⑭天使VS淫魔~新米キューピッドが観察する恋愛環境

 癒姫と翔太の結婚式から、約半月が経過した。

 『私』の生活は、思ったよりも変わらなかった。

 朝早くに出勤して、業務をこなして、退勤時間と共に退社する。時々残業する事もあるが。

 当初はこんな気持ちのまま仕事が出来るのか、と思った事もあったが、想像していたよりも、いつも通りだった。モヤモヤした気持ちを打ち消すために仕事に没頭する事もなく、全てがいつも通りで――少し拍子抜けするくらいだ。

 ――まあ、当たり前か。

 実際、世界なんて単純なもんだ。

 何処かで誰かが生まれて、また誰かが死に――そうやって巡り流れて生きてゆく。

 生まれてから死に向かって歩き続け、その道の途中で色んな人に出会い――時に挫折して成功し、傷つき傷つけ、愛し愛されて――そうやって、この世界は廻っている。

 別に私一人が特別なわけじゃない。

 誰だって同じだ。私一人が、世界で一番不幸なわけじゃない。


 なのに――


「あれから結構時間経ったっていうのに、どうしてまだ忘れられないんだろうな」

 生活そのものは、いつもと変わらない。

 だけど、このモヤモヤした気持ちだけが、未だに胸の奥に居座っている。気持ちだけ切り離されたように――自分の中に別の自分がいるような、不思議な感覚。

 ――この淀んだ想いだけが、時が止まったみたいに。

「なーんて。そんな事、あるわけないのに」

 そんな事を呟いていると、ふいに机の上に飾ってある写真立てが目に入った。

 専門学校の卒業式で癒姫を含めた友人と撮った写真と、就職が決まった時に癒姫と撮った写真。新しいプロジェクトが決まった時、翔太を含めたプロジェクトの仲間と撮った写真。癒姫と翔太と、その友人達とバーベキューに行った時の写真。

 そして、翔太と癒姫の結婚式の時の集合写真。

 ――意外だな。私って結構ドライかと思っていたのに、こんなに未練たらしかったっけか?

 自嘲気味に乾いた笑みを零した後、私は写真立てに手を伸ばす。写真立てを伏せようかと思ったが、それで過去が変わるわけでも、思い出が消えるわけでもない。

 そう、何をしても何も変わらない。

 そう思うと、段々と写真如きに心を乱すのも馬鹿らしく思え、私はそのまま部屋を出た。


      *


『よーし、こうなったら行動あるのみよ!』

 と、物陰からサユリの様子を伺いながら、アモールは意気込む。

『失恋の傷を癒やすは、新しい恋のみ。誰もが定められている運命の相手の欄が空白なのは謎だけど……そのうち見つかるでしょう!』

 アモールは人間に姿が見えない事を良い事に高笑いをする。

『ふっふふー、こうなったら、乙女なら誰もが夢見る、ハーレムワールドに、あなたを誘ってみせましょう!』



「……っ」

 会議中、私が突然背筋を伸ばすと、隣に座る後輩が顔を覗き込んできた。

「先輩、どうしました?」

「いや、なんか、一瞬悪寒が」

「えー、大丈夫ッスか? 最近、先輩働きまくりだから、疲れでも溜まっているんじゃないッスか」

 後輩の新田一磨にったかずまが笑いを交えていうと、周囲が感染したように、笑いながらも心配そうに声をかけてくれた。

「そうですよ、サユリさん。たまには休まないと」

新田の同期で、私の直属の部下である花園乙女はなぞのおとめも、心配そうに目尻を下げながら言った。

「ありがとう、乙女ちゃん。でも、この間、休みもらったばかりだから」

「でも、それって、友達の結婚式だったんですよね?」

「えっ、そうだったんですか、先輩! それ、全然休めてないじゃないですか。結婚式って、昔の友達とかに久々に会えるけど、ちょっと疲れるし。俺、心配ッス」

「あー、新田君、ずるい。サユリさんの事は、私の方が心配しているんだからね」

「いいや、俺ッス!」

「私!」

 何故か新田と乙女が言い合いを始めた。

 その子どもぽい行動に、初見の人は引くだろうが、この社内ではよく見る光景でもあり。止めようとする者もいない。むしろ、子どもの成長を見守る親のような生暖かな眼差しと笑みが向けられるだけだ。


『なーんだ、運命の相手欄が空白だから、何事かと思ったら、よりどりみどりじゃない』

 窓の外の木の枝に座りながら、アモールは目を輝かせた。

『あの新田って子は、弟分的な立ち位置のようね。サユリに憧れて、ワンコの如く、ついて回ってる所を見ると、可能性ありね。まあ、あの乙女って子がちょっと邪魔だけど』

 アモールは彼の書類を一瞬で手の中に出現させて、彼のプロフィールに一通り目を通す。

『ふんふん。やっぱり、年上のお姉さんが好みで、初恋の人も幼稚園の先生か。サユリへの好感度もマックスじゃない! むしろ、彼が運命の相手じゃないの!?』

 このまま傷心した彼女を彼が慰める事で、彼女の恋は完結するのではないか――そう思い始めるが、次のページをめくった瞬間に、その考えは消えた。

『……って、何これ!? 運命の相手どころか、幼馴染の年上のお嬢様に、行きつけのパン屋の癒やし系お姉さん。駅でいつも会うドジっ子お姉さんに、本屋のネガティブ残念系お姉さん店長。あまつ、イトコのツンデレお姉さんと、再婚相手のイケナイ系お姉さんと同棲中!? ただのハーレム主人公じゃねえか!』

 と、アモールは彼の書類を叩きつけた。

『選択肢によって運命の相手が変わる、所謂ギャルゲーの主人公タイプか。そうなると、サユリもその内の一人でしかないって事か』

 天然お嬢様、ドジっ子、ネガティブ、ツンデレ、イケナイ系とくると、サユリはクールな姉御系担当となる。

『なしなし! まだサユリは新田の事を意識してないから、再度の失恋体験させる前に、他の子のルート行くように矢撃っとこ』

 アモールは新田の書類を消す。そして、次のターゲットに矛先を変える。

『次は、彼がいいかしら』


「……っ!」

 突然、先程の私のように、高瀬健二たかせけんじが背筋を伸ばした。

「高瀬先輩、どうしました?」

「い、いや、俺も、何か突然悪寒が」

「えー、風邪ですか。伝染さないでくださいよ、サユリさんと私に」

「おいおい、そりゃないよ、乙女ちゃーん」

 この面子で一番派手な外見だが、下品な感じはない。

 明るい茶髪に、派手な色のネクタイ。見た目だけだとチャラく見えるが、仕事に対しては忠実であり、その点を評価し、私が自ら推薦した。

「けどー、サユリちゃんもー」

「高瀬、年上にちゃん付けをやめろといつも言っているだろう」

「えー、硬い事言いっこなしだぜ、サユリちゃん」

「……」

「おっと、無言の圧力やめてくれよ。悪かったよ、せーんぱい」

 軽い口調で彼が言うと、一斉に白けた視線が向けられた。

「ちょっ、冗談だって」

「冗談が過ぎますよ、高瀬先輩。サユリさん、そういうノリ嫌いなんですから」

「そうッス。そもそも先輩に対して、馴れ馴れしいッスよ」

「何だと、こいつー」

 高瀬がふざけて新田の頭をワシャワシャとかき回す。

「ちょっ、やめて下さい」



『チャラ男系きたー!』

 アモールが木の枝に腰掛けたまま、テンション高く叫んだ。その音に驚いて、近くの小鳥が飛び立った。

『乙女ゲーや少女漫画でいう所の、キャストが二番か三番目に位置する、主人公にちょっかい出しているうちに本気になる系きたー!』

 すぐにアモールは彼の書類を取り出す。

『えっと、高瀬健二。へぇ、一応彼も年下なのね。学生時代から努力しなくても何でも出来ちゃう天才。敏腕デザイナーと評判のサユリにちょっかいをかけるうちに、彼女の仕事への情熱に胸打たれ、最近ではデザインの勉強を始める、と。きゃあ! 努力しなくても何でも出来るけど、主人公との出会いで世界が変わる系きたー! 王道! ひゅー』

 誰も見ていない事をいい事に、アモールは木の枝の上で跳ねた。

『何よ、少女漫画の王道系キャラいるじゃない。こういうチャラいタイプって、真面目系とは相性いいのよね。委員長とヤンキー然り、勇者と女幹部然り、やんちゃ系と不思議ちゃん然り。天敵同士の恋アルアルー! さて、彼は……あれ!?』

 彼の運命欄を閲覧している途中、アモールは目が飛び出る程に目を見開いた。

『運命の相手、シトラス・シフォン・アラモード!? 誰よ? アラモード王国の第二王女で、彼の召喚主? ちょっと何言っているのか分からない』

 その後の彼の人生をざっと見たが、異世界に召喚されて以降の人生があまりにも波乱万丈のため、途中で閲覧をやめた。

『新人賞で失敗するタイプだ。設定が濃すぎる上に唐突で、一次選考は受かるけど、二次で落ちるタイプの作者しか分からない、読者置いてけぼり設定だった。編集側に、見るに耐えられないやつは、途中で読むのやめて、最後まで見なくていいよって言われる奴だよ』

 注意・あくまでアモール個人の見解であり、出版社の意見ではありません。

『数ヶ月後に異世界転移する奴との恋は無理ね。はい、没。となると……やっぱり、本命は彼かしら』



「……っ!」

 高瀬に新田がいじられている中、貴崎大地きさきだいちが背筋を伸ばして立ち上がった。

「部長、どうしました?」

「いや、今、悪寒が」

「えー、高瀬先輩の、伝染ったんですか」

 乙女の発言に、一斉に高瀬を見る。

「乙女ちゃん、性病みたいな言い方やめろって」

 高瀬の言葉に、一斉にどっと笑い声が上がる。

「こうも立て続けですと、空調の影響かも知れませんね」 私が立ち上がり、

「そうだな」

 私が席を立つと、同意しながら貴崎部長が立ち上がった。

「いいよ、お前は座っていろ」

「え、でも……」

「いいから。これ、上司命令」

 と、貴崎部長はそれだけ言うと、席を立ち、部屋から出ていった。

 ーー部長、優しいな。

 貴崎部長は、入社時代から世話になっている先輩だ。仕事には厳しく、注文も多く、新入社員からは恐れられる事も多いがーー彼の仕事への情熱を見ていると、その厳しさも納得がいく。女性社員だろうと、新人だろうと、差別なく評価をしてくれーーその誠実な姿勢に尊敬する社員も多い。

 ――本当なら部下や後輩にいかせるべきなのに……。

 ああいう気遣いは、社員としても、人としても、見習いたい。


『うおおおおおおお! キタコレー! いたよ、いたよ! なんだよ、サユリちゃんめー。いるじゃん、いい相手が!』

 サユリの心情ごと現場を覗き込んでいたアモールは、木の枝が軋む程に跳ね回った。

『失恋の傷を癒やすは、新しい恋よ! 恋の痛みは、恋で埋めるべし。待ってて、サユリ。このアモールちゃんが、貴女が幸福な未来をゲッツ出来るように、徹底的にプロデュースしてあげるから』

 アモールが、キューピットの矢を取り出し、サユリを狙っているとも知らず、部屋の中では、上司が席を立ったため、会議が中断していた。

『キューピットの腕の、見せ所じゃああああ』

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