⑰天使VS淫魔~恋が導く、敗れた恋の結末

「百瀬、俺は、お前の力になりたい」

 誰も通らない廊下で、部長の言葉がやけに大きく響いた。

 いつもなら、営業の人が慌ただしく駆け回っているが、今は全く誰も通らない。まるで神の手が加わっているようで――。

 ――悩み、か。

 ――もしかしたら、私は吹っ切ったつもりで、まだあの子の事を忘れ切れてなかったのかな。

 ――勝負がついたと思ったのは私だけで、全然気持ちに整理なんて出来てなかったのかな。

「百瀬」

 部長が、心配そうに呼ぶ。

 窓から差し込んだ光に照らされ、長い前髪に光が反射した。

 ――部長って、こんな顔していたんだ。

 そういえば、今までちゃんと見た事がなかった。

 男の人なのに肌綺麗。睫も長くて、少し羨ましい。

 ――私とは、正反対だ。私、髪は硬いし、表情筋は死んでるし……。

 何だか、自分がとても恥ずかしく思えた。

 女性にしては長身の方で、嫌でも目立ってしまう。昔から細めで眼光が鋭いせいで、黙っていると怒っていると思われる事もたくさんあった。

 自分ではそんなつもりはなくても、怖いって思われる事も――。


 ――『サユリは、綺麗よ』


 一人だけ、いた。

 こんな私の手を握ってくれた、女の子が。


 ――癒姫ゆきだけだったな。私に手を差しのばしてくれたのは。


 口下手で無愛想なせいで孤立しがちな私を、あの子だけは怖がらずに接してくれた。あの子がいたから、変に悪目立ちせず、私も青春と呼べる思い出をたくさん作れた。

 可愛くて、優しくて、柔らかくて――あの子は私にない物全てを持っていた。だから、私も自然と惹かれた。あの子みたくなりたいと思った。

 だけど、あの子は私に言った。


 ――『私は、サユリが羨ましい。強くて、格好良くて。私も、サユリみたくなりたかったな。


 そう言って哀しそうに笑った彼女を見て、私は悟った。私達は似ている、と。

 だから、ずっと一緒にいられた。

 あの子が昼なら、私は夜。私が月なら、あの子は太陽。

 そうやって、正反対だけど――正反対だからこそ、互いに憧れた。

 あの子みたくなりたい、って。


 ――だけど、あの子はもういない。


 もう私を支えてくれる人はいない。だから、私が自分で何とかしなくてはならない。

 その筈なのに――


「百瀬」


 ずっと黙っていたせいか、部長が私の肩を掴んで、ぐっと距離を縮めた。

「何か悩みがあるなら、打ち明けてほしんだ。俺は、お前の力になりたい」

「部長……」

 私には、昔から一人で抱え込む癖があった。

 親にも友人にも、あの癒姫にすら、言えない悩みがある。それをずっと抱え込んで生きてきた。それでいいと思った。きっと誰にも理解されないし、されたいわけではない。だから、一生この問題を抱えながら生きていくのだ、とずっと思っていた。

 そして、その事を誰にも悟られないようにするのは当然で、一人で抱え込む事が当たり前の事だと――。

 ――だって、そんなもんでしょ。

 悩み事一つもない人なんていない。誰だって、何かしら問題は抱えている。それを自分一人だけみたいな態度は取るのはよくない。そういう悩みや問題に折り合いつけながら生きていくのが、大人ってものだから。

 ――だけど、何だろう。


 ――すごく、嬉しい……。


「百瀬? どうかしたのか?」

 泣き出しそうな衝動を抑えながら、私は部長を見上げる。

「いいえ、何でもありません」

「そっか」

 部長は少しホッとしたように笑った。

「だが、もし俺に言いにくい事があるのなら、花園さんでもいい。お前は、少し、周りに頼れ。頼る事は、悪い事ではない」

「部長……」

「俺も、昔、そうだった」

「え?」

「頼る事は悪い事だと思って、何でもかんでも一人で抱え込んで生きてきた。そんな俺を、それじゃあダメだと気付かせてくれた奴がいたんだ」

 ――あっ……。

 今まで見た事のない優しそうな笑みを浮かべて言う彼を見て、私は悟った。

「俺は、何度もアイツの手をはねのけた。余計なお世話だ、放っておいてくれ、って。だけど、アイツは俺の事を諦めないでくれた。何度拒絶しても、侮辱しても、傷つけるような事もたくさん言ったのに……俺を諦めないでくれたんだ」

 大切な物を見るように目を細めて語る彼は、あの時のあの子と同じ――恋する人の眼差しだった。

 ――そっか。部長にも、大切な人がいるんだ。

「素敵な人ですね」

「ああ、アイツは、俺の誇りだ」

 その一言で、部長がどれほどその人を大事に想い、同時に固執しているのか分かった。

「私にも、いましたよ。大切な人」

 私は部長から目を逸らし、窓の外に目を向けた。

 あの時、バージンロードを歩いた二人を照らした青空と同じ色を、せめて瞳に刻みつけて――。

「大切でした。大好きでした。本当に、壊してしまう程に、愛おしく思ってました。その事を気取られないようにするのに必死で……私は、その距離を縮める事をしなかった。だから、きっと、これは当然の報いなんです。あの子の特別になるために、あの子はその距離を自ら縮めて、自らその恋を手に入れた。何もせずに、ただ恋心に翻弄されるだけの私とは、違って」

「……そっか、お前は、恋をしていたんだな」

「……」

 恋、か。

 本当は好きになってはいけない。どちらにしても、もうあの子にはあの子の大切な人が別にいる。だから、この恋は封印する。全部なかった事にする。

 ずっと、そうする事が正しいと思っていた。

 ――だけど、違った。

「はい……っ」

 短い沈黙の後、私は声を絞り出す。

「私は、恋を、してました」


 ――叶わなくても、君に、恋していたんだよ。


       *


『うおおおおおっええ話やなあっ』

 間近で部長とサユリのやり取りを見ていたアモールは天使とは思えない顔で号泣していた。目や鼻から色んな液体が零れ、それを部長の服で拭う。

『部長、あんたもあんたやで。マジで格好良かったわ。理想の上司や! あんたは出来る子やと、お母さん信じとったわ』

 聞こえない事をいい事に、部長の背中をバシバシ叩く中、アモールの背後に小さな影が立った。

『誰がお母さんだよ』

『リリン!?』

 頭にメアを乗せたリリンは、溜め息を吐きながらアモールと、その後方で雑談しながら去っていくサユリと部長を見やる。

『成程。大体は分かった』

『もういいのよ、リリン!』

 アモールは目と鼻から大量の液体を流しながら、リリンに駆け寄る。案の定、リリンは露骨に嫌な顔をして、距離を取った。

『サユリは、あれでいいの。出来たら部長とくっついて欲しかったけど、でも、いいの! だって、凄い綺麗な終わり方だったから!』

『お前、個人の見解いれすぎだろ』

 リリンは小さく溜め息を吐いた後、再度遠ざかるサユリを見る。

 心まで見通すように、真っ直ぐ彼女を見つめ――

『ふぅん、やっぱりか』

 リリンが呟いた。

『だから、リリン。この勝負はおあずけ、いいえ、サユリの勝利よ!』

『いいや、まだ終わっちゃいないよ』

『え?』

 アモールが首を傾げる。

『結局、お前は、見抜けなかったんだね。あの子の本質が……お前なら、気付けると思ったけど』

『どういう意味よ? 本質も何も、サユリはつらい恋をしたけど、その恋を背負って生きていくという、格好いいエンドを』

『うん、一度ゲームから離れようか』

 と、珍しくリリンがアモールに突っ込む。

『そのままの意味だよ。お前は、玉砕クールの本質に気付けなかった』

『その呼び名はやめてあげて!』

 アモールとメアが同時に叫んだ。

『とりあえず、これでお前はターンエンド。今度は、僕の番だよ』

『僕のって……お嬢、あんた、この後に及んで』

 メアの予想は当たっており、リリンははとても悪い顔で笑った。


『そう、淫夢ゆめの時間だよ』

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