⑯天使VS淫魔~キューピッドが引っかき回す恋愛事情

 ――そういえば、あの時も、そうだったな。


 部長を追いかけて、階段を駆け下りながら、「私」はふと思い出す。

 ――初めて、癒姫と、あの子を会わせた時も。

 最初から予感はあった。

 あの二人は、出会う事が必然のような運命的な何かに結ばれているようにも見えた。まるで、運命の恋人のように――。

 実際、くっつくのも時間の問題だった。

 初対面なのに、互いの事を理解しているようにどんどん距離が縮んでいき――そこに、私が入るスキなんてなかった。

 そして、仲睦まじい二人を見て、直感で思った。こういうのを“運命”って言うんだ、って。

 だから、私はこの恋に封印をした。二人の邪魔をしてはいけない。

 この恋は、敵わない。この恋は、叶わない。

 そう繰り返し自分に言い聞かせ、私はそっと二人から距離を取った。

 ――どうせ叶わないのなら、せめて潔く友人らしく最後まで二人を見守ろう。

 きっと、その方がいい。



「百瀬」


 ふいに、後ろから声をかけて振り返ると、部長が立っていた。

「部長……」

「どうしたんだ、こんな所で……」

「えっと……」

「……って、俺のせいか。すまない、遅くなって」

「いえ」

 実際、部長を探しに来たのは本当だが、完全に頭の中はあの二人の事でいっぱいであり、私は曖昧に答えた。

「空調は問題なさそうだが、少し気になるから、あの部屋だけは切ってもらったよ」

「はい」

 部長が何か言っている気がするが、それも遠い事のように思える。

 吹っ切った筈なのに、一度考え出したら止まらない。

 ずっと出会ってから結婚するまでの、あの二人の幸せそうな姿が頭の中をぐるぐる回る。

 ――仕方ない事だと、分かっている。

 ――あの子の事をどんなに想っても、あの子が違う相手を選んだのだから、仕方がない。

 ――最初から、あの子達の間には、誰も入れない。

 そう思う程に、二人の間には確固たる絆があった。

 だから、身を引くのが友人として、最善の選択。

 ――恋なんて、なかった。

 ――私は、誰も好きになっていない。誰にも、恋なんてしていない。

 それが、最善で、最高で、正しい事なのだから。

「百瀬」

 と、部長の声が唐突に私を現実に引き戻した。

「部長……」

「百瀬、俺は、女心には疎い。人付き合いも、得意ではない」

「はい」

 よく分からないが、とりあえず返事だけしておいた。

「仕事一途で、それ以外の事など、あまり考えた事がない。むしろ、仕事が趣味といっても過言ではない」

 うん、知ってる。

「だから、こういう時、何て言っていいか分からないが……もし、何か仕事で無理させているのなら、遠慮なく言ってくれ。俺は、お前の上司だから」

「部長……」

 ポーカーフェイスには自信があったが、顔に出てしまっていたか。

 ――ほんと、情けないな。部長にまで、気を使わせてしまうなんて。

「ありがとうございます。でも、何でもないんです。仕事の事で困っている事なんて、何も……」

「……仕事じゃなくてもいい」

「え?」

「仕事じゃなくても、構わない。何か悩んでいる事があるなら、相談してくれ。俺は……お前の力になりたい」

 少し気恥ずかしそうに部長は頬を紅く染め――しかし視線だけは真っ直ぐ私に注がれた。

 いつもクールな彼の眼差しが、時折不安げに揺れる。

「部長……」


      *


『……って、少し目を離したスキに、なんか、いい感じの雰囲気に!』

 双眼鏡で、サユリの様子を透視しながら、アモールは興奮気味に叫んだ。

『いけ、そこだ! 傷心乙女ほど、落としやすいもんはないぞ! 部長、あんたなら出来る! そら、そこだ!』



 貴崎とサユリが見つめ合う。

「すみません、部長。気を使わせてしまったようで……でも……」

 少しの間、見つめ合った後、サユリは貴崎から目を逸らし、

「部長……」



『泣け! そして、その胸に飛び越め! いけよ、今だよ、おい!』



「いえ、これは、個人的な事なので」

 やんわりと、サユリは優しく拒絶した。



『そいつはねえぜ、サユリちゃんよう!』

 アモールは空中の上で地団駄を踏んだ。

『今、いい感じやったやん! 周囲の空気、桃色やったやん。何なら、BGM流すよ?』



「個人的な事でも、俺は、構わない」

 はっきりと、貴崎は言った。

「俺は、お前の上司だ。だから、たとえ個人的な事だったとしても、力になりたい。いいや、違うな。俺は、お前に……」


      *


 人間には、縁と呼ばれる繋がりがある。

 家族や友情から、因縁と呼ばれるマイナスなものまでーー人は、何かしら誰かと繋がっている。

 その繋がりは、無数の「糸」によって繋がれる。

 そして、運命を司る小天使キューピットは、その糸を結ぶ手伝いをする。

 ただし、キューピットが繋げたとしても、当の人間同士が絆を育てない限り、その糸は簡単に断ち切れる。


      *


『今なら、糸が繋がるかもしれない』

 アモールの目には、人の身体から無数に伸びる糸が見える。

 継ぎ接ぎだらけの布のように、至る所から糸が伸び、それが違う誰かと何かしらの絆で繋がっている。

 そして、その繋がりは、最初は友情で繋がっていたとしても、ある日を境に恋愛という形で結ばれる事もある。

『私達キューピットが出来るのは、所詮、運命の糸が結ぶための手伝いだけ。だから、結局、選ぶのは、あなた達人間……」

 アモールは双眼鏡から顔を離すと、サユリと部長の元へ一瞬で移動した。

『だから、少しだけ、お手伝い、させてね?』

 アモールはそっと部長の背後に回る。

『キューピットスキル! 神風!』

 室内だというのに、突然旋風が起きた。そして、それは部長の格好良さを際立たせるように、或いは、彼の背中を押すように吹いた。

『キューピットスキル! フラッシュ!』

 昼間でわかりづらいが、部長の身体が淡く光った。本来なら、顔のいい男だけが使える固定スキルであり、格好良さをさらに引き立てる効果がある。

『さあ、光と風の勢いに怯んで、攻撃が出来ない筈。今なら落とせるわ、頑張れ、部長!』

 淡い風と光をバックに、部長は踏み出した。そして――

「俺は、お前に……」

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