第6話

 って、ちょっと待てよ。


「あ、こ、ここまでで結構です! 後は自分で運びますから……」


 大きな段ボール箱を抱え直し、前進してくる女性。俺は押し返されるように、廊下を後ろ向きに歩き、自分の部屋にまで足を踏み入れた。

 すると女性は箱を足元に下ろし、こんなことを言い出した。


「随分暴れたようだな、佐山潤一くん」

「え?」

「薄暗くても分かるよ。この部屋、壁が穴だらけじゃないか」

「そ、それは……」


 刑事ドラマで、事件の核心に迫られた犯人。きっと彼らはこういう気持ちなんだろう。

 女性の言う通り、部屋の壁はところどころが凹んでいた。突発的な怒りに駆られた俺が、破壊衝動を抑えきれずに暴力を振るった結果だ。


「電気、点けさせてもらうぞ」

「ああ、いや……」


 狼狽える俺に構うことなく、女性はさっと壁に手を伸ばして、天井の蛍光灯を点けた。突然差してきた光を遮るように、俺は眼前に手をかざす。


「おやおや、血痕があるな。それに、君の拳もボロボロだ。すぐに消毒して、包帯を巻いた方がいい」


 事ここに至って、俺はようやく自分の言うべき言葉を見つけた。


「あの……」

「ん?」

「サイン、要りますか? 受け取り側の。それに印鑑とか……」


 すると女性は、目を真ん丸に見開いて俺の顔を見た。数秒間の沈黙。俺がどうしたものかと視線を泳がせていると、女性は身体をくの字に折って笑い出した。


「はははははっ! サイン? 印鑑? 要らないよ、そんなもの!」

「で、でもちゃんと荷物は管理しなきゃいけないから……」

「あのなあ、佐山くん」


 無邪気な笑顔を見せながら、女性は腰に手を当てた。その頃になって、俺はようやく彼女が灰色の作業着を着ていること、真っ黒な長髪をポニーテールにしていることに気づいた。


「いい加減気づいてくれよ。私は配達業者の人間じゃない」

「じゃ、じゃあ」

「単刀直入に言おう。私は君をスカウトしに来た」

「ス、スカウト?」


 首肯する女性。


「しかし暑いな。全く、今年の夏は早く来すぎて困る」


 そう言いながら、女性は帽子を放り投げ、作業着のジッパーを首元から胸元まで下ろした。意識とは関係なしに、俺の心臓がドキリ、と音を立てて跳ね上がる。


「さて、ここからが本題だ、佐山くん。君はご両親の仇を討ちたくはないか?」

「両親の仇を、討つ?」

「そうだ。このまま泣き寝入りするのも、君にとっては不本意だろうと思ってね。私たちには、君を受け入れ、共に戦う用意がある。少しばかり調べさせてもらったが、君はボクシングでなかなかの実績を上げているそうじゃないか。その力を活かして、テロリスト共を叩き潰してみたくはないか?」


 再び沈黙する俺の部屋。もう蛍光灯には目が慣れたが、目の前の女性には慣れていない。というか、そもそも何を言っているのかがよく分からない。


「それって、ふ、復讐する、ってことですか?」

「そうとも!」


 情けない声を絞り出す俺に向かい、女性はより大きく頷いて見せた。

 

 最近は、物騒な事件が多い。特徴的なのは、銃器を使った犯罪が増えている、ということだ。銃刀法違反者の摘発数はもちろんのこと、それに関わって殉職した警官や機動隊員の数も多くなったと聞く。


 仇を討つ。それはつまり、俺も銃を持って戦うということだろうか? 爆弾を仕掛けて、他者を殺傷するという意味だろうか?


「いけない……」

「ん?」


 俺は視線を足元に落としたまま、ぽつりと呟いた。


「人を傷つけたり殺したりするなんて、俺にはできない」

「何を言うんだ、佐山くん! 私だってやっているぞ?」

「は?」


 今度は俺が、相手の顔をまじまじと見つめる番だった。

 この女性が、殺人犯? 俺と同じくらい若いのに? とてもそんなことをしているとは、想像できない。


「ちょっと待ってくれ!」


 俺は敬語も忘れて、ぶんぶんとかぶりを振った。


「あんた、人を殺したのか?」

「まあな」


 ざっくりとした男口調で、女性は答える。流石に自慢げな様子ではなかったが、後悔しているという雰囲気でもなかった。


 俺は眉間に手を遣り、考えをまとめるのに集中した。

 確かに、復讐を果たせた方が、泣き寝入りするよりマシだろう。女性の言う通りだ。

 だが、ここで懸念される事案はいくつかある。


 一つ目は、戦いに臨む以上、自分も殺傷される可能性があるということ。

 二つ目は、殺人や他者を傷つける行為は立派な犯罪であるということ。

 三つめは、倫理的に考えて、他人への殺傷行為をしたくはないということ。


「迷うのも無理はないよ、佐山くん」


 女性は俺の肩にぽん、と手を置いた。


「だが、君の躊躇いは単なる逃避にすぎない」

「だ、だって、人を殺す羽目になるんだろう?」

「否定はしない」

「そうしたら、僕も殺人犯だ。テロリストと一緒だ。そんな酷いことをするなんて……」


 僅かな間を置いて、女性はこう言った。


「自分が連中の同族になることが怖いんだな?」


 俺は一度大きく頷き、女性の目を真正面から見据えた。その目は、自称殺人犯とは思えないほど透き通っている。しかし、次に発せられた言葉は、俺を激昂させるのに十分な破壊力を持っていた。


「しかしだ。もし君が、自分の倫理観を振りかざして戦うことを拒否するというのなら、君にとってご両親は『その程度の存在』だったということだ」

「なっ……!」


 俺が両親のことを軽視していたというのか、この女は?


「自分が汚れることもなく、都合よく仇が死んでくれるはずがない。自分の力で、敵を殺すしかないんだ。それをできないと言い張るのは簡単だが、君はそんな自分を許せるのか? 両親のために復讐することすらできない、自分自身を?」

「てめえ!」


 俺は女性の手を振り払い、勢いよく拳を繰り出した。が、その手は宙を捉えるのみ。逆に俺は軽い足払いをかけられ、前方に転倒する。かと思いきや、女性の掌が勢いよく俺の胸に押し当てられ、俺は反対側、ベッドの上にそのまま押し倒された。

 女性は間髪入れずに、自分の両手で俺の拳を押さえつけ、上半身を折って俺の身動きを完全に封じてしまった。


「その怒りと憎しみ、是非お借りしたいものだな」

「ッ……! あ、あんたなんかに俺の気持ちが分かってたまるか! 俺は両親を殺されたんだぞ!」


 すると、女性の顔から余裕が消えた。というより、あらゆる感情がさっぱりと流れ落ちた。


「佐山、君は私の両親が健在だとでも思っているのか?」


 違う、のか。いや、確かに恵まれた家庭にいれば、こんなことをする理由はないだろう。


「あんたも、両親を殺されたのか?」


 俺の問いに、女性は両手を引っ込め、ゆっくりと姿勢を戻した。


「確かに、君のことを勝手に調べておきながら、こちらが手の内を明かさないのはフェアじゃないな。すまなかった」


 俺は上半身を起こし、押さえつけられていた両手を擦り合わせながら、ベッドに腰かけて姿勢を正した。そんな俺を見ながら、女性は机のそばにあった回転椅子を指差す。

 俺が頷くと、ゆっくりとそこに腰を下ろした。


「私の両親は、敏腕の刑事だった。署内での評判もよくてね、何度もいろんな賞を獲って、しかし奢り高ぶることはない。コツコツと地道に捜査する姿は、娘の私にとっても、誇りだった」


 しかし。


「ある時、二人が単独で、反政府組織のアジトに向かわされたことがあった。もちろん制圧ではなく、偵察が任務だ。だが、二人は敵と遭遇し、殺されてしまった」

「そ、それは……」


 こんな時、何て言えばいいんだ? 『お気の毒に』とか『ご愁傷様』とか? ええい、それでは斎場で俺に言葉をかけてきた親戚連中と一緒ではないか。


「母はまだよかった。銃撃戦で即死させられたそうだったからな。だが、父は違った。身体が丈夫なのが取り柄だったんだが、その……」


 いきなり言い淀む女性。先ほど会ったばかりとはいえ、それが彼女にとって、とても重い心理的な枷になっていることは分かった。


「い、言いたくなければ、俺は聞かないけど」

「いいんだ」


 すると女性はすっと息を吸って、信じられない言葉を告げた。


「人体実験に、使われたんだ」

「じ、じん……?」


 息を吐き出しながら、次の言葉を模索するように視線を巡らせる女性。


「詳しくは私も知らされていない。知らない方がいいのかもしれないな。きっと父も、殺された方がマシだというほどの苦痛を味わっただろうから」

「そうだったのか……」


 俺は口元に手を遣り、くぐもった声でそう言った。


「すまないな、佐山。突然押しかけてきて、こんなつまらない話を聞かせてしまって」

「ああ、いや」

「さて、まだ自己紹介もしていなかったな。私はこういう者だ」


 回転椅子から立ち上がりつつ、女性は名刺大の紙を二枚取り出した。

 一枚は、そのまま名刺だ。『美奈川葉月』とだけあり、裏に電話番号が二列。

 もう一枚は、ある男の写真だった。カウボーイハットを被り、皮のジャケットを羽織って、真っ青な瞳の下で太い葉巻をくわえている。まさに西部劇の世界から飛び出してきたような風貌だった。


「そいつはダリ・マドゥー。メイプルデパート爆破テロ事件の首謀者だ」

「こいつが?」


 俺は女性、もとい葉月の方へと身を乗り出した。しかし、


「おっと、もうじき作戦だな」

「作戦って……」

「戦いに行くんだ」


 事も無げにそういう葉月。


「テレビは点けっぱなしにしておいてくれ。私たちの活躍を見せられるかもしれない。それじゃ、決意できたら連絡をくれ」

「ああ、ちょっと!」


 これまたさらりとした挙動で振り返る葉月に向かい、俺は問うた。


「怖く、ないのか?」

「怖いね」


 即答だった。しかし、


「佐山、君が味方についてくれたら、少しはマシになるかもな」


 と言葉を重ねた。


「忘れないでくれ。我々は、テロリストを狩るテロリストだ」


 そう言って、今度こそ葉月は俺の部屋から出て行った。

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