第7話


         ※


 俺の頭の中は、嵐が通り過ぎて行ったかのようにぐしゃぐしゃだった。

 テロリストを狩るテロリスト? 両親の復讐? どうかしている。そんな危険な目に、自分の身を晒す必要はないのではないか。

 しかし、かといって泣き寝入りできるほど、俺は強い(あるいは弱い)人間かと言われれば、そうとも言い切れない。

 すると再び、両親と過ごした日々が思い浮かんできた。


 父は、とある大きな会社の若手幹部だった。確か製薬会社だったと思う。出張も多く、共に過ごした時間で比べれば、母の方がずっと長い。

 だが、週末になって家にいれば、必ず美味い夕飯を作って、俺の帰りを待ってくれていた。


 多忙だが子煩悩だった父。そんな父が、たまたま羽を伸ばしに出掛けた先で、母と共に殺されてしまった。そんなこと、許されてたまるものか。


 頭ではそう考える。だが、心の空洞はそう易々と埋まるものではなく、復讐心よりは脱力感の方が先に出てきてしまう。


 もう渇き切ったはずの両目から、再び涙が溢れ出した。俺にはもうどうしようもない。たとえ『スカウト』とやらに乗ったとしても。


「一体どうしろってんだよ……」


 俺の意識が逸らされたのは、まさに次の瞬間だった。


《番組の途中ですが、臨時ニュースをお送りします。先ほど午前二時半過ぎ、港区旧市街の倉庫で爆発、爆発がありました。現在機動隊が出動し、状況の確認にあたっています。また、近所の住民からは、連続した銃声を聞いたという証言もあり――》


 俺はこれでもかと目を見開き、テレビを食い入るように見つめた。

 葉月、あんたの仕業なのか? あんたが戦ってこんなことになったのか? そして、あんたは無事なのか?


 もし俺が落ち着いていたら、すぐさま名刺に書かれた連絡先に電話をしたことだろう。だが生憎、こんな事態に陥った世界で冷静でいられるほど、俺は厭世的ではなかったし、自分の生きている状況に絶望してもいなかった。むしろ、希望を抱いたくらいだ。


 復讐のチャンスがあるのなら、俺だって。俺にだってできないはずはない。

 頭の中のギアが一段階切り替わる音が、俺には確かに聞こえた。


         ※


 翌日。

 早朝から空は晴れ渡り、しかし対照的に俺の胸中は暗雲が立ち込めていた。

 気になっていたのだ。一体、昨日の現場で何が起こったのか。


 俺は白いシャツを無造作に羽織り、穿き慣れたスラックスを着て、一週間ぶりに外に出た。日の光が瞼の裏まで焼き尽くさんとする勢いだったが、そんなことに構っている暇はない。


 俺の目的は、できるだけ現場に近づいて、葉月たちが何をしでかしたのかを確認することだ。恐らく、警察が規制線を敷いていて、現場に立ち入ることはできないだろう。それでも、黒焦げになった倉庫の残骸を見たり、鼻にこびりつくような火薬の臭いを嗅いだりすることはできるかもしれない。


 いつもの、すなわち両親を喪うまでの期間に使っていた地下鉄とは、反対方向の車両に乗り込む。普段なら、冷房の恩恵を有難く思うところだろうが、俺にはそんな余裕はない。

 俺が乗り込んだのは、たまたま最後尾の車両だった。そう、『たまたま』なのだ。それが生死の境目になるとは、一体誰が予想できただろうか?


 駅を発車して、二、三十秒ほど経った頃だと思う。俺は、全く唐突に、騒乱の渦に巻き込まれた。

 低くて重苦しい、それでいて突き刺すような轟音が、前方車両から聞こえてきた。同時に、足元を大きく揺さぶられる。俺は必死で手摺に掴まり、転倒を免れた。地下鉄はといえば、前方の車両が急停止したようだ。


 何だ? 一体何が起こった?


「おい、火事だ! 火事だぞ!」

「なんだ、またテロか?」

「何かが爆発して脱線したんだ!」


 そんな怒号が飛び交う中、俺は車両わきの扉をこじ開け、線路上に降り立った。振動で扉がずれていたのが幸いした。

 そんな俺の向かう先。そんなもの決まっている。先頭車両だ。


 俺の父は行方不明になり、母は『あまりにも酷い遺体』にされた。今度は、二人の息子である俺が殺されかけた。

 何か、掴んでやる。メイプルデパートで起きた何か。今この地下鉄構内で起きた何か。そしてテロリストに繋がるような何かを。


 線路上には、俺同様に降り立って、前方を注視する人々が数名見受けられた。しかし乗客のほとんどは、車内に取り残され、スマホを取り出している。きっと情報をいち早く得ようというのだろう。

 しかし、俺はそんなまどろっこしいことはしない。現場はすぐ目の前にある。

 頬を撫でるような熱波と、瞳を刺すような真っ赤な炎、それに鼻腔を満たす焦げ臭い黒煙。

 それに逆らって、俺は大股で足を運んだ。途中、誰かに引き留められたが、逆に突き飛ばしてやった。

 俺には、テロの悲惨な現場を知る権利と義務がある。


 そう意気込んで歩を進めていた、その時。


「うあ!」


 足を滑らせ、俺はその場に尻餅をついた。真っ赤な炎で足元が染まっていて、気づかなかったのだ。そこに何かがぶちまけられていることに。


「くそっ……」


 ん? 何だ、この妙な鉄臭さは? 

 俺は立ち上がりながら、自分の掌を見た。真っ黒に染まっている。いや、赤い炎があるために黒く見えるだけで、通常の灯りの下で見れば、より深い赤色をしていたことに気づいただろう。


 俺は、無造作にシャツでその液体を拭った。ゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。

 次の瞬間、俺はその場にひざまずいて嘔吐した。


 血だ。一面、血の海が広がっている。その狭間にぽっかりと浮かぶように、人体の一部と思しきものが散らばっている。


 俺は炎の燃え盛る轟音と、スプリンクラーが作動して消火水を降らせる音との間で、ゆっくりと顔を上げた。


 そこには、赤ん坊がいた。額がぱっくりと割れているが、まるで痛みを感じていない様子だ。その先にあったのは、一人の遺体。恐らくこの赤ん坊の母親のものだろう。

 俺はすぐ目を逸らすことになった。母親の遺体には、下半身がなかったのだ。


 新たにこみ上げてくる吐き気から逃れるように、俺は来た道を勢いよくダッシュで駆け戻った。最寄の駅のホーム(野次馬で溢れ返っていた)に這い上がり、階段を上る。

 すると、ちょうど消防車や救急車がやってくるところだった。


 理由ははっきりしないが、彼らに接触すると面倒なことになる。俺は大通りを外れ、裏路地を縫うように走って、マンションの近くまで駆け戻った。


「だはっ!」


 マンション玄関に入り、壁に背を着けて荒い息をつく。一体、あれは何だったんだ? 母さんもあんな風になって死んだのか? 恐ろしい。なんて恐ろしいんだ。

 そう、あれは恐ろしい体験だった。『テロ』という言葉の語源が『恐怖』であることを知ったのは、つい数日前のことだが。


 ぜいぜいと息をする俺の身体は、再び揺さぶられた。


「う、うわっ!」


 と、思ったら、それはスマホのバイブレーションだった。通話着信らしいが、番号は意味不明な数字の羅列になっている。これって、まさか。


「葉月? 葉月なのか?」

《ああ、その調子だと無事だったようだな、佐山》


 昨日と同じ落ち着き払った口調で、葉月は応えた。


「葉月、た、たった今、爆発……地下鉄だ。血が、血が出てる!」

《怪我をしたのか?》

「え……」


 その言葉に、俺はやっと意識を自身に向けることができた。俺は血塗れだったが、どれもこれも他人の血。俺自身は負傷していない。よくもまあ、こんな格好でマンションに戻って来られたものだ。


《怪我をしたのかと訊いているんだが》

「あ、ああ、いや、俺は、大丈夫、みたいだ……」


 再び深呼吸を始めたので、言葉が切れ切れになる。

 だが――俺は脳みその冷静な部分を総動員して考えた。あんな光景を目の当たりにさせられて、黙っていられるはずがなかった。怖くて現場には出られないかもしれないが、なんとか葉月たちのグループで、テロリストの駆逐に協力したい。


《佐山? 聞こえているか?》

「大丈夫だ」


 俺の口から出たのは、思いもよらないほど落ち着いた声だった。


「葉月、あんたたちのグループに、俺を混ぜてくれ。こんな恐ろしい思いをするくらいなら、いっそ潔く戦った方がいい」


 すると今度は、葉月の方が沈黙した。俺が何事かと尋ねようと、口を開きかけたその時。


《了解した。君には、取り敢えず我々の拠点に来てもらって、ドクと面会してもらう》

「ど、ドク?」


 誰だ? 医者か? いや、今はそんなことはどうでもいい。


《今日の夕方、君のマンションから最寄のファミレスに迎えに行く。白いセダンだ。昨日渡した名刺と写真は必ず携帯してくれ。分かったな?》

「あ、ああ!」


 すると、呆気なく通話は切れた。

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