには意外な人物がいた。


「エレナ……。お前か?」


 エレナ・イーストウッド。戦場には立たず、情報管制を司るドクの側近。確か今年で十三歳になったところか。

 丸い童顔に、眩しいくらいの緑色の瞳。真夏であるにも関わらず、真っ白な肌をしている。髪は長い銀髪のストレートだ。


「どうしたんだ、エレナ? ここに来るなんて……。え? その前に飯?」


 こくこくと頷くエレナ。


「分かった。今行く」


 俺はブランケットを押し退け、上半身を起こして大きく欠伸をした。


 エレナは口を利くことができない。精神的ショックによる、後天的な障害だ。

 科学者だった父親が日本に出向することになり、研究施設に同行したまではよかった。問題は、まさにその日に、その施設がテロリストに強襲されたということだ。

 父親は、エレナを庇って死亡した。それをエレナは、作業用デスクの下で身を縮めて見つめていたという。


 俺と違い、まさに目の前で肉親を奪われたエレナ。そのショックたるや、いかほどのものか。分かるわけがないと投げ打つのは簡単だが、俺も二ヶ月前、地下鉄での惨状を目にしている。自分も殺されるかもしれなかったのだという事実は、常に胸の奥底で燻ぶっているのだ。

 そんな彼女を救ったのが、父親と親交のあったドクだ。ドクが過去に何をしていたのかは、俺たちは知らない。しかし、エレナだったら見当がついているかもしれない。


 気がつけば、俺は額に手を遣って固まっていた。じっとりとした汗が、俺の指の隙間を伝って手首へと流れていく。

 すると、軽いノックの音がした。エレナが、俺の部屋のドアを半開きにして叩いているのだ。


「ああ。着替えるから先に行っててくれ」


 そう言って、俺は床に足を着いた。コンクリート剥き出しの床、壁、そして天井。先ほど俺の顔を照らしていた日光は、ドアの反対側、すなわちベッドの置かれている側の壁にある窓から差していたものだ。


 俺は立ち上がり、壁際のクローゼットを開けて、無造作に新しいシャツとジーパンを引っ張り出した。


         ※


 俺は廊下を歩いて階段を下り、建物中央の食堂へのドアを開けた。再び欠伸がこみ上げてくるが、噛み殺すような無駄な体力は使わない。涙目で見渡すと、俺以外の四人は既に着席していた。


「おっはよー! ジュン!」

「さっさと座れ。お前を待ってたんだ」


 早い方から和也、憲明の言葉である。


「おはよう、和也。待たせて悪かった、憲明」


 二人に対し、いっぺんに答える。

 二十畳ほどの広い空間が食堂になっており、向かいには暖簾がかけられたスペースがあって、その先が調理室だ。

 俺たちは、緊急時でない限り、朝食は一緒に食べることにしている。


「よし、これで全員揃ったね! では、いっただっきま~す!」


 和也は勢いよく、自分の茶碗にちらし寿司を盛り始めた。


「潤一、俺たちがどれほどお預け喰らってたか、お前に分かるか?」


 そう愚痴るのは憲明で、分厚いステーキを切り分け、皆が食べやすいように工夫している。

 この期に及んで、葉月が先ほどから無言であることを、俺はようやく認識した。何も言わずにぶすっとしている。何かあったんだろうか? 


「葉月、どうした? そんなに腹が減ってたのか?」


 俺が心配して声をかけると、葉月はさっと赤くなり、『何でもない!』と一言。既に取り分けておいたのだろう、サラダを頬張った。和也は食べるのに夢中になっているが、憲明はやれやれと肩を竦めるばかり。


「なあ憲明、葉月はどうかして――」

「それ以上言うな、潤一」


 怒気、というより狼狽の念を孕んだ言葉に、俺は口を閉ざすことにした。しかし、ここで新たな疑問が一つ。


 こんなに豪勢な料理、食べきれるのか?


「エレナ、お前の料理の腕は確かだけど、作り過ぎたんじゃないか?」


 と呟く。

 しかしエレナは、まるで褒められたかのように、口元を緩めながら俯いた。


「まあいいじゃない、ジュン! 有難く頂こうよ!」

「おい和也、口にものを入れたまま喋るんじゃない」


 うんざりした様子で注意する葉月に、和也は『あ、そうだね!』と明るく言って、ごくりと口内のものを飲み込んだ。


 エレナは基本、アジトではなく情報統括部の建物、すなわり寺に、ドクの庇護下で暮らしている。情報を取り扱うのだから、寺の方にいるのは当然だ。

 そんな彼女が山を下りる。それは、情報漏洩の危険性を排除しつつ、ドクが俺たちに情報を提供することを意味する。

 だったらドク本人が来れば話は早いのだが、過去に『しでかした』物事の関係上、自分が俺たちのアジトまで出向くのは、いろいろと問題があるらしい。

 ま、大人の都合というやつだろう。


         ※


 約二時間後。


「うう~、食べ過ぎた~」


 腹を押さえる和也、それを冷淡に見下す憲明、無表情な葉月、そして黙々と廊下を歩く俺とエレナ。


「エレナ、今日はありがとう。だけど、今度はもっと少しでいいからな?」


 和也以外、誰も積極的に発言しようとしないので、俺がエレナをカバーしてやる。

 こういうところが自分にはまだある。つまり、仲間を大切にする余裕があるということだ。そう自分に信じ込ませる必要性は、日々高まっている。

 俺は復讐者だ。快楽殺人犯ではない。いや、そうでないと信じていたい。俺が殺すのは、犯罪を犯した大人たちだけだ。


 俺たちが向かっているのは、さらにもう一階下のフロア、すなわち大会議室だ。『大』とはいうものの、情報を共有し合うのは精々俺たち四人、または五人である。よって、食堂と同様、二十畳程度の広さだ。


 会議室が近づくと、エレナは小走りになって先に入室した。プロジェクターや、持ち込んだ自身のノートパソコンの接続作業が必要なのだ。

 俺たちが入った時には、会議室の照明は適度に絞られ、プロジェクターは展開されていた。


 数十桁に及ぶパスワード(しかも毎日変わるらしい)を、記憶と洞察力によって解除したエレナは、すぐに映像ファイルを呼び出した。同時に聞こえてきたのは、ドクの声だ。


《あー、チームメイト諸君。今回はダリ・マドゥーに関係が深いと目される、ある男についての情報だ。まずは、この動画をご覧いただこう》


 動画は既に編集済みらしく、すぐに再生された。

 全体的に緑がかった映像だ。どうやら、夜間の監視カメラのものらしい。一部しか映っていないが、これはどこかの野外施設だろうか。日付はつい一週間ほど前のものだ。


《ここは、とある臨海公園だ。詳細は後ほど。で、しばらく観ていてほしいのだが――おっと、来たな》


 ドクの言葉に応じるように、監視カメラの撮影範囲にするり、と人影が入ってきた。真夏だというのに、パーカーを着てフードを被り、両手をポケットに突っ込んで歩いてくる。

 別なカメラの映像に切り替わると、男は右から左へと、遊具の前を横切っていくところだった。


 男の姿が消えたところで、カメラの映像は停止された。すると画面は一旦真っ暗になり、続いて男の顔写真が左側に、プロフィールが右側に表示された。


《土田基樹、二十六歳。麻薬のブローカーだ。先日、諜報活動中に、ダリ・マドゥーとの接触が確認された》


 誰も言葉を発しない。じっと写真とプロフィールに見入っている。


《この男を生け捕りにしてもらいたい。警察よりも早く、だ。もちろん、警察よりも確実な方法で、我々がこの男から情報を吐かせることができる、というメリットはある。しかし、問題はもう一つ》

 

『警察よりも確実な方法』とは、拷問したり、自白剤を飲ませたりすることによって、強制的に情報を吐かせる、ということだ。だが、それよりも気になったのは、ドクの言う『もう一つの問題』の方である。


《警察も秘密裡にこの男を追っているんだが、どうやら皆、返り討ちに遭っているらしい》


 その言葉に、無言のざわめきが俺たちの間に伝播した。


《現場の状況からして、返り討ちに使われた道具は鋭利な刃物のようだ。警察は機動隊を動員することまで考えたそうだが、それは机上の空論で終わったらしい。たった一人の人間の身柄を確保するために、機動隊を動かすなど、警視庁警備部の恥になるだろうからな》


 確かに。それに、機動隊がいるような仰々しい現場では、土田もその日の取引は中止するだろう。


《できうる限り早く、君たちの手で、土田基樹の身柄を確保してくれ。幸か不幸か、次の取引はこの公園で、明日の深夜に行われる》


 そうか。明日か。


《諸君の健闘に期待する。以上だ》


 その言葉と共に、映像はブラックアウトした。

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