第2話【第一章】
【第一章】
ぐわんぐわんと、頭の中が揺さぶられる。脳みそが洗濯機の中に放り込まれたら、こんな感覚になるのかもしれない。視界は真っ暗で、自分が今どんな状態に置かれているのかもよく分からない。
そんな中、最初に覚醒したのは聴覚だった。誰かが俺の名前を呼んでいる。佐山、佐山と繰り返し。
同時に鼓膜を打ったのは、スタタタタッ、とかパララララッ、という連続したキレのいい音だ。いや、単に『キレのいい』と言ってしまうには語弊がある。何か、ざわざわと俺の胸にまとわりつく、不快な感覚がその音には含まれていた。
そうか。これはきっと殺気だ。誰かが俺たちを殺そうと、力を行使しているらしい。
待てよ。『俺たち』? ああ、そうだ。俺は一人で戦っているわけではない。かけがえのない仲間がいる。
そこまで考えが及んだ時、ようやく俺は、目の前に誰かが立っていることを認識した。視界はまだぼんやりしているが、その人物が女性であること、長いポニーテールが特徴的なこと、そして彼女が俺の頭部を揺さぶっていることは把握できた。同時に彼女が仲間のうちの一人であるということも。
「は……づき……?」
俺は自分の口から、彼女の名前が零れるのを耳にした。しかし、唇を動かしているという実感はない。未だに感覚は濃い霧の中で、はっきりしないのだ。ただ、彼女――美奈川葉月が俺の名を呼んでいることは分かった。
すると、耳元から別の声が聞こえてきた。低い男の声だ。声の主は、きっと大林憲明。
《潤一、なにぼさっとしていやがる! さっさと前線に出ろ! 葉月、このままだと押し切られるぞ!》
「待て、憲明! 佐山は脳震盪を起こしたようなんだ!」
脳震盪? 俺が脳震盪を起こした、だって? 一体何があったのだろう。俺は夜霧の中を手探りで進むように、自分の記憶を引っ張り出した。
そう言えば、ここに入ってきた時に、何かで頭を打った気がする。それが脳みその振動と鈍痛をもたらしているようだ。
そうだ。確かに俺は頭を打った。軽量コンテナの山が崩れ、俺の頭頂部に命中したのだ。
そこまでは頭が回ったものの、今の自分の状況を確かめるには至らない。
負傷したのか? 出血は? 骨に異常はないか?
感覚麻痺で動けずにいる俺を前に、葉月は一言。
「許せよ、佐山!」
同時に、左側頭部が強打された。葉月に殴られたらしい。仲間を殴ることはないだろうに、と思った直後、俺の意識は急速に覚醒した。目が覚めたのだ。ざあっ、と音を立てて、感覚器官を覆っていた霧が消えていく。
出血はない。頭の鈍痛も消えた。骨や筋肉も無事だ。四肢も無傷だが、だらしなく地面に投げ出され、上半身は何かにもたれかかっている。きっと、これもコンテナのうちの一つだろう。俺はぺたりとへたり込んでいる体勢だ。頭には、仲間で音声を遣り取りするためのヘッドセットを装着している。
二、三度瞬きをする。その間に、俺は今日の作戦内容を明瞭に確認し直していた。
「葉月、状況は?」
俺はずいっと片膝立ちになり、葉月と真正面から目を合わせる。突然動き出した俺に驚いたのか、葉月は一度身を引いたが、すぐに真剣な眼差しを取り戻した。
「警護についている人数が情報より多いんだ。このままでは、私たちは全滅する。戦えるか、佐山?」
ふと視線を左右に遣ると、銀色に輝く拳銃が二丁。どちらもオートマチックだ。
俺はさっと手を伸ばし、それぞれのグリップを握りしめた。そのまま耳の高さまで持ち上げ、重さを確かめる。どうやら弾倉はフル装填され、初弾も既に込められているようだ。
『冷静であれ』――そう自分に言い聞かせ、俺はコンテナに背中を当てたまま立ち上がった。
「任せろ、葉月。憲明にも連絡してくれ」
「分かった。憲明! 佐山が出るぞ、援護射撃体勢に移ってくれ!」
《待ちくたびれたぜ、潤一! 着地の隙はカバーするから、思いっきり暴れてこい!》
「了解だ」
俺は無表情のまま、自分たちが盾にしているコンテナからそっと顔を出した。
敵の数は、ざっと十五、六人。全員が拳銃、あるいは自動小銃を手にし、こちらに銃撃を加えている。空を斬る音がして、俺はすぐに頭を引っ込めた。
「三秒数える。葉月、憲明、援護射撃を頼む」
「了解!」
《任せろ》
俺は胸中で、ゆっくりと三つ数えた。恐怖心はない。罪悪感もない。失うものも何もない。
ふっと短い息をついて、俺はコンテナの陰から飛び出した。同時に、葉月がこちらから、憲明が反対側から転がり出て、自動小銃による射撃を開始した。
今俺たちがいるのは、関東某所の湾岸地区だ。既に放棄された、古い倉庫。かまぼこ型をしていて、高さは二十メートルほどもある。中は小ざっぱりしていて、突入口から反対側、すなわち海に面している方まで、左右の壁面を埋めるようにコンテナが積まれている。
ここで行われていたのは、麻薬の密輸だ。薬物は、容易に暴力団やテロリストの資金源となる。換金される前に、何としても叩いておかねばならない。
夜間であるため光源が乏しく、薄暗い中での戦闘だったが、覚醒した俺には何の支障もなかった。縦長の倉庫を横切るように、俺は反対側へと駆ける。そして、軽く跳躍してからコンテナを思いっきり蹴りつけた。
べこん、と金属のひしゃげる音がする。俺は三角跳びの要領で宙を舞った。それからまた反対側のコンテナを蹴りつけ、高度を上げる。同時に、前方へと身体の重心をずらし、接敵していく。
べこん、べこん、べこん。呆気に取られる敵の挙動を注視しつつ、距離を詰める。敵は何やら喚いていたが、ようやく得物を構え直し、俺を狙おうと試みた。が、遅い。
俺は握っていた拳銃を、さっと前方へ突き出した。
パン、という軽い発砲音とともに、排出された薬莢が後方へと流れていく。間を置かずして、最前線にいた敵の眉間に真っ赤な華が咲いた。
もちろん、ここで銃撃を止めるつもりはない。俺は連続して指先に力を込め、次々に敵の頭蓋をぶち抜いていく。悲鳴を上げる間もなく、膝を着き、ばったりと倒れていくテロリスト共。
五人目を倒したところで、俺は垂直に落下し、受け身を取るように着地した。
「今だ、やれ!」
そんな声が聞こえたが、生憎俺は一匹狼ではない。後方には葉月と憲明がいる。俺に目を奪われていたテロリスト共は、あっという間に蜂の巣にされた。
一旦コンテナの隙間に身を潜めた俺は、拳銃の残弾を確認した。まだ弾倉を交換するには早いだろう。そう考えた、次の瞬間。
ドオン、という、銃器には非ざる音と振動を伴って、何かが炸裂した。頭上から僅かな砂埃が降って来る。
「二人共、一旦退け!」
ヘッドセットのマイクに吹き込む俺。再び響き渡る轟音。砂塵の向こうにいる敵の正体を確かめるべく、俺は再び跳躍した。
そして、確認した。一際背の高い男がいて、危険極まりない武器を有していることを。
「グレネードランチャーか」
俺は、我ながら無感情な声で呟いた。弾丸ではなく、手榴弾のような爆発物を目標へ向かって発射する筒状の携行兵器。射程は短いが、威力は拳銃の比ではない。
敵も目がいいようで、天井近くにいる俺を明らかに捉えていた。ランチャーの矛先が、俺に向けられる。
「チッ」
仕方ない。一旦下りよう。俺は十五メートルほどの高さから飛び降り、さっと着地した。三発目のグレネードが天井近くで炸裂する。落下物から身を守るべく、俺は倉庫の反対側へ。走りながらも、砂塵の中で銃撃する。
手応えはあった。しかし、敵の倒れる気配はない。あれだけの大男が倒れれば、すぐに気づくはずなのだが。
なるほど、重火器を任せられたぶん、防御策を取っていたのか。防弾ベストでも着用していたのだろう。ならば、狙うは頭部。
俺は身を屈め、コンバットブーツに装備していた短刀を抜き、思いっきり地面を蹴って疾走した。砂塵が濛々と立ち込める中を、ジグザグに駆ける。そして、頭上から見た時の大男がいた場所へするり、と滑り込んだ。
大男は咄嗟にランチャーをこちらに向けたが、その挙動はあまりにも遅かった。俺が敵の脇腹に、短刀を突き立てるのに比べれば。
「がはっ!」
俺は間髪入れずに顎を蹴り上げ、大男の顔を上向かせた。ゆっくりと、こちら側に倒れてくる大男。それをバックステップで回避しながら、俺はゆっくりと拳銃を構えた。そして、発砲した。ちょうど大男の両目を撃ち抜くタイミングで。
これで、葉月や憲明が爆発物の脅威に晒されることはなくなった。と同時に、俺たちとテロリスト、両方にとって隠れ蓑になっていた砂埃がさっと消え去った。海風が、倉庫わきの巨大な鉄扉から吹き込んできたのだ。
俺はサイドステップで銃撃をかわし、再びコンテナの陰に。そしてマイクに吹き込んだ。
「お前の出番だ、和也」
《待ってました! すぐ片づけるよ!》
この場に不似合いな明るい声音で、そいつ――小野和也は答えた。
すると、俺が隠れたコンテナに殺到していた銃撃が、だんだんと静まり始めた。代わりに聞こえてくるのは、人が倒れるドサッ、という掠れた音。
銃声がほとんど消えたところで、俺はそっとコンテナの陰から顔を出した。そこには、五、六人のテロリストの死体が列を成していた。全員が頭部を撃ち抜かれている。和也に狙撃されたのだ。
「いい腕だ、和也。もうじき終わるから、撤収準備にかかってくれ」
《りょーかい! 頑張ってね、ジュン!》
俺はマイクを切り、残る敵の殲滅へと移った。
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