⑨淫夢リターン~淫夢から始める恋
「私は、ユウ君が、好きです!」
夕暮れの河原で、私は叫んだ。幸い人通りは少ないけれど、通行人が数名こちらを振り返った。だけど、今の私には気にならなかった。
「好き、なの……本当に、私は、ユウ君が好き」
「なんで……」
ユウ君は驚いたように目を見開いた後、ひどく傷ついた顔でそう呟いた。
「どういうつもり? あの時、僕の事、拒絶したくせに、何でそんな事言うんだよ。僕の事、からかって遊んでるの?」
「違うの、ユウ君。あの時は、私も、戸惑って……私の知らない君を見て、少しだけ怖くなったの。だけど、君が嫌いになったわけじゃない。だって、私、君以外の人には、触れられたくないもの」
「……っ」
ユウ君は顔を紅くして、逃げるように視線を逸らした。
「恋って、難しいね。互いに好きでも、上手くいかない事だってあるし、理解出来ない時だってある。だけど、当たり前だよね。だって、私達は、違う生き物なんだから。全てが思い描いた通りにいくわけじゃない」
漫画やドラマじゃあるまいし、筋書きがあるわけじゃない。
どうやって出会って、どうやって恋をして、どうやって恋心を育み、どうやって結ばれるのか。そこまで道順が用意されているわけがない。私達が自分で作らないといけない。
――ほんと、恋するって難しいな。
恋をしている時は相手との幸せな未来を勝手に思い描いて、幸せな気分になる。
恋をしている時は相手が振り向いてくれるか不安になって、自分以外の女の子と話しているだけで嫉妬して、みっともないくらい悩んでいる。
相手と結ばれさえすれば、何もかも上手くいく。片思いの時はそう思っていたけど、違った。
相手と結ばれた後も、恋は続く。
恋心がある限り、これからも嫉妬もするし悩みもする。
そして、相手と結ばれたからこそ貪欲になってしまう。
「ユウ君、私、君が好きだって自覚してから、ずっと君の事ばかり考えているの。私以外の女の子の事、見ていないか、他の子に取られちゃないか。そんな事ばかり考えているの。今だって……」
と、私は彼の両頬を包み込み、彼の瞳を覗き込む。
「君の瞳に、私だけが映りたい。私しか映らなければいい。そんな事、考えているのよ」
「お、お姉ちゃん……」
少しだけ怯えた顔で彼が私を見上げた。
「きっと、それが恋なの。相手を好きになるって事は、相手の全てを自分の物にしたくなる。だけど、脳も、心臓も、全てが違う私達が、全てを共有する事は出来ない」
好きだからといって、分かり合えるわけではない。
恋人になれたとしても、脳の中を覗けるわけがなく――たとえ一生添い遂げる関係になれても、全ては理解出来ない。
――なーんて、当たり前だよね。
自分以外の人間の頭の中身を覗けるわけないのだから。
本当の意味で理解する事は出来ないかも知れない。だから、人はすれ違ったり、誤解したりして、ちょっとした事でこじれてしまう。そして、解くよりも結ぶ方が難しい。
どんなに仲がいい相手でも、一度解けた絆は、もう取り戻せない。
好きになればなる程、相手に近付けば近付く程、不安になる。
――だから、私達は……。
「身体を重ねて、確かめ合うんだと思う。ちゃんと私の事が好きか、ちゃんと私の物のままかどうか、肌と肌で確かめ合うの。それが、恋なの」
きっと私達は、順番を間違えた。
恋をして、想いが通じ合った、その後の――「好き」の後の「好き」を育まなければいけなかった。想いが通じ合った後、一緒に出かけたり、食事したり、今まで知らなかった相手の姿を見る事で、互いの「好き」を重ねて、一つの物にしなければいけなかった。
それが、識(し)るという事。
何が好きで、何が嫌いで――。
何色が好きで、どんな味が好きで嫌いか――知らなくてはいけなかった。
そんな他愛もない会話をして、相手の事を知り、相手にも自分の事を知ってもらって――そうやって私達は、相手を識(し)る。
それが、「好き」になった後に待っている「好き」。
私達は互いの「好き」を相手に一方的に押し付けて、愛情を押し売りした。その結果、互いの理想のズレによって、こじれてしまった。
自分の中にだけあった「好き」を相手と過ごす事で、二人の「好き」にする。そうやって、恋は愛に変わる。
「だから、ユウ君。もう一度、私と始めませんか?」
私はおそるおそる彼に手を伸ばす。
正直、今でも不安だ。彼に拒絶される事が怖い。
――それでも、彼を自分の物にしたい。
だから、私はソレを言葉にする。
「君が、好き。どんな君でも、私は、好きです」
「……」
ユウ君は、一瞬乙女のように頬を紅く染めた後、私に手を伸ばし――私の手を通り過ぎて、腰に手を回した。
「ユウく……うんっ」
そのまま腰を抱き寄せ、後頭部を逆の手で固定して、深く口づけた。
今までのキスとは違う。恋人の、もっと濃厚な関係で交わされる、大人の接吻。
「……っ……」
舌が喉まで達し、行為に似た口付けは終わらなかった。何度も酸素を吸い尽くされ、互いの唾液が行き来し、もう彼の物か私の物かも分からないくらい、溶け合っている。
酸素が足りなくて、頭の奥がジンと痺れた。
それだけじゃない。身体にも変化が現れ、私はそれに気付かれないようにするが、身体は過敏に反応し、無意識に足を擦り合わせていた。
――何で、こんなキス……。
腰と頭が固定されていて逃れる事が出来ない。朦朧とする意識の中、うっすら目を開けて彼を見ると――どこか寂しそうな顔をしていた。
――もしかして、ユウ君、私を試しているの?
もしここで私が耐え切れずに突き飛ばせば、そこでこの恋は終わる。
――それなら……。
「……あっ……」
私は彼の背中に手を回した。
――私は、全部受け入れる。どんな君でも、もう拒んだりしない。
――だから、ユウ君……信じて。
「……はあっ……」
長い口付けの果て、根負けにしたようにユウ君はその場にへたり込んだ。
「ユウ君……」
労るように、膝を屈めると、彼は少しだけ拗ねたように私を見上げた。その顔は、私の知るユウ君の物だ。
「怒ってないの?」
「怒ってないよ」
何を、と聞かずとも分かった私は、即答した。
「恥ずかしくないの? 僕となんて……」
「恥ずかしくないよ」
「……好きで、いてくれるの? 僕は、お姉ちゃんを、好きでいて、いいの?」
「それは、君が決めて。私はもう決めた。答えを出して、ここにいる。だから、今度はユウ君が、決めて」
私は立ち上がると、寝転がったままの彼に手を伸ばす。
「うん」
それが答えのように、彼は私の手を掴み――そのまま立ち上がった。
「……」
互いの視線が絡み合う。彼の瞳の奥で透明な滴が光ったような気がした。
「ユウ君……」
今度は私から触れるだけのキスをした。
「私、本気になったら、結構怖いんだから。責任とってくれるよね?」
「その言い方はずるいよ。だけど……」
今度はユウ君が私に深いキスをした。先程みたいに濃厚なものではないが、そこから彼の気持ちが伝わった。
「……」
互いに言葉はなかった。だけど、今どういう気持ちでいるかははっきりと伝わった。繋いだ手から伝わる健気な温度を感じながら――私達は、そのまま歩き出した。
その時、見覚えのある桃色の猫が私達の前を横切った。
――変な色の猫。外国の猫かな?
そんな事を考えながら、私達は珍しい毛色の猫に見送られながら、河原を去った。
「とりあえず、成人するまでおあずけか」
「とりあえず、成人するまではおあずけだね」
同時に呟いた後、私達は顔を見合わせた。そして、また同時に目を見開き――笑い合った。
――ああ、そうだ。これだ……私が、欲しかったもの。
――私が望んだ、恋の結末。
障害もあるだろうし、これから先どうなるか分からない。高校生のユウ君には、これからたくさんの選択肢が待っている。ずっと恋人同士でいられるかどうか分からない。
――だけど、先の事よりも……。
今手にした温もりが本当で、現実のもの。それだけ分かっていれば、今はそれでいい。
――これが、恋なんだ。
――淫夢をきっかけに始めた、私と彼の恋。
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