Episode3 〆切前にはお部屋案内が捗る
朝食と洗い物を終えたあと、愛結はヒカリに家の中を案内される。
このマンションは五階建て+地下一階という構造で、地下一階から四階まではそれぞれ1LDKの部屋三戸ずつで構成されているのだが、最上階の五階だけはヒカリの住む一戸のみ。
ヒカリの部屋の間取りは、一繋ぎになったリビングとダイニングキッチン、洋室が三部屋、和室が一部屋、バスルーム、トイレ、ルーフバルコニー。
洋室は、六畳間がヒカリの執筆部屋、八畳間が寝室兼趣味部屋、もう一つの八畳間がほぼ物置状態となっている。
その物置状態の部屋に入り、愛結は唖然とした。
天井近くまである高い棚がいくつも並び、本、ゲーム機、ボードゲーム、CDやブルーレイ、プラモデル、ぬいぐるみ、カメラ、人形、民芸品、ガラス細工、陶器、工具箱、化粧箱、画材、手芸用品、スポーツ用品、ネイルアートキットなど様々なもので埋まっていた。
一応カテゴリーごとに分けて収納されてはいるものの、あまりに混沌としていて一人暮らしの人間の部屋だとは思えない。
まるで、年齢も性別も性格も全然違うきょうだいが五人くらいで一緒に使っている部屋みたいな印象だった。
「……これ、全部先生のものなんですか?」
真顔で確認する愛結に、ヒカリは「そうよー」と軽く頷き、
「ちなみに奥のウォークインクローゼットにはフォーマルドレスとかコスプレグッズとか、キャンプとか釣りの道具が入ってるわ」
「なんてゆうか、すごい……多趣味なんですね」
感心半分呆れ半分で言う愛結に、ヒカリは少し苦笑して、
「どれも小説のネタ探しと気分転換を兼ねたにわか趣味だけどね。そんなに大事なものは置いてないから、興味があったら好きに使っていいわよ」
「あ、はい……ありがとうございます」
過去に熱中したものといえば空手くらいだった愛結にとって、ここにあるほとんどが未知の領域で、この中の何かを選んでやってみようと考えているだけで一日が終わるだろう。
「そういえば、和室の客間を愛結ちゃんの部屋に決めちゃったけど、やっぱり洋室のほうがいいかしら? それならこの部屋を使ってもらうけど……」
「い、いえ、和室で大丈夫です!」
この部屋のものを和室に移動させるのはあまりにも大変そうだ。
続いて二人は、ルーフバルコニーへと向かう。
敷地面積の三分の一ほどを占めるバルコニーには、お洒落な感じのガーデンテーブルと二脚の椅子、そしてステンレス製の物干し以外は何もなく、とても広々としている。
「はぁ~、すごい……!」
愛結は思わず駆け足でバルコニーの端まで行き、景色を眺める。
五階なので高さはそれほどでもないが、周囲に高いビルなどが少ないこともあり、かなり遠くまで見渡すことができた。
整然とした街並みに、道を歩く人々。少し離れたところには緑豊かな広い公園らしき場所も見える。
ニュースやドラマなどで見てなんとなく頭に思い描いていた、東京の雑然としたイメージとは大きく異なる、閑静で上品な高級住宅街の景色。
ここが、今日からあたしの暮らす街――。
家出してよかった! と思うと同時に、自分なんかがこんなところに住んでいいのかと不安にもなる。
「なにか面白いものでも見えた?」
ヒカリが隣にやってきて訊ねた。
「い、いえ。でも……いい眺めですね」
「そう?」とヒカリは小首を傾げた。
こんな眺めなど、彼女にとっては本当にありふれた日常の一部でしかないのだろう。
「あ、あのっ、先生」
「なに?」
「小説家ってその……そんなに、えっと……も、儲かるんですか?」
昨夜この家にやってきてからずっと気になっていたことを、愛結は訊ねた。
「うーん、まあすごく売れてる人はすごく儲かってるんじゃない? ピンキリでしょ」
不躾な質問を気にした様子もなく、ヒカリはさらりと答えた。
「じゃあ海老先生は、すごく売れてる人なんですね」
「んー。出版業界全体のことはわからないけど、ブランチヒル文庫の作家の中だと、私は上の下か中の上くらいじゃないかしら」
謙遜している風でもなく、客観的な事実を淡々と述べるようにヒカリは言った。
「中の上で……時給五十三万円……」
愕然として唾を飲み込む愛結に、ヒカリは「五十三万円?」と不思議そうな顔をした。その反応に、今度は愛結が困惑する。
「え、だって昨日、先生の時給を計算してみたら五十三万円だったって……」
「ああ、アレは冗談よ」
「ええ!?」
さらりと言ったヒカリに、愛結は目を見開く。
「本気で信じちゃってたのね、ごめんごめん……ぷふっ」
謝りつつも堪えきれず噴き出すヒカリ。
「しょうがないじゃないですか……ギョーカイのことなんて何も知らないだもん……」
愛結は顔を赤らめて唇を尖らせ、
「……でも、こんなすごいところに住めるくらいには売れてるんですよね」
「うーん、無理すれば住めなくはないけど、自腹でこの家を借りようとは思わないかなー」
「え?」
何を言っているのかよくわからず首を傾げる愛結に、
「私の家、お金持ちなの」
引け目や後ろめたさなど微塵も感じさせない声音で、ヒカリは端的に言った。
「お父さんが大きい会社の社長でね、お兄ちゃん二人とお姉ちゃん二人もグループ会社の社長なんだけど、この部屋は不動産を扱ってる上のお兄ちゃんにもらったの。一人暮らししたいから『お兄ちゃん家ちょうだーい』っておねだりしたら、『いいよー』ってくれた」
悪戯っぽくはにかむヒカリ。
「タワマンとか一戸建ての物件もあったんだけど、タワマンは上り下りに時間がかかりそうだし、一戸建ては一人じゃ持て余すから、ここでいいかなって」
……家がほしいとおねだりしたら高級マンションをポンともらえる家庭。
大金持ちの社長令嬢って、ドラマの世界だけじゃなくて現実にいるんだ。そりゃそうか、大金持ちの社長が実在するんだから、その娘だってどこかには存在するに決まっている。それがたまたま、自分の目の前にいる彼女というだけだ。
超美人でお金持ちのお嬢様な上に、彼女自身もプロの小説家として世間で認められている。
実家やきょうだいのことを話す口ぶりからして、きっと家族仲も良好なのだろう。
学校や家から逃げてきた家出少女の自分とはあまりにも違いすぎて、比べることすら馬鹿馬鹿しくておこがましい。
あぁ――遠いな。あまりにも遠い。
切ない痛みが愛結の心をちりちりと焦がす。
「あっ、そうだ!」
愛結の胸中も知らず、不意にヒカリが弾んだ声を上げた。
「はい?」
「今夜の夕飯はここで食べましょう」
「ここで?」
ヒカリが楽しげに微笑み、
「うん。ほんとは昨日の夜、ここでローストビーフを食べながらワインを飲む予定だったのに、みゃーさんのせいでできなかったから。夜景はそんなでもないけど、星は結構よく見えるのよ、ここ」
「……」
広々としたお洒落なバルコニーで星空を見ながら、ヒカリと二人で夕食。
それはとても素敵だなと愛結は思った。
「……いいですね。それじゃあ、夕食は気合いを入れて作ります」
「うん。期待してるわね」
何もない自分に降って湧いた幸運を、今はただ、甘んじて受け容れよう――。
*
「さてと、それじゃ、改めて確認しておくわね」
家の中を一通り案内してリビングに戻り、海老原優佳理は愛結に仕事内容を指示する。
「えーと、廊下とリビングとキッチンの床は基本的に掃除ロボットがやってくれるから、たまに隅っこのホコリを掃除してくれるだけで大丈夫。私の仕事部屋と寝室の掃除はしなくてOK。物置部屋も二週間に一回掃除機をかけるだけでいいわ。玄関とルーフバルコニーの掃除は、なんとなく汚れてるなって思ったら適当にお願い。トイレ掃除は……一週間に一度くらい? まあ汚れが目立つようなら適宜綺麗にするということで。お風呂掃除だけは毎日お願いね。愛結ちゃんの部屋については愛結ちゃんに任せます。……掃除についてはこんなところね」
「わ、わかりました」と愛結がコクコク頷く。
「あとは洗濯と、食事の準備と片付け。メニューは基本お任せ。アレルギーは特にないわ。食費はまったく気にしなくていいけど、カロリーはちょっとだけ気にしてほしいかも。洗濯は、一応バルコニーに物干しがあるけど、ドラム式洗濯機が乾燥まで全部やってくれるから洗濯物を干すことはあんまりないと思うわ」
「わかりました」
「うん。掃除、洗濯、炊事――以上、これが愛結ちゃんのお仕事です。この三つさえ忘れずにやってくれれば、あとは自由にしてていいわ」
「えっ?」
愛結が訝しげな声を上げた。
「うん? なにか問題でも?」
「えっと……」
愛結は怖ず怖ずといった様子で上目遣いに優佳理を見つめ、
「みやちゃんからは、先生がちゃんと仕事するように監視しろって言われてるんですけど……」
「それは忘れてかまわないわ」
「ええ!?」
にこやかに言い切った優佳理に、愛結が目を丸くした。
優佳理は少し笑みを深めて、やんわりと圧をかける。
「愛結ちゃんの雇い主は、みゃーさんじゃなくて私よ? 私がいいって言うんだから、いいに決まってるでしょう?」
「で、でも、みやちゃんに頼まれたからここで働くことになったんだし……逃げようとしたら鎖骨折ってもいいって言われてるし……」
「おおう、なんてこと言うのよみゃーさんは……」
優佳理は笑みを引きつらせ、
「大丈夫よ愛結ちゃん。監視なんてなくても私はちゃんと仕事をするから。私を信じて」
愛結の目を真っ直ぐ見つめ、真剣っぽい顔と声色を作って語りかける。
愛結は顔を赤らめて目を逸らし、
「で、でも昨日だって、ちゃんと仕事してなかったからみやちゃんが家に来たんじゃないんですか?」
実に的確な指摘だったが、動揺をおくびにも出さず優佳理は続ける。
「たしかに原稿を上げるのは遅れたわ。それは認めましょう。……でもね、作家の仕事っていうのは、小説を書くことだけじゃないの」
「え!?」
「むしろ実際にパソコンに向かって小説を書いてる時間なんて、作家の仕事全体からすればほんの数パーセントに過ぎないと言えるわ」
「ええ? どういうことですか?」
混乱を隠せない愛結に、優佳理は真顔で説明する。
「小説を書くために何より必要なのは、インプットよ」
「インプット、ですか?」
「そう。一番わかりやすいのは取材に行ったり必要な資料を調べたりすることだけど、それ以外にも、一見仕事とは関係ない本を読んだりゲームをしたり映画を見たりするのも、感性を養うためには大切だし、小説の舞台とは関係ない場所への旅行なんかも、いつか自分の作品の参考になるかもしれないでしょう」
「それは……そうかも……?」
「そうなのよ!」と力強く言い切り、「それからもちろん、体調管理も大事な仕事ね。遊んだり美味しいものを食べたりお酒を飲んだりするのも心身のコンディションを整えるために必要不可欠だし、眠って脳と身体を休めることだって当然重要なことよ。つまり小説家は、二十四時間、普通に生きてるだけで働いてるということなの!」
「い、生きてるだけで働いてる……!?」
衝撃的な言葉に、愛結が目を白黒させる。
「そ。今こうして愛結ちゃんと会話してるのだって、私にとっては立派な仕事なのよ? 私が小説家である以上、私が仕事をしないという状況は論理的にあり得ないんだから、監視なんてまったく必要ありません。どう? わかった?」
愛結はどこか釈然としない顔をしながらも、「……はい……わかりました」と頷いた。
ふふ、チョロい。
京をはじめ歴戦の編集者ならば問答無用で「妙な屁理屈で煙に巻いて仕事から逃げようとしたわねハイ鎖骨!」となるところなのだが、やはり子供だ。すんなり丸め込まれてくれて実に可愛らしい。
優佳理が内心ほくそ笑んでいると、愛結がスマホを取り出してなにやら入力を始めた。
「ん? なにしてるの?」
「一応、みやちゃんに確かめてみます」
そう言って愛結がスマホの画面を見せる。LINEアプリのメッセージ入力欄には、
『作家さんって生きてるだけで働いてるの?』
「ま、待ってそれを送るのは」
優佳理が慌てて制止するも、シュポッとメッセージが京へと送られてしまった。
「ああっ!?」
メッセージはすぐに既読になり、間もなく京からの返信が届いた。この時間に起きているということは、恐らく昨夜から寝ないで仕事中だったのだろう。
「……」
愛結が無言で優佳理に画面を見せてくる。
『あたしの代わりにそこのバカの鎖骨折っちゃって』
マジギレしている京の顔を想像し、冷や汗を浮かべる優佳理だった。
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