第4話
※
爽やかな海風に別れを告げ、俺は撤収用車両の助手席に乗り込んだ。撤収用といっても、特別な仕掛けがあるわけではない。いや、もし仕掛けがあったとすれば、目立ちすぎて移動に使うことはできないだろう。やや大きめの、よく見るミニバン。無個性そのものだ。
運転席には葉月が、後部座席には憲明が搭乗する。憲明は座席に座り込むなり、ガトリング砲を解体し始めた。座席の下に収納するためだ。流石に車両の天井に括りつけて運ぶわけにはいかない。
かく言う俺も、拳銃の弾倉を取り替えてからダッシュボードに収納した。これから帰途につくわけだが、何者かが待ち伏せしている可能性もある。奇襲された際、すぐさま反撃に転じるには、拳銃がどうしても必要だった。基地に帰り着くまでが作戦である。
と、その前に。
「葉月、今日の和也の狙撃ポイントはどこだったんだ?」
そう、援護射撃をしてくれた和也の身柄を安全に確保しなければならない。
俺の質問に対し、葉月は事務的な口調で答えた。
「繁華街の裏道に入った雑居ビルの屋上だ。今から和也を回収に向かう」
「了解」
カーナビの指示に従って走ること約五分。
「いたぞ、和也だ」
暗闇に混じって、小柄な人影があることを俺は認めた。ちょうどその人影に横付けするように、ミニバンは滑らかに停車する。
「もう、おっそーい! ジュンが撤収準備をしてくれ、なんて言うからさっさと降りてきたのに!」
そう言って、自分には丈の合わない長袖シャツの袖をパタパタとはためかせる。
「悪いな、和也。一悶着あったもんで」
俺が肩を竦めながら答えると、和也は車の前方を回り込み、運転席を覗き込んだ。
「ねえ葉月、怪我はない?」
「ああ。皆無事だ」
「よかったあ! 作戦は大成功だね!」
そうだな、と言いかけた俺の言葉を遮るように、憲明が静かに口を開いた。
「はしゃぐな和也。勝って兜の緒を締めよ、って言葉を知らねえのか? 今はまだ作戦中だ。気を抜くんじゃねえ」
「そうかしこまらないでよ、ノリ! 葉月も皆も怪我しなくて済んだんだからさ!」
葉月だけを特別扱いする和也の言葉。無意識に言っているとしたら、ある意味随分と肝の据わった奴である。
何やら複雑な顔をしている葉月に代わり、俺は和也に席に着くよう促した。
和也はへいへいと軽い返事をしながら、狙撃用ライフルを折り畳み、憲明の隣に滑り込む。
「葉月、もう出発して大丈夫だぞ」
少しばかりぼう、っとしていた葉月の肩を叩く。すると、葉月は僅かに肩を震わせ、
「ん? ああ、そうだな」
と言って車を発進させた。
「ところで佐山、RCは解除したか?」
「おっと、忘れるところだった。このへんだな」
俺は自分の右のこめかみのあたりを、強く指圧した。直後、ずるり、と身体が座席から滑り落ちかけた。
「だ、大丈夫か、佐山?」
「ああ、悪い。疲れが出ただけだ」
リアル・コンバットモード、通称RCは、俺が有する特殊能力の一種だ。
いきなり特殊能力、と言われても、周囲が困惑するのは当然。だが、発現した能力をみすみす行使せずに戦うなど、宝の持ち腐れというものだ。
具体的には、左のこめかみに衝撃(先ほど葉月が俺を叩き起こした時のような打撃)が加わると、俺の知覚・運動能力が飛躍的に向上する。具体的には、視覚や跳躍力、拳銃の狙いの精確さが格段にアップする。
しかし、この能力を行使できるのは、一日につき十分まで。そのカウントダウンは、俺の脳内で無意識のうちに行われ、戦闘を続行するか撤退するかの指標となる。今日はその十分の間に、上手く作戦を終了させることができた。
もう一つ特徴を挙げよう。RCは、左のこめかみが起動スイッチで、右のこめかみが終了スイッチになっているのだ。だから、俺は今、RC発動中は感じなかった疲労感を覚えている。ちなみに、十分の間であれば、起動、終了、再起動という芸当も可能である。
どうして俺にこんな能力が与えられたのか、それはよく分からない。しかし、それが作戦における要となっているのは紛れもない事実だ。俺が戦わずして、誰にどうしろと言うのか。
「お疲れだな、佐山」
「ふあ……ん? ああ」
運転席の葉月に向かい、俺は視線と欠伸で応じる。
「まあ、あれだけ跳び回っていれば無理もない。ゆっくり休んでくれ。基地に着いたら起こす」
「了解」
止まることを知らない欠伸を噛み殺しながら、俺は素っ気ない返事をして、ゆっくりと瞼を閉じた。まさか今晩の眠りの中で、二ヶ月前のこと――俺が大人を憎むきっかけとなった事案が脳内再生されるとは思いもよらなかったが。
※
二ヶ月前、今年の五月中旬。近所の斎場にて。
広い畳の間に、俺は正座していた。俯き、無気力で、胸にぽっかり大きな穴が空いてしまったような思いで。
つい先ほど、両親の遺体が火葬されたところだ。いや、この言葉には語弊がある。俺は、その遺体が――赤みがかった骨の欠片が、両親のものかどうか、確認する術がなかったのだ。
後に『メイプルデパート爆破テロ事件』と称される事案によって、俺の父親は行方不明となった。
母親は、警察の方で身元が特定されたらしいが、一人息子である俺には遺体を見る機会がなかった。あまりにも悲惨な状態だから、というのが、俺に伝えられた全てだ。
唯一の家族だった二人が、揃っていなくなってしまった。唐突に、呆気なく、何の前触れもなく。
こんな事態に陥っても、俺は涙一滴流さなかった。否、流せなかった。その代わりの意味合いだろうか、今朝からぐずついていた空は、いつのまにか大粒の雨を降らせていた。
悲しみや悔しさといった概念すら、俺の胸中にはなかった。あるのは、真っ黒な喪失感のみ。
しかし、そんな俺の心の底から芽を出した感情があった。意外なことに、それは『怒り』だった。俺の周囲の大人たちの言葉が、俺の剥き出しになった心を嬲ったのだ。
「全く、日本も物騒になったわねえ、爆弾テロだなんて……」
――うるさい。
「ご両親お二人共亡くなられたんでしょう? お子さん、どうするのかしら……」
――黙れ。
「本当にいるのね、運がない人って……」
その言葉に、俺の脳内でぶちり、と何かが千切れる音がした。これ以上、こんな場所にいられるか。この場を後にすべく、片膝を立てたその時だった。
「潤一くん」
背後から声を掛けられた。振り返るまでもなく、誰が話しかけてきたのかは察せられた。父方の伯父だ。
俺が座り直し、肩を落としたままでいるのを目にして、伯父は俺の前に回り込んできた。
流石に無視するわけにもいかず、僕は『伯父さん』と一言。
「久しぶりだね、潤一くん。まさかこんな事件に巻き込まれるなんて」
「巻き込まれたのは俺の両親です。僕は関係ありません」
関係ない。そう言って泣き寝入りしなければ、心の平静を保てなくなりそうだった。
「伯父さん、何か御用ですか」
俺の憔悴した様子に伯父はやや身を引いた。だが、すぐに俺の正面で正座をした。何かを手渡す気配だ。
「潤一くん、これを」
渡されたのは、鍵だった。
「伯父さん、これは?」
「ああ、私が所有しているマンションの鍵だ」
そうだった。伯父は敏腕弁護士にして資産家でもあった。マンションの一棟や二棟、所有していてもおかしくはない。
「君が成人するまで、養育費を賄ってあげようと思ってね。これは君の住まいの鍵だ」
「元の家には帰れないんですか」
力なく尋ねると、伯父は丸眼鏡の向こうで目を細め、口をへの字にして腕を組んだ。
「残念だが、君は元の家には帰れないな。親戚の中で、いろいろと遺産相続の手続きがあってね、あの家はすぐに売却されることになったんだ。すまない」
だが、伯父の釈明が俺の耳に入ることはなかった。俺と両親の思い出の詰まった家が、売却される、だって? いつの間に、大人たちはそんな取り決めを結んだのか。
その疑問は、すぐさま怒りへと転じた。しかしその怒りは再び変化し、あの家での思い出が一気に瞼の裏で展開された。
様々な場面が、描かれては消えていく。だが、最後に行きついたのは、母の笑顔だった。
(おかえりなさい、潤一! 今日もボクシングジムに通ってきたのね? 今お風呂を沸かすから)
親離れ・子離れが上手くいかなかった、典型的な核家族像だろう。だが、それは俺たち親子が仲が良かったのだということの証明にもなる。誰に対して示すのかは知らないが。
いや、俺はきっと、自分に対して証明したかったのだ。そして、勝手に大人たちの都合で住居を奪われるという事実を前に、再び怒りが湧き上がってきた。
拳がふるふると振動し、掌に爪が食い込むほど、ぎゅっと握りしめられる。
いつでも俺や父を気遣い、笑顔を絶やさなかった母。そんな彼女は、実の息子にも見せられないような酷い姿になって発見され、検分され、そして火葬された。父に至っては遺体すら見つかっていないという。
こんな理不尽がまかり通っていいという道理がどこにある?
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