⑧淫夢リターン~「好き」の後から始める恋

  ――好きだなんて言わなければ良かった。


 「好き」と一言にいってもたくさんある。

 友情的な意味か、恋愛対象としての意味か。そして、恋愛対象の「好き」にもたくさんある。


 恋心を芽生え始めた時の、始まりの「好き」。

 恋を自覚した後の、一方的に想い続けるだけの「好き」。

 相手に恋するように、自分にも恋して欲しくて、伝える「好き」。

 そして、その人の瞳に自分だけが映りたい――そんな独占欲すら湧いてくる、爆発しそうな程に膨れ上がった好きと――


 「好き」のその後の、「好き」――。


       *


「ユウ君!」

 河原で蹲るように座っていた彼の姿を見つけると、私はすぐに駆け寄った。

「……!」

 私の姿を見ると、彼は怯えたようにすぐに距離を取った。

「待って、ユウ君!」

「こ、来ないで! あんた、正気か? 僕は、お姉ちゃんに、あんな事したのに……」

「いいの」

 下手に駆け寄ると、また逃げられてしまう。もう子どもの頃とは違う。彼は、体力も、身体つきも、私の知る近所の小さな男の子のものではない。

 私は、それをよく知っている。

 中性的な顔つきで、全体的に線が細いせいで分かりにくいが、脱げば、しっかり男の人の身体をしていた。服の下の見えない所にその証が幾つかあり、幼い顔をしながらやはり男の子だった。

 ――いいや、違う。彼は、もう男の子じゃない。

 男の人、だったんだ。

「聞いて、ユウ君」

 私は彼をあまり刺激しないように、ゆっくりと彼に近付きながら言う。もし、ここで全力で逃げられたら、私は追いつけないから。

「私、私ね、あれから、ずっとユウ君の事、考えていたの」

「それで、恨み言いうためにわざわざ追いかけてきたの? ほんと、お姉ちゃんって、結構意地悪だね……夢の中でも、そうだったけど」

「え?」

 よく聞き取れず、聞き返すように顔を覗き込むと、彼は顔を紅くして視線を逸らした。顔が紅いのは、恥じらいだけではなく、怒りや憤りなども込められているように見えた。

「大体、今更何? 自分の事を襲った相手に、用なんてもうないだろ」

「わ、私は……」

 君に伝えなきゃいけない事がある。

 分かっていても、彼を前にすると、あの時の行為が脳裏をよぎって、上手く言葉が出てこない。

「わた、しは……」

 私が口籠もると、彼は愛想を尽かしたように冷めた視線で背を向けた。

「まっ……」

 彼の背中に手を伸ばしながら、私は自分に問うた。

 呼び止めて、それからどうするの?

 彼に伝えたい事がある。

 ――だけど、それを言葉にしたせいで、余計に拗れてしまったら?

 言葉にする事で、もう修復不可能なまで関係が悪化したら、私は立ち直れるのだろうか。

「……よかった」

 ぼそり、とユウ君が呟いた。彼自身、私に向けて言ったわけではなく、独り言が漏れただけのようだが、しっかりと私には聞こえた。

「好きだなんて、言わなければ良かった」

「……っ」

 ――ユウ君は、私に告白した事を後悔しているの?

 ――まあ、当然だよね。

 あの後、軽くニュースにもなった。すぐに互いの行き違いだって説明したが、世間には既に出回った後で、きっと私以上に彼は好奇の視線に当てられただろう。高校生の彼が、それに耐えきれるとは思えない。特に、彼は元々臆病な性格だ。部屋に閉じこもったのも、きっとそういった視線から逃げるため。


『それで、貴女はどうしたいの?』


 ――え?


 今、どこからか声が聞こえた気がした。

 脳内に直接語りかけるような――まるで神様が人間にお告げを与えるように。


『追いかけて、彼に何を伝えるの?』


 ――どうしたいんだろう?

 自分の事なのに、分からない。

 彼の事が好き。それを自覚したのは、あの事件がきっかけだ。その前に、妙な夢を見たせいで、彼を特別に意識してはいたが、その前から私は彼に気が合った。ただ、年の差とかを気にして、気付かないふりをしていただけで――本当は、ずっと前から好きだった。


『なら、どうしてソレを言わないの?』


もし言葉にして、拒絶されたら、前の関係には戻れない。

それなら言わないまま、今の関係を続けた方が、きっと幸せだから。言葉にしたら、それは現実になる。

 だけど、言葉にすらしなければ、それは現実になる事はない。ソレが芽生えた所で、自覚さえしなければ、ずっと無視し続ければ、そのうち枯れて消える。

だから、ずっとソレが消えるのを待っていた。


 ――言葉にすらしなければ、このままでいられる。


 言葉にしたら、消えてしまう。言葉にしなければ、本当にならない。

 言葉にしたら――もう言葉にする前には戻れない。


『だけど、言葉にしなければ、何も伝わらないわよ。だから、彼は言葉にしたんじゃないの』


 ――そうだ……。

 そんな事、臆病で慎重な彼なら真っ先に思いつく。それなのに、彼はちゃんと言葉にした。心の奥に芽生えたソレを育てて、ちゃんと形にした。

 想うだけで生まれてしまったソレにちゃんと水を与えて、光を浴びせて、ちゃんと開花させた。放っておいたらいつか消えるソレを本当にした。


『もう本当は分かっているのでしょう? 貴女のソレは、まだ貴女の中で生きている。あとは、ソレを言葉にするだけで、ソレは大輪の花を咲かすわ。だから……殺さないであげて。ソレは、貴女の中で生まれた恋心は、今も貴女が言葉にするのを待っているわ。そして、彼もね』


 ――私は……。


 ソレを言葉にする事で、私は深く後悔する事かも知れない。

 彼は私より年下。いつか彼は自分の告白を恥じて、後悔するかも知れない。この先、新たに出会う筈の人と、新しい恋を始めるかも知れない。

 ――分かっている。分かっているけど……。

 ――それでも、私は、私達は、ソレを言葉にしてしまう。

 後悔するかも知れない。傷つくかも知れない。痛い想いをするかも知れない。

 一生消えない傷を残すかも知れない。罵倒されるかも知れない。それでも――


「好きです!」


 私は、ソレを言葉にしたい。

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