⑫天使VS淫魔~キューピッド勝負で始める恋愛成就

「はぁ……」

 夕闇迫る河原。穏やかな水面は、暗い橙色の光を反射し、淡く瞬く。

 徐々に夜の気配が迫り、太陽が雲の向こう側に飲み込まれていく中、“私”は、一人大きくため息を吐いた。


「はぁ……何してんだろう、本当に」


 握りしめた手の中にあるスマートホンには、つい先程みんなで撮った写真がある。当然、「あの人」の姿もあるのだが――。

「綺麗だったな」

 画面の中にある写真には、結婚式場でみんなで撮った集合写真がある。

 その中心には、式の主役である彼と彼女が仲睦まじく寄り添っている。まるで、長年連れ添った夫婦のように――。

 個人的にはすぐに忘れたい記憶だが、あれだけ華やかな式を数時間で忘れる事など出来ず、いまだに瞼の裏に張り付くように覚えている。

 純白のドレスに、時折日の光を浴びて光る装飾類。派手すぎず、大人しすぎない、清楚で可憐な花束。一瞬、本当に翼が見えたと錯覚するほど、花嫁は美しかった。そして、その花嫁の隣に立つ彼も、凜々しくも、華やかで――、最初からこうなる事を運命づけられた、王子様とお姫様みたいだった。最初から、私が入り込むスキなんてなかったように。

 ――きっとあの二人は、出会うべくして出会った……いつか巡り会う事が運命だったんだ。

スマートホンの中に保存されている写真は、どれも花嫁やその友人達が仲良く写っていた。

 みんな、笑顔で楽しそうで、そして幸せそうに。

 ――そりゃ、結婚式だもん。当たり前か。

 こんな後悔と嫉妬に満ちた眼差しをしていたのは、私くらい。

「私、ちゃんと、笑えていたかな」

 何度も自分の顔を確認した。

ちゃんと笑えていたか、ちゃんと祝福出来ていたか。無理しているように見えなかったか。ちゃんと、最後まであの人の友達として笑っていられたか。

おかげで表情筋が疲れて震えている。

「結局、最後まで言えずじまいだったな」

 ――でも、それでいい。

 きっと言えば後悔する。断られると分かりきっているのに、告白する必要なんてない。言っても、言わなくても、未来は変わらないのだから。

 それに、今はすごい後悔をしているかも知れないけど――いつか、私も、あの人の事を忘れて、あの人みたく好きな人と一緒に――。

「……っ」

 そこまで考えた所で、涙が溢れてきた。

 きっと、私は今ひどい顔をしている。折角、今日のために普段はしない化粧をして、慣れないドレスを着て――、髪型も、元々ボブカットでアレンジの仕様がないけど、自分なりに頑張って毛先を巻いたり、ワックスで髪を盛り上げたりして、その場に相応しい格好をした。

 ――まあ、いいか。もう全部終わったんだし。

 水面を眺めていると、少しだけ荒んだ心が穏やかになっていった。

 真っ直ぐ帰る気になれず、ちょっと立ち寄っただけで、特に思い出の場所とかでも何でもないのに。

 ――そういえば、何かに引き寄せられるように、来ちゃったんだよね。どうしてだろう?

 ――まあ、いいか。

 

 私は気持ちが落ち着くまで、そのまま水面を眺め続けた。

 結局、気持ちは晴れる事なかったが。


       *


「見た?」

「見たね?」

『見ましたね』

 そう合唱しながら、茂みから、金色と桃色と白色の頭がぴょこりと飛び出した。

 キューピット二人と、使い魔のメアは、若い女性が川の近くで蹲っている様子を盗み見ていた。

『しっかし、キューピッドてのは便利なもんだな』

「え?」

 メアの言葉に、リリンとアモールは同時に小首を傾げた。その様子は、傍から見れば、白の似合う天使と、ゴスロリが似合いそうな小悪魔系美少女のため、愛らしいものなのだが、二人の中身を知っているメアは今更何とも思わない。

『だって、恋の気配? だっけか。恋している人間の気配を察知出来るなんて、楽じゃないッスか。お嬢、何で今まで使わなかったんですか』

 もし恋する人間を気配で察知出来るのならば、だいぶ楽にキューピッド業務をこなせると思うのだが。

リリンは、インターネットでおなじないサイトを偽装し、悩んでいる人が自ら検索し行き着く事で、「おまじない」という形で人間の恋に介入する。

 キューピッドといえ、天使の一種――リリンの場合は元天使で元悪魔で現淫魔だが。そのため、人間の願いを叶える行為は、一種の契約であり、何かしらの行動アクションを起こさなければならない。願いを叶えるために悪魔を召喚するのも、また同じ原理であり――願いを宿した人間自らが天使や悪魔にコンタクトを取らなくてはならない。

 それが、リリンの場合はおなじないサイトであり――そこに人間が名前を打ち込む事で相手の意識への介入を許可されたとし だいぶ勝手に)、さらに淫夢として相手の潜在意識の奥にまで侵入している(これは淫魔だから出来る技です。正規のキューピッドは、正しい方法で願いを叶えましょう)。

『お嬢のやり方だと、回りくどいっていうか……恋している人間が分かるのなら、その人に直接、迷惑メールでも装って送りつけて、コンタクトとっちゃった方が楽じゃないッスか』

「悪魔のようなやり口思いつきますね」

 アモールがジト目でメアを見下ろしながら言った。

「それだと、人間側が意識への介入を許可したとはなりませんよ」

『どうゆう事だ?』

「ですから、我々キューピッドは、恋心を宿した人間が、それを叶えるために行動を起こした際に、ごく稀に現れる希少な奇跡的な存在なんです。誰の元にも現れる、簡単な存在じゃないんです」

「そうそう」

 アモールが呆れながら言った言葉に続く形でリリンが付け足す。

「たしか、キューピッドは、デリヘルでいうと、なかなか予約とれない的な高級娼婦的な存在で……」

「その例え、やめてくれません!?」

 アモールが顔を真っ赤にしてリリンに抗議した。猫が毛を逆立てるように、翼が凄い勢いで逆立った。

「と、とにかく、そういうわけですので、我々を呼び出せた人間は、それ程強い恋心と願望を宿しているという事です。たとえ、何を犠牲にしても、意中の相手を手に入れたいって思う程に」

 そこで、アモールは視線を河原の女性へ戻した。

『嬢ちゃんの説明だと、あのクールぽそうなお姉ちゃんは、誰かに恋い焦がれているってわけか』

 それも、二人のキューピッドを呼び寄せる程に強い想いを――。

「恋の気配となると……」

 と、アモールは分かりやすく、顎に手をおいて「ははーん」と言った。

「見た所、友人の結婚式の帰り。となると、彼女の恋のお相手は……」

『花婿の兄ちゃんって事か』

「長い間、彼に恋い焦がれていた! だけど、想いを伝えられず幾星霜! 気づけば、彼の隣には別の女が! そして、彼の結婚式では気丈に務めてきたけど、心は今にも張り裂けそう! って所かしらね」

『嬢ちゃん、意外にノリノリやな』

 自分達の姿が見えない事をいい事に、アモールは舞台女優のように大袈裟なジェスチャーを加えながら言った。

「ふぅん」

 対するリリンは、笑みを零す事なく、無表情に近い眼差しで彼女の背を見つめた。

『お嬢、どうかしたんか?』

「ううん、別に。ただ、確かに彼女の恋は険しいなーって思っただけ」

『まあ、そりゃ、恋は険しいもんだろ。自分がいくら好きになっても、相手の気持ちまで見通せるわけあるまいし』

 メアの言葉に、リリンは一瞬キョトンとした顔をした後、吹き出すように笑った。

「そうだね。そうだったね。恋は、険しいもんだったね」

 リリンは、メアを抱き上げながら言う。

「伝わらないし、伝えられない。叶えたいけど、叶わない。そんな、どうなるか分からない……そんな、険しくて、つらくて、よく分からない。それが、人の恋なんだよね」

『お嬢?』

 いつもより大人しいリリンの様子を不審に思ったメアが彼女に声をかけるが――それを遮り、アモールがリリンを指差す。

「勝負よ、リリン!」

『勝負?』

「さっきも説明した通り、この地区の担当キューピッドは、この私、アモール! なのに、人の縄張りに土足で足を踏み入れた上に、人の恋路を滅茶苦茶にして……担当キューピッドとして、黙って見過ごせないわ」

『いや、それは申し訳ないが……お嬢の派遣は神様も認めている事で』

「黙らっしゃい! これ以上、成績下がると、私だって、色々大変なんだからね」

『だいぶ私情ですね、キューピッド様』

「そういうわけで、リリン! 私と勝負なさい」

 アモールは一通り吠えると、河原で座り込む女性の背中を見る。

「あの人間。あの子の恋を成就させた方が、勝ち。キューピッド勝負よ」

『キューピッド勝負って、あの姉ちゃん、失恋したんじゃ……』

 メアの言葉に、アモールは分かりやすく顔の前で指を振った。

「甘いわね、豚さん」

『ユニコーンだ』

「確かに、彼女の恋は破れた。だけど、敗れたのなら、次の恋でその傷を癒やせばいいのよ。あの子の本当の運命の相手と巡り合わせ、彼女の恋を今度こそ成就させる」

「本当の、運命の相手、か」

 リリンは何か言い足そうに呟く。

 そして、一度だけ河原の女性の背中を見つめた後――アモールに微笑んだ。

「いいよ。その勝負、受けて立つ」

「言ったわね、言質とったわよ」

『さっきから、このキューピッド様怖いんやけど』

 そんなメアの突っ込みを無視し、アモールは話を進める。

「私が勝ったら、この地区から出ていって貰うわ。別の地区に行け、ばーか」

『あんた、本当に天使か』

「うん、分かった。その代わり、僕が勝ったら……」

 リリンは今まで見た事がない程に優しく微笑み、アモールの頬に手を伸ばした。

「え、ちょっ……」

 そして、慌てるアモールの頬を両手で包み、至近距離から彼女の顔を覗き込みながら、言った。

「<自主規制>ね」


「……」

しばしの沈黙。


 そして、リリンがアモールから離れて耳を塞ぐと同時に、顔を真っ赤にしたアモールが悲鳴とも怒声とも言えない叫びが地区全体に響いた。


『本当にこいつらキューピッドなのか』

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