⑳天使VS淫魔~淫夢の中で叫ぶ、封印した恋

『へえー、サユリちゃんが好きだったのは、友達の癒姫ゆきちゃんだったって事―うんうん、分かる分かる。周りに結構いい男いっぱいだったのに、スルーどころか、我らキューピッド様のパワーはねのける勢いだったもんね。好きな人が結婚してショックーって旦那の方じゃなくて、花嫁の方だったんだねーうんうんうんうん、何でそうなるのおおお!?』

 アモールの叫び声が、夜空に響いた。

「アモール嬢、少しは落ち着いてくだせえ。いくら人間に姿が見えないからって……ここ、一応、サユリ姉さん家の屋根の上ッスからね」

 リリンが淫夢に入ったため、アモールとメアは行く場所がなく、ひとまず一番間近のサユリの部屋の屋根の上にいた。といっても、メアがアモールに引っ張られてきただけだが。

『だって、リリンが、”お前は、何も分かっていない”とか、”まあ、技を盗むくらいは出来るでしょう。そこで、見ていなよ、セニョリータ”って言うから』

「そこまでは言ってなかったと思いますが……というか、あんたの妄想のお嬢、だいぶ美化されてね?」

 アモールの脳内リリンの姿に突っ込みながら、メアはリリンの事を思い出す。

 ――何か、今回のお嬢は、いつもより慎重だな。

 毎回ずかずか行きすぎなだけかも知れないが。

『でも、どうなっちゃうんだろう』

 アモールが膝を折って、少し拗ねた風に言った。

「どうって……」

『サユリちゃんだよ。好きな相手が結婚しちゃって失恋したかと思ったら、同性となると……新しい恋の相手を見つけるのも大変そう。今思えば、運命の相手が空白だったのは、そういう事だったのかもね』

「そういうと言いますと……」

『多分だけど、サユリちゃんは、この先誰とも恋に落ちないんじゃないかな。だから、運命の相手も空白のままで……』

「うーん、それはどうでしょうかね」

『え?』

 アモールがキョトンとした顔でメアを見ると、孫を諫める老人のように静かな口調で言った。

「そもそも、同性間の色恋は、我々キューピッド側からすると、すっごく判断が難しいんスよ」

『同性だから? たしか、この国も、昔は男色とか流行っていたらしいけど、キリスト教が渡来してきた時に、”同性の恋愛は禁忌だ”って言われて、徐々に同性間の色恋はよくないって空気になって、長い年月をかけて、悪い物としてのけ者にされたり、逆にそれは差別だって訴えたり、時代によってあり方や捉え方が変わってきたのよね』

「あんた、一応、教養あったんですね」

 正直、ただのバカかと思っていた。

『どういう意味よ? 私は、天界に仕えし、キューピッド様よ。ある程度、人間の世界の事情くらいは把握しているわよ』

 ぷん、と分かりやすい効果音を立ててアモールは頬を膨らませる。

『まあ、設定上、私達ってキリスト教寄りだから、一応NGって事にはなっているけど』

「設定とか言うなよ。色々台無しだよ、おい」

『時代によって、そういった恋愛観は変わりゆく物だけど、たしか、今では、世界的に認知されていて、法律や制度とかでそういった人達への差別をなくそうとする運動も活発のようね』

「あんた、意外に出来る子やな」

『当然よ』

 遠回しにバカにされた事を知らず、アモールは胸を張った。

「ただ、あのお姉ちゃんもそうですが、そういった部類かどうかまでは分からないんスよ」

『えっと、つまり、サユリちゃんが百合じゃないって事?』

「そういう単語よく知ってんな、あんた……まあ、そんな感じッス」

 アモールに突っ込みつつも、メアは語る。

「同性愛っていっても、様々じゃないですかい。同性にしか性的魅力を感じないタイプもいれば、好きになった相手がたまたま同性だったタイプ……まあ、中には両方いけるタイプもいますが」

『見た感じ、サユリちゃんは……どっちだろう』

「そこなんスよ。この手の対象が難しいのは。単純に同性しか愛せないのか、偶然好きになった相手が同性だったのか……特に、あのお姉ちゃんは、初めての恋だったみたいッスからね」

『リリンは、どうするんだろう』

 アモールが部屋の中で眠るサユリを見つめながら言った。

『サユリちゃんの性質がどちらにしても、サユリちゃんの恋は、もう……』

「さあ、どうなるんでしょう。使い魔のアッシには、分かりやせんよ。だけど、それも、恋ッスよ」

 こくり、とメアはアモールの頭の上に乗っかりながら頷く。

「恋は、恋ッス。相手が誰であろうと、恋は、恋ッスよ」

『そうだね。恋には、変わりないもんね』

 だけど――、とアモールは付け足す。

『そうなると、尚のこと、リリンの考えが分からない。もう敗れている恋を、終わってしまった恋を、一体どうするつもりなの?』

 アモールは訴えかけるように言う。

「どうって……」

『敗れてしまった恋は、もう元に戻らない。だから、私は、新しい恋と巡り合わせる事で、その人が幸せになれるようにしてきた。実際、それが一番幸せな方法だと思っていたから。だけど、リリンは、違うんだね。私とは……』

 アモールは続ける。

『終わったしまった恋を、一生引きずるのは、とても寂しい事。だから、新しい恋で、哀しい恋の思い出を上書きする。そうやって、人は傷ついて、立ち直って、幸せな未来に向かって、少しずつ進んでいく。そう思っていたんだけど……』

「別に、アモール嬢のやり方が間違っているわけじゃありやせんよ。実際、キューピッドとしては、アモール嬢の方が正攻法だと思いますし」

『カメくん』

 と、アモールは感動したように瞳を輝かせてメアを見た。

「ユニコーンです」

 すかさず訂正し、メアは屋根の上から室内を透視し、ベッドの上で眠るサユリの姿を見る。頬が少し紅潮しているように見えるのは、気のせいではないだろう。

 ――おっぱじめやがったか、あの淫魔め。

『ねえ、ウマくん』

「ユニコーンつってんだろうが」

『夢の中で結ばれたとしても、それは所詮夢。現実にはならない。なのに、どうして、淫夢ゆめの世界で、繋がろうとするの? それって、意味があるの?』

「さあ、お嬢の考えは、てんで分かりやせんよ。悪ふざけなのか、本気なのか……ただ、お嬢の淫夢をきっかけに、恋を勝ち取った人達もいました。だから、どうしても、思ってしまうんスよ……たとえ、敗れた恋でも、終わってしまった哀しい恋でも、叶わないと分かりきった恋でも、夢の中なら……せめて、夢の中で、幸せになって欲しいって」

「ウシくん」

「だから、ユニコーン!」


      *


 ――愛している


 そう言った、癒姫ゆきは、さらに深く口づけてきた。

 酸素が足りなくて、脳が痺れる。

 ――これが、夢?

 どんどん速まる鼓動も、酸素が足りなくて苦しい呼吸も――あまりにリアリティーがあって、だんだんと夢と現実との区別がつかなくなっていく。


 ――『ありがとう、サユリ』


 刹那――脳裏に、あの子の花嫁姿がよぎった。

 結婚式で、あの子はそう言って涙ぐみながら幸せそうに微笑みながら、バージンロードを歩いていった。恋人に手を引かれながら――。

「……っ」

 思わず、目の前の癒姫の身体を突き飛ばしてしまった。

「あ……」

 気付いた時、少しだけよろけた癒姫が「おっとっと」とおどけた様子で体勢を戻していた。

「どうしたの? サユリ」

 すぐに私の知る癒姫の花が咲くような笑顔が目の前に迫ってきた。今にも触れそうな程に近い距離で、彼女の吐息が鼻を掠める。

「今日は随分と乱暴ね。緊張しているの?」

「あなたは……」

 誰――。

 そう問いたい筈なのに、言葉が出てこない。

 もしここで、その言葉を言ってしまったら、この夢の世界が一瞬で全て崩壊してしまう――そんな気がした。

 ――これは、現実じゃない。そんなの、分かりきっている。

 ――夢の世界の出来事なんだから、何を気にする必要があるっていうの?

 ――私は、何でこんなに迷っているの。

「サユリ……」

 癒姫が、私の頬に手を添える。

 ――あれ?

 一瞬、癒姫の姿が二重に被って見たような気がした。

 ただの見間違いだったのか、癒姫の姿は私のよく知る彼女そのもので、瞬きした瞬間に今まで感じていた

「ゆ、き?」

 癒姫の瞳の奥で、欲望に似たギラついた光が怪しく瞬く。

 童話のお姫様みたいに穢れを知らない。ゆえに誰からも愛される。そんな運命を持って生まれたかのように、癒姫は色んな人の愛に守られていた。

 両親からの愛、友達からの愛、先輩からの愛、後輩からの愛、教師からの愛。そして、恋人からの愛――。

 私とは正反対のその生き様を、ずっと羨ましく思っていた。

 だからこそ、私は惹かれたんだろう。

 童話の妖精がお姫様を助けるように、動物がお姫様に懐くように、町の人がお姫様を慕うように、そして――いつか必ず運命の王子様が、当たり前のようにお姫様を愛するように。

「癒姫、私は……」

 私は癒姫の手に自分の手を重ねる。

 ――ああ、この手だ。

 日陰にいた私を明るい場所へ導いてくれた、優しい手。

 あの日だまりのような手に、私はずっと守られてみたかった。

 あの優しい眼差しに、私はずっと見つめられていたかった。

 あの謳うような声に、私はずっと名前を呼ばれていたかった。

 

 たくさんの愛に守られて生きてきたこの子からの愛を、私はずっと独占したかった。


「癒姫、私は、貴女の事が、好きだったのかな?」

 私の自問自答にも近い問いを、癒姫はただ聞いていた。

「貴女に恋している。そう自覚してから、ずっと貴女の事で頭がいっぱいで、貴女の事を想うだけで幸せだった。あんなに満ち足りた気持ちになれたのは、あの時が初めてだった。だけどね、同時に、すごく寂しくも思った。だって、そうでしょ? 女の子の私が、貴女に恋していいわけがない」

 だから、すぐにこの恋を封印した。

 心の深い底へ――宝物でも埋めるように。

 ずっとこの恋を否定して、見ないようにしてきた。

「だって、こんなの、おかしいじゃない……っ……変だ、って思うでしょ、誰だって。気持ち悪いって……そう思うに決まっているでしょ」

「……そう、かも知れないね」

 癒姫の肯定に、不覚ながらも胸の奥に痛みを感じた。

 ――そうだよね、癒姫みたいな優しい子だって……。

「だけど……嬉しい、とも思うわ。誰だって、美人に好きだと言われて、嫌な気分になる人はいないでしょう?」

「こんな時にふざけないでよ」

「ふざけてなんかないよ。もしかしたら、私は、ずっとサユリのその言葉が欲しかったのかも知れないから」

 癒姫はどこか哀しげに瞳を細めた。

「その言葉を、ずっと待っていたんだよ、サユリ」

「え」

「だってサユリは、クールで頼もしくて、大人っぽくて……貴女が私に憧れていたように、私も貴女に憧れていたの。だけど、いつもどこか無理をしていた」

「そんな事……」

「あるよ。実際、ずっと本心を語ってはくれなかった」

 癒姫は寂しそうに笑った。

「私は、ずっとそれが欲しかったの。ずっと、サユリの本当の言葉が欲しかった。それがどんなものでも、サユリに……サユリの本当が欲しかったの。サユリが自分で紡いだ言葉で、サユリが自分の声で、サユリの本当の気持ちが知りたかった」

 癒姫の瞳から、一滴の涙が零れた。

「だって、親友なのに、本心も語れないなんて、寂しいじゃない。いつも無理して付き合ってもらっているんじゃないかって不安で……だけど、そうだよね。言えば、良かったんだね」

 指の腹で涙を拭いながら癒姫は笑った。吹っ切れたように、爽やかに。

「貴女の本当が欲しい、ってちゃんと言えば良かった。遠慮していたのは、私も一緒か」

「癒姫は、気持ち悪い、とか思わないの? 貴女は、私の本当が欲しいって言うけど、私の本当は、貴女が思っているような綺麗な物じゃないよ、きっと。今だって……」

 と、私は先程の癒姫がやってみせたように、唇を近付けて、彼女の目尻にキスを落した。

「触れたいって思っているの」

「……うん、いいよ」

 こつん、と癒姫が私の額に身を委ねるように額を合わせた。

「触れて……私も、ずっと貴女に、触れたかった。触れて欲しかったから」

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