㉓天使VS淫魔~恋の結末

 目覚まし時計の音で、私は目覚めた。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、地味に眩しい。

 ――夢、か……。

 とても、恥ずかしい夢を見た。

 よく夢はその人の深層心理を表すというけど、本当の事だ。あれは、紛れもなく私の深層心理――私の知らない、私の願望なのかも知れないから。

「うーん……身体も、ちょっと痛い」

 夢で起きた事は、当たり前だが全部夢で、現実ではないのに、妙な疲労感が残っている。

「いけない、いけない。切り替えていかないと」

 と、私は軽く自分の頬を叩いて、ベッドから出る。

 その時、廊下から足音が聞こえた。

 微かに開いた扉から、彼が顔を覗かした。


「おはよう……癒姫」


「おはよう……じゃないよ。起こしてくれても良かったのに」

「ごめん、ごめん。とても気持ちよさそうに寝ていたから……それに、僕がちょっと早く起きちゃっただけで、寝坊ではないから、いいかなって」

「そ、そう」

 彼のいう”気持ちよさそう”は全く別の意味だが、少しだけ悪い事をしているような気がして、冷や汗をかいた。

「それにしても、随分疲れた顔をしているね……先に顔を洗ってきたら?」

「そうする」

 と、私は重い身体を引きずりながら、洗面所に移動する。その時、枕元に置いておいたスマートフォンからもアラームを知らせる音が鳴った。

「もう起きているってば」

 スマートフォンに文句を言いながらアラームを切っていると、彼が苦笑した。

「夜遅くまでスマホいじっているから、疲れがとれないんじゃない? 昨夜も、なんかやっていたよね? ゲーム?」

「違うよ、あれは……占い? おまじない、サイト? みたいの見てたら、寝落ちちゃったの」

「学生じゃないんだから」

 と、笑いながら彼が言った。

「もう、バカにして」

「ごめん、ごめん。それより、朝食は作っておいたから、早く顔洗ってきな」

「うん、ありがとう」

 そう言って寝室を後にするが、脳裏をよぎるのは、昨夜の出来事だ。

 ――寝る前に見ていた、おまじないサイト……なんだっけか?

 ――名前が思い出せない。

「たしか、”叶わない恋を成就させるおまじない”とかだった気が……」

 そんな感じの胡散臭い、よくあるオカルトサイト。興味半分でサイトのおまじないをやっていたら、気が付いたら寝てしまっていた。

 ――でも、まさか、あんな夢見るなんて……。

 ――もう、恥ずかしい!

 夢で起きた事を思い出し、私は自分でダメージを食らい、その場で蹲る。

 ――いくら夢の中だからといって、親友を穢してしまうなんて。

「はぁ……それにしても、夢にしては、妙にリアリティーがあったような……」

 触れた感触も、夢に出てきたあの子も、全部本物みたいだった。

 その時の事を思い出し、私は無意識に自分の唇に触れた。

 ――サユリの唇、すごく柔らかくて、お花さんみたいだったな。

 ――……って、いけない、いけない!

 あれは夢で、本当の事ではない。

 実際、最初に現れたサユリが、「これは夢だ」とはっきり言っていたのだ。だから、間違えない。あれは夢で、現実ではない。どんなにリアリティーがあったとしても、所詮夢は夢でしかない。

 ――だけど、あの夢、少し変だったな。

 最初に現れたサユリは、サユリの姿を借りた誰かが、サユリのふりをしているみたいだったけど――途中から、現れたサユリは、私の知るサユリそのものだった。

 ――あれは、何だったんだろう……。


      *


「ごめんね、朝ご飯作らせちゃって」

「いいよ、慣れない事は少しずつ慣れていけばいいんだから」

 朝食を食べ終えた私達は、洗い場で肩を並べながら食器を洗う。傍から見たら、仲睦まじい新婚に見えなくはないが――

「こうやっていると、本当に、新婚さんみたいだね」

 彼が言った。

「一応、新婚でしょ」

「そうだね」

 と、彼は普段と変わらない爽やかな笑顔で返した。

「だけど、結婚してもらった私が言うのも、何だけど、本当に良かったの?」

「何が?」

「私と、結婚しちゃって……だって、私は……」

 と、そこまで私が言うと、彼は手が洗剤で汚れているせいか、手ではなく、額を軽く私の頭にぶつけて、発言を止めた。ちょっと痛い。

「それは言わない約束だろ?」

「だけど……」

「それに、プロポーズした時に言っただろ。僕は、あの人が好きな君ごと好きになったんだ。だから、君は君のままでいい。結婚したからって、君の恋心まで奪おうなんて思わないよ」

「ほんと、変わっているよね……貴方って」

「そうかな? 僕から見たら、君の方が十分変わっていると思うけど。だって……他に好きな人がいながら、僕のプロポーズを受けてくれたんだから」

「うん、そうかも……私の恋は、いけない恋だから。絶対に、叶う筈ないもん」

 それに、まだこれが本当に恋なのか、実感がない。ただ単に、いつも傍で寄り添い、守ってくれる親友への憧れであって、恋心とは違うかも知れない。

 ――だけど、何だろう。

今は、胸張って、あれが恋だと言える自分がいる。

 ――あの夢のせいかな?

 そんな事を考えていると、彼が言った。

「だから、そのままでいてね」

「え?」

「そのまま、サユリさんを好きなままでいて。僕は、サユリさんに恋している君ごと、君を好きになったんだから」

「うん、知ってる。君こそ、途中で”やっぱり僕が一番じゃなきゃやだ”とか言わないでよ」

「あー、それはないよ。だって、僕だって、サユリさんが好きなんだから」

 少しだけ寂しそうに彼は言った。

「君と私は、よく似ているね。同じ人に、勝手に恋して、勝手に玉砕して……」

「うん、だから、結婚しようと思えた」

「そうかもね」

 と、私達は互いに笑った。

 傍から見たら、仲睦まじい新婚。そして、傍から見たら、とても異常な関係にも見えるだろう。

 私はサユリが好きで、彼もサユリが好き。だけど、サユリはどちらも好きにならない。それが分かっているから、互いに身を引いた。

 ――まあ、彼にいたっては、サユリにフラれているけど。

 それをサユリが気付いているかは分からないが。あの子、鈍いから。

「こういうのって仮面夫婦っていうのかな」

「どうだろう? 僕らの場合は、少し違うんじゃないかな。相手の事、何とも思っていないわけじゃないから」

「それは……そうかもね」

 私達の関係は、とても異常だ。

 互いに同じ人を好きになって、同じ人に失恋した。

 そして、その痛みを補い合うように、付き合い始め――結婚までに至った。

 だからといって、相手の事を何とも思っていないわけでもなく――私も、彼も、互いの事をちゃんと好きだ。愛とは少し違うかも知れないが、ちゃんと好き。それだけは確かだ。だから、私達は夫婦になる事にした。

 二番目に好きな人と、一番好きな人への恋を封印しなくていい、という条件付きで。

「ねえ、もしサユリがいつか結婚したら、私、ちゃんと笑えるかな」

「その時は、僕が誤魔化してあげるよ。僕、嘘をつくのは上手いから」

 とても間違った事を言っているのだろうけど、その彼の言葉がとても嬉しく思えた。

 ――あー、やっぱり彼と結婚して良かった。


      *


 ――夢を、見た。とても、恥ずかしくて、そして幸せな夢を。

 スマートフォンのアラーム音で起きた私は、少しの疲労感を覚えた。夢の出来事は夢の物で、現実ではない筈なのに――何故か、とても疲れた。

「夢、か……まあ、当たり前だよね」

 あの子は、今は好きな人と一緒になって、新しい人生を二人で歩み始めているのだから。

 癒姫が結婚してからは、ずっと後悔を抱えてばかりで、胸の奥にドス黒いものが蠢いていた。

 ――だけど、あの夢のおかげかな。今は、とてもすっきりしている。

 こんなに清々しい朝は、久しぶりかも知れない。


 ――『恋をして、良かった』


 夢の中で、私はそう思った。

 私の恋は、本来なら落ちてはいけないもので――間違っていて、異常で、ありえないものの筈なのだが。

 あの夢で思いの丈を叫んだせいか、とても気分がすっきりしている。

「ありがとう、癒姫……私は、本当に貴女に恋をして良かったよ」

 もう後悔に苛まれる夜は来ない。そう断言出来る程に、今はすっきりしている。

 私は飾ってある癒姫と彼の、いつかの思い出の写真に手を伸ばし――そっと写真立てを閉じた。

 ――報われない恋でも、恋に落ちた事には変わりはない。

 ――だから、良かったんだ。

 たとえ間違ったものでも、この恋を捨てなくて良かった。


「さて、会社行くか」


 重かった身体はいつもの調子を取り戻し、慣れた動作で洗面台へ歩む。

 さて、また私の一日が始まる。

 忙しい仕事と、頼もしい仲間に恵まれた、平凡だけど素敵な一日が、始まる。


「帰りに、アルバムでも買ってこようかな」


       *

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