③太陽と日陰~淫夢で知る恋


『叶いましょう、あなたの願いを』『叶えよう、君の恋を……』


 ――脳内に、同時に複数の声がこだました。


 年若い少女の声と、声変わりしたばかりの少年の声であって――。

 艶を秘めた女性の声と、色気を秘めた低いテノールの男性の声であって――。

 別々の声の筈なのに、何故か同じ人が発しているように感じた。

 どうして、そんな事を思ったのかは分からないけど。


 ――でも、まあ、いいか。


 どうせ、これは夢なのだから。


 ――そう、これは夢。

 現実であるわけがない。なら、些細な事など、どうでもいいではないか。


 見慣れた楽屋にいながら、それが夢だという事だけは分かった。

 そこにいるだけで、あんなに息苦しかったのに、今は普通に呼吸が出来る。

 誰もいない楽屋は、やけに静かだった。

 いつも聞こえる筈の声も、蔑んだ視線も、嘲笑も――何もない。

 ――何だか、変な感じ。

 そんな事を思って、無人の楽屋を見渡していると、ふいに誰かが入ってきた。思わず、私は物陰に身を潜めようとするが――更衣室の中に入り込む寸前に、誰かに腕を掴まれた。

「待って、逃げないで」

 後ろから羽交い締めのように抱き締められながら、彼が囁いた。

「どう、して……」

 振り返らなくても分かる。

 いつも彼の声は、日だまりようで――言葉一つに、温もりを感じた。

「僕は、ずっと……君とこうしたかった」

 両腕の中に私を閉じ込めながら、彼は言った。

「ダメ、です」

「どうして?」

「貴方は、太陽。私は、日陰。私には、貴方に触れる資格なんて……」

「あんなに、情熱的な目で、僕を見ていて、今更引き返すのかい?」

「……っ」

 ぞくり、と全身に甘い痺れが巡った。

 耳の中に直接息を吹きかけられ、脳に直接語りかけるように彼は言った。

「僕は、知っていたよ。君の、秘密」

「ひ、みつ?」

 振り返ろうとも、後ろから身体を抑えられていて、彼の顔を見る事すら出来ない。

 私の知っている彼とは別人のように、獲物を前にした獣に似た鋭い視線だけが、舐めるように背筋を這う。

「……だ、め……」

 身を捻って逃れようとするが、さらに強い力で抑え込まれた。

 ――あれ、ここって……。

 最初は暗くて分からなかったが、気付いたら、私は更衣室の中にいた。

 壁に貼り付けられた全身鏡には、鏡面に手を置く私と、背後の彼がしっかりと映っていた。

「……っ」

 その不安定な体勢のまま、深く口づけられた。

 漏れ出た悲鳴すら飲み込み、熱い舌が喉奥まで達し――呼吸が苦しくなったと分かると、入り口まで引き、そして、また酸素と共に奥へと進める。

 行為に似た口付けが何度も繰り返され、舌が動く度、身体の芯に熱が生まれた。

 酸素が足りないせいか、頭がくらくらしてきた。

「……はあっ……」

 意識が朦朧とし始めた時、ようやく解放された。

 もう一人で立っている事すら出来ず、鏡面にすがるように手をつくと――鏡に映った自分と目が合った。

 頬を紅く染め、瞳は酔ったように潤み――欲を求めた女の顔。

 まるで自分じゃないみたいで、思わず顔を逸らそうとするが、後ろから彼に顎を固定された。

「ほら、よく見て」

「やめて……」

 簡単に振り払えると思ったが、狭い更衣室だ。

 身動きを取れば、その分、彼が抑え込もおうと距離を縮め、完全に動きが封じられてしまった。

「僕は、君のその瞳が好きだった」

「……え?」

「ずっと、君が僕を見つめていた事、知っていたよ」

「……っ」

 気付かれていた事が恥ずかしく、顔の熱が上がった。それすら愛らしいとも言うように、彼は後ろから唇で首筋を這いながら言った。

「いつも、君は、僕を見ていた」

「……う、んっ……」

 唇が肌を這い、時折甘噛みしながら、彼は言う。

「とても情熱的な目で、僕はずっとその瞳の奥にあるものが知りたかった」

「どういう、意味です、か……あっ……んっ……やあっ……」

 問いかけるが、強く首筋を吸われ、自分の声とは思えない艶めいた悲鳴が漏れた。

 顎は固定されたままのため、嫌でも鏡に映った自分が目に入った。

 肌に点々と並ぶ赤い印と、欲に溺れた女の顔。

 目を逸らしたくても、彼の手がそれを許してくれなかった。

「今まで、同じような目で僕を見る子はいた。みんな欲に満ちた視線で、僕を見ていた。だけど、君は違っていた」

「え?」

 優しい声で、彼は言った。

「君の目は、とても純粋で、美しかった。欲に満ちた他の女達とは違う。僕の顔や身体じゃない。その先にあるものを見据えていた。だから、自然と、惹かれた」

「う、そです」

「嘘じゃないよ。僕はずっと、君に惹かれていた」

 壁についた手に、彼の手が重なった。

 そして、耳元で、囁くように言った。

「僕は、君に焦がれている。君が、僕に焦がれていたように」

「そんな……ありえません。だって、私は……」

「日陰だからって言うんだろう」

 私の言葉を遮り、彼が笑った。

 そうしている間も、彼の手は止まる事なく、全身を這い――ついに、胸元から侵入した。

「太陽だって、陰を恋しくなるよ」

「……やっ……」

 胸の弾力を確かめるように、後ろから両の手で持ち上げられた。多少の重さが遠ざかったと思ったら、持ち上げた手の力を弱めると共に、強い力で揉まれた。

 胸の重みと、彼の握力。その同時が、執拗に刺激を与え――自分の意思とは関係なく声が漏れた。

「やめ……あんっ」

「僕は、誰でも優しいんじゃないんだ。君が見ているから、他の人にも優しくしたんだ。君に、優しくしたんだ。だって、君には、優しい男だって思われていたかったから」

「……待って……やんっ……」

 声は、言葉は、愛を囁く優男のように甘いものなのに、与えられる刺激は強く激しいもので、その僅かな差がより内に眠っていた欲を目覚めさせる。

「はあ……っ」

 散々胸を責められて息が上がり、もう顔を上げる気力も残っていない。

 いつの間にか、胸元を隠していた衣類がはぎ取られ、中途半端に脱がされて露となった自分が、鏡に映っていた。

 首元を中心に赤い印が、所有を意味するように点々と並ぶ。

 鏡に胸元が押し付けられ、火照った身体にひんやりとした程良い冷たさが触れる。

「ねえ、これでも、僕は優しい男に見えるかい?」

「私が、貴方に、焦がれたのは……優しさだけじゃないです。貴方が、私にとって憧れそのものだったから」


 ――そうだ、私は、彼が好きだった。


 彼の優しい人柄に惚れたのもあるが、本当は――

「貴方は、誰からも愛されて、キラキラしていた。私のなりたい、理想の自分。だから、私にとって、貴方は太陽。焦がれて、焦がれて、仕方がない」

 だけど、決して手の届かない憧れ。

 だから、見ているだけで良かった。

 色んな人に愛される貴方をただ見つめているだけで良かった。

「本当は……それだけじゃ、足りない」

 ふいに、本音が零れた。

「最初は、ただ見ているだけで幸せだった。だけど、色んな綺麗な女の人に囲まれる貴方を見て、時々、貴方の瞳の中に映る私を見て……本当は、それだけじゃ足りなかった。私は、私も、愛してほしかった」

「……うん、よく言えたね。それが、君の願いなんだね」

「え?」

 違う誰かの声に聞こえて、振り返ろうとするが、顔を見られるのが嫌なのか、また抑え込むように抱き締められた。

「君は、日陰なんかじゃない。日陰は、こんなに……」

「あっ……やっ……」


「熱くは、ないだろ?」

 

 狭い空間で、彼の手が的確に私の身体に触れ、熱を上げていく。

 首筋を噛みつくように吸われる中、他の手は胸の頂きに触れた。

「……待って、だめ……こんな事……」

「愛してるよ、僕の、太陽」

 耳元で優しく愛を囁きながら、胸を覆っていた彼の手は、次第に硬くなり形がはっきりとした頂きを摘み、形を確かめるように何度も複数の指で転がした。

「……っ」

 とても恥ずかしい事をされている筈なのに、抵抗が出来ない。既に声は枯れ、口からは弱々しい息だけが飛び出る。

 そんな惨めな姿すら愛おしいとでも言うように、彼は優しく微笑みながら――ついに下腹部に手を進めた。


「……愛しているよ、僕の太陽」


 これから起きる事を予感し、私は幸福感に身を震わせた。

 いたぶるように無理やり教えられた欲も、今となっては心地良い。

 私は目を閉じ、彼に全てを委ねた。


――なんて、素敵な夢だろう。


いっその事、目覚めなければいいのに。

最近はずっとストレスのせいで眠れなかったけど、久しぶりに深く眠れそう。

この夢ならずっと見ていたい。


 ――だけど、どうしてかな?


 ――とても幸せなのに、時々とても不安になる。

 ――彼は優しいけど、どうして、今日の彼の優しさは、どこか違う。


 その小さな違和感が、大きな不安を呼び、胸の中に渦巻く。


 ――でも、夢に文句を言ったって、しょうがないよね。


 私は、幸福感と、小さな不安を胸に秘めたまま、意識を手放した。

 もっと深く眠れるように――。


 夢に溺れるように――。

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