Episode1 〆切前には出逢いが捗る④
まさか本当に美少女を連れてくるとは。
担当の京に愛結のことを紹介され、編集者ってやっぱり頭おかしいなと優佳理は思った。京は一見常識的な社会人なようで、ちょくちょくぶっとんだ行動をするので侮れない。
とはいえ、作家などという社会不適合者の群れを相手にする職業なのだから、きっとおかしいくらいでちょうどいいのだろう。
……彼女みたいにマトモすぎて壊れてしまうよりは、頭のネジが何本か飛んでいる方がよっぽどいい。
脳裏をよぎった昏い思考を振り払って、
「二人とも、夕飯はもう食べました?」
ひとまず京と愛結をリビングへと通し、優佳理は訊ねた。
「まだだけど」と京。
「それじゃあ一緒に食べましょう。ちょうど準備してたところだったので」
そう言って優佳理はキッチンへと向かう。
椅子に座ってチラチラとこちらを窺っている愛結に目をやると、彼女は慌てたように顔をサッと下に向けた。
人間を警戒するチワワみたいというのが、白川愛結に対する優佳理の第一印象だった。
大きなアーモンドみたいな瞳が印象的な、高校生か、もしかしたら中学生かもしれない幼さの残る顔立ちに、小柄な身体つき。でも胸は大きい。
金髪のショートツインテールで前髪に赤のメッシュ。大きなドクロが描かれたパンクなTシャツ。アニメや漫画が好きな優佳理のために、わざわざコスプレしてきてくれたのだろうか。ハーレイ・クインじゃないし……何のキャラだろう?
そんなことを考えながら、今日作ったローストビーフ六〇〇グラムを大皿に全部盛り、ダイニングテーブルへと運ぶ。
さらに京が家に向かっている間に作っておいたシーザーサラダとコンソメスープ、フランスパン、三人分の食器とグラスを並べ、最後に赤ワインを持ってきてグラスに注ごうとすると、
「ちょーっと待った! なにナチュラルにお酒飲もうとしてんのよ!」
京が鋭くストップをかけた。
「え? ローストビーフには赤ワインじゃないですか」
「駄目! ご飯食べたらすぐ原稿に取りかかるんだからお酒は禁止!」
「そんな! お代官様、せめて一杯だけでも!」
悲壮感溢れる声で懇願する優佳理に、京はジト目で、
「誰がお代官様よ……。あんた一杯飲むだけでグダグダになって、全然書けなくなるでしょうが」
「みゃーさんの鬼! せっかく六時間くらいかけて美味しいローストビーフを作ったんですよ!」
「ろ……!?」
優佳理の言葉に、京の表情が強ばった。
「やっぱりこのローストビーフ、あんたの手作りなのね……しかも六時間……?」
「あ」
失言に気づき優佳理が頬を引きつらせる。
「〆切ギリギリだってのに、あんたは六時間かけてローストビーフ作ってたのね、海老ヒカリ先生……? あなたのご職業はなんでしたっけ?」
「今はハンターです」
「あ゛あ゛!?」
額に青筋を浮かべる京を、優佳理はやんわりとなだめる。
「あはは、冗談ですよ、落ち着いてくださいみゃーさん。べつに六時間ずっとキッチンに立ってたわけじゃないですから! 料理はあくまで気分転換ですよ」
「……じゃあ、当然原稿も進んだのよね?」
「もちろんですとも!」
きっぱりと頷く優佳理を、京は疑わしげに見つめ、
「ちなみに残りはあとどれくらい?」
優佳理は京からさりげなく視線を逸らしつつ、小声で答える。
「……残り半分くらい」
「それ先週聞いたときからほとんど進んでないじゃない!」
「てへへ……」
「あ~~~ほんっとにこのロクデナシは……!」
京が頭を掻きむしり怒りを爆発させようとしたそのとき、突然「きゅるるる……」という気が抜けるような音が響いた。
鳴ったのは愛結のお腹だった。
優佳理と京にまじまじと見つめられ、愛結は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「あっちゃん、お腹減ってるの?」
京が訊ねると愛結は小さく頷き、
「昨日からなんにも食べてない……」
「ええ!? じゃあさっきの喫茶店でサンドイッチでも頼めばよかったのに」
呆れる京に、愛結は唇を尖らせて、
「だってあのお店、サンドイッチ七〇〇円もしたし……そんな高級なやつ頼めないよ」
「ぷふ……っ」
いかにも学生らしい可愛い発言に、優佳理は思わず笑い声を漏らした。
……こんな可愛いことを言われると、つい悪戯心が芽生えてしまう。
「ふふ、お腹ぺこぺこの子がいるようだし、そろそろ食べましょうか。いっぱい食べてね、愛結ちゃん」
「あ、はい……それじゃあ……」
ゴクリと喉を鳴らして箸を手に取る愛結に、優佳理は何気ない口調で、
「ところで私、こないだ試しに年収と実際の執筆時間から自分の時給を計算してみたんだけど、私の時給はざっと五三万円だったわ。これはそんな私が六時間かけて作った、三一八万円のローストビーフよ。代金は出世払いでいいわ。ささ、遠慮なく召し上がれ♪」
「さ、さんびゃくじゅうはちまんえん……!」
愛結が目を白黒させてテーブルの上のローストビーフを凝視し、「みやちゃん……」と泣きそうな顔で京を見つめた。まるでおあずけを食らった子犬みたいで、優佳理の胸がキュンとなる。
「あっちゃん。ヒカリの妄言なんて気にしなくていいから。……じゃあとりあえず、いただきます」
そう言うと、京は箸でローストビーフを一切れ口に運んだ。
優佳理も笑いながら京に続き、ローストビーフを頬張る。肉に歯を立てるたびソースの複雑な酸味とジューシーな肉の旨味が混ざり合い、口いっぱいに広がっていく。今日のローストビーフは会心の出来だ。赤ワインが飲めないのが残念でならない。
「ほら、あっちゃんも」
京が愛結の皿に数枚の肉を取り分け、手渡した。
愛結は皿の上、京の顔、優佳理の顔の順番に視線を移し、
「……じゃ、じゃあ……いただきます」
おずおずと肉を箸で摘まみ、口に入れて咀嚼すると、彼女の大きな目がさらに開かれた。
「おいしっ! これめっちゃ美味しい!」
一切れ目を飲み込み、続いて二切れ、三切れと頬張り、愛結の皿の上にあった肉はあっという間に消えた。
「ふふ、どんどん食べてね」
愛結の食べっぷりに、優佳理の顔が自然とほころぶ。ここまで美味しそうに食べてもらえると、作った側としても気分が良い。京も美味しいとは言ってくれるが、彼女が優佳理の部屋に来るときは基本的に修羅場中なので百パーセント食事を楽しんでもらえないし。
「パンに挟むのもいいわよー」
優佳理はナイフでフランスパンに切れ目を入れると、ローストビーフとサラダをパンに挟んでマヨネーズを掛け、「はい、どうぞ」と愛結に差し出した。
愛結は目を輝かせて両手で即席ローストビーフサンドを受け取り、勢いよくぱくつく。
「ったく、相変わらずあんたの料理は美味しいのよね……」
京が複雑そうな顔を浮かべ、優佳理は「ふふふ、そうでしょう」とドヤ顔をする。
「あにょ――」
ハムスターみたいになっていた愛結が何か言いかけ、いったん口の中のものを全部飲み込んだあと、
「あ、あの! 先生こんなに料理が上手なら、あたしが食事を作る必要なんてないんじゃ……? あたし、ローストビーフなんて作ったことないんですけど……」
すると京は、
「このアンポンタンは〆切前に限って手間のかかる料理を作りたがるのよ。たしかに美味しいんだけど……でも〆切直前に作らなくてもいいでしょ!? いつだったか、デッドラインギリギリのときにうどんこねてるのを見たときは本気で殺そうかと思ったからね!」
「あー、そんなこともありましたね。文章じゃなくてうどん粉を練っちゃったわけです」
「いや上手いこと言わなくていいから」
京は半眼で嘆息し、
「そのくせ普段はインスタントとか外食ばっかりだし……。あっちゃんにはヒカリに、ちゃんと健康のことを考えた食事を作ってほしいの」
「健康……う、うん。がんばる」
緊張した面持ちで頷く愛結に、優佳理は「頼りにしてまーす」と軽い調子で微笑んだ。
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