⑤太陽と日陰~淫夢で知る愛

 某所・ネットカフェ。


「うーん、おかしいな」

 とあるネットカフェの一室で、メアが唸った。

「何がおかしいのさ」

 膝の上で唸るメアに問うと、メアは蹄でパソコン画面に触れた。

「この間の依頼だよ。あの根暗な感じの嬢ちゃんと、いかにもって感じのイケメンの奴。まさか結婚するとはな」

「あー、あれ。まあ、あれは、最初から互いに恋心が芽生えていたからね」

「恋心? あの嬢ちゃんは分かるが、あの兄ちゃんは別に何とも思っちゃなかっただろ」

「もう、そういう所だよ、メアのメアな所は」

「メアさんの存在全否定か」

「あの子達は、ある一点では共通するものがあった。まあ、ある意味似た者同士って事」

「似ている? アイツらがか」

「日陰ちゃんも太陽君も、互いに勇気がなかった」

「根暗娘は分かるが、あのイケメンもか?」

「日陰ちゃんは、まあ見ての通りだね。臆病だから殻にこもる。そして、太陽君の方も、自信がなかった。だから、誰からも好かれる優しい王子様を演じる事で、自分のポジションを守っていた。まあ、そのやりすぎた気遣いのせいで、精神的にお疲れのようだったけど」

「それで、あのザマか」

 おそらくリリンが見せた淫夢の事を言っているのだろう。

 彼は臆病だった。だから、骨抜きにする程徹底的に甘やかす事で、ようやく王子の仮面の下に眠る獣の部分を引きずり出す事が出来たわけだが。

「あの二人は、無意識だろうけど、互いに意識していた。日陰ちゃんは憧れなんだって気づかないふりをしていたけど、まあ、どっからどうみても恋だよね。そして、太陽君の方は……」

 そこで一度リリンが言葉を切ると、不思議そうにメアが見上げていた。その彼の耳元で、リリンがとある言葉を囁くと、メアは案の定白い身体を真っ赤に染めてリリンの額に蹄をぶつけてきた。

「この淫魔があああああああ」

「痛い! もうメアは使い魔のくせにウブなんだから。まあ、そこが可愛いんだろうけど」

「ま、まあ、それで恋を成就させたって事は、今回は一応キューピッドとしての役目を果たしたと言えるが」

「成就? 何を言っているの」

「え? でも、くっつけただろ」

 キョトンとした顔で見上げるメアを見て、リリンは大袈裟に笑う。

「全然違うよー。ボクはただ背中を押しただけだよ」

 確かに淫夢の力で互いの恋心を刺激させた。しかしーー

「所詮夢は夢。現実じゃない。それを現実にするのは、やっぱり当人の実力によるものだよ。あの子が勇気を持って告白したから、二人は結ばれた。勇気のない彼は、彼女の勇気に惚れたんだよ」

「じゃあ、もし、あの嬢ちゃんが告白されるのを待って、何も言わなかったら?」

「多分、成就出来なかったと思うよ。だから、これは、あの子自身が手に入れた幸福なんだよ。神も、悪魔も関係ない。恋する乙女の実力だよ」

 神への祈願は神に願いを伝えるための行為ではない。

 あれは自分自身への決意の現れであり、神はその見届け人にすぎない。

 そして、それは堕ちた天使にして追放された悪魔であるリリンも同じく――

「奇跡を待って何もしない奴に、望んだ未来なんて手に入るわけがない。結局、動いた奴もん勝ちなんだよ。あ、動くって、そっちの意味じゃなくてね」

「お嬢、折角いい感じだったのに、とことん残念だな。だけど……そうかもな。恋のキューピッドなんざ、所詮はきっかけを与えているに過ぎない。恋をするのは、当人達だ。当人である自分がなんとかしなくちゃ、物語は動かない」

「そーいう事さ。まあ、ボクが介入した事による副作用もあるけれど……本当に愛し合った二人なら、きっと乗り越えられるよ」

「副作用?」

「もうメアはー。忘れたの? ボクは、淫魔なんだよ」


      *


「んー!」

 満員電車に揺れて到着した駅で、僕はようやく新鮮な酸素を吸い込んだ。

 ――噂には聞いていたけど、本当に朝の通勤ラッシュって、ほぼほぼ罰ゲームだな。

 今まで電車に乗る機会もないため、最初は戸惑い、乗車するだけで時間かかったが、今となっては日常である。

 ――まさか自分がサラリーマンになるとは夢にも思わなかったけどな。

 ずっと役者一本できて、生涯、舞台役者になるものだとばかり思っていた。だから、この未来は、ある意味想定外の出来事であり、正直未だに現実味がしない。

 ――まさか一発で出来るとはな。

 そのせいで、役者は辞めざるを得なくなり、今では平凡なサラリーマンだ。

 プロ役者になるため、全て役者に注ぎ込んでいた。当然、貯金もほとんどなく、安いアパートに妻と二人暮らすのが精一杯である。

 ――なんか、思っていたのと、違うな。

 妻もパートで働いているため、今更もう一度役者をやりたいなんて言えるわけもなく、何とも言えないもどかしさがとぐろを巻く。

 ――まあ、僕もいい歳だし、いつまでも夢なんて追っかけてらんねえか。

 それに、少し早い気がするが、もう一人増えるんだ。

 これからは父親として、しっかりやっていかないと。

「さて、と」

 頭を切り替え、僕は職場へ急ぐ。

 ちょうどスクランブル交差点を通過した時、ふいにビルの広告が視界に入った。

 ――あ、あれって……。

 見覚えるのある面子の映る広告。自分が抜けた後も彼らは活動を続けたようで、今では小さな活動が実を結んだのか、世間への露出が増えた。


 ――『あんたみたいな顔だけ取り柄の大根役者、うちじゃなきゃ使ってくれないよ』


 過去に女優の口から出た言葉が脳裏をよぎった。

 かつて妻に嫌がらせをしていた女優が言った言葉だ。売り言葉に買い言葉であり、気にする必要なんてないと分かっているが、どうしても忘れられない。 


 もしかしたら、辞めて正解だったのかもしれない。

 もしかしたら、辞めずに続ける事で才能が開花したのかもしれない。


 ――なーんて、いつまで劇団引きずっているんだよ。

 いい加減に忘れろよ。もう夢を見ていい歳じゃないんだ。

 ――だけど、たまに思ってしまう。

 もし違う選択肢を選んでいたら、あの子を選ばない未来を選んでいたら、どうなっていたのだろう。

 妻の事は愛しているし、子どもが出来た事を知った時も驚きもあったが嬉しかった。

 ただ――もう少し恋人同士でいる二人の時間や独身生活を満喫したかった。

 無責任だと分かっていても、時折そう思ってしまう時がある。

 ――男のマリッジブルーってやつかな。

 そんな事をぼんやり考えていると、すれ違い様に通行人に肩がぶつかった。謝罪する間もなく去っていき、僕も会社へ急ごうと歩く速度を速める。

 一度だけビルの広告を振り返ると、ある筈のない自分の姿が見えた気がした。

「もう行こう」

 夢を追い続けた未来と、愛する人と結ばれる未来。

 その両方が手に入れば理想だが、現実はそう簡単にはいかない。だから、僕は愛する人と結ばれる未来を選んだ。

 当時はまだ夢と現実の間で揺れていて、これからどうしようか迷ってもいたが――彼女から妊娠の報告を受け、僕はあっさり夢を捨てた。

 ――まるで悪夢だな。

 捨てた筈の夢が、時々「本当に良かったのか」と問いかけ、現実を生きる足枷になる。いっその事全て忘れられたら楽なんだろうが。

 ――不満もあるし、不安だってある。

 この選択肢が本当に僕にとって良かったのか分からない。ただ――今の僕は、十分幸せな男だ。幸せな、筈だ。

 ――僕を深く愛してくれる妻がいて、愛する人の間の子どもが出来た。幸せでない筈がない。

 ――なのに、何だろう。この妙な、違和感は。

 もしかしたら、自分でも気付かないうちに父になる不安が出始めているのかも知れない。だが、それは妻も同じ筈だ。

 ――しっかりしなくては。僕は、夫なのだから。

 鞄の中の妻の弁当の重みを感じ、僕は会社へと急いだ。

 ――ああ、結婚して良かったな。

 若い頃を懐かしく思う日もあるだろうが――これからは僕だけじゃない。きっと、他の人も同じように悩みながらも折り合いをつけて、生きている。

 それに、もう僕一人の人生じゃない。

これからは、妻や子どものために生きよう。

良き夫として、良き父として。


「さようなら」


 ビルの広告を振り返るが、もうそこに自分の幻はいなかった。

 今度こそ、僕は出勤する会社員達の波に入り、その流れにのって会社へ向かった。

 ビルの広告を振り返る事は、もうなかった。


 それ以降、かつての夢を悪夢に見る事はなかった。


      *


 また一説では――


『サキュバスとして人間の男性から種を受け取り、インキュバスとして人間の女性に種を植え付けるとも言われており、人の行為の架け橋となるとも言われている。

 よって、淫夢の中でサキュバス或いはインキュバスと結ばれた人間は、サキュバス或いはインキュバスによる魔力の影響で互いに惹かれやすく、そして――サキュバス或いはインキュバスに中継された相手同士が行為に及ぶと、必ず子を授かる。

 授かった子は魔力の影響などは受けず、人の子として育つため、一説では、子宝の神とも言われ――』


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