第29話 冬の足音

 持ち帰った発電ユニットの設置を終えて作業場へ戻ると、電力割当量が増えたとの通知が待っていた。タキはいい気分で、使い走りを命じられたナオに紅茶を淹れてやった。この前の探掘で食品売り場から持ち帰った本物の茶葉である。もちろん品質保持期限はとうに過ぎているのだが、旧文明の包装技術は見事なもので、湿気も虫もものともしない。

「なあ、タキ、あれは何だ?」

 今回の探掘で、タキは嗜好飲料類のほかに、千ピースのジグソーパズルを持ち帰っていた。昔、国際宇宙ステーションISSから撮影された百万都市の夜景である。暗闇と人工の灯りの対比が美しく、細胞標本にも、星雲や銀河にも見える。殺風景な作業場の壁面にしっくり馴染んでいて、師匠がほとんどを完成させたこと以外は気に入っている。

 と説明してやると、ナオは「魚が」と呟いたきり、パズルを見つめて黙ってしまった。冷めないうちに、と勧めると、はっとした様子でカップを手に取る。

「……なんかちくちくする味だな。匂いはいいんだけど」

「お前ね、それが本物だからな。缶入りの粉末は偽物だぞ。あと匂いって言うな、香りって言え」

「めんどくさいな、もう……」

 眉間に皺を寄せたまま、ナオが首を捻ったり傾げたり怪訝そうに紅茶を飲み干すのを待って、ところで、と細い体躯に投げかけた。

「ミズハに聞いたんだけど、ぬいぐるみと寝てるってほんとか」

「ちっ、違、いや違わないけど……あー、くそ……イナサがくれたんだよ。寒いときに一緒に寝るといいよって」

 それでお前は、イナサの言う通りにぬいぐるみを抱いて寝ているのか。棘を隠すつもりはないし、可愛い妹と気安く物品のやりとりをしているのも気に食わない。ついこの前まで、見ているこちらが恥ずかしくなるくらい露骨にお互いを避けていたくせに。

 いつものように顔を真っ赤にして突っかかってくるのかと思いきや、彼はすっかり開き直って、長い前髪の奥で目を細めた。

「なんだ、タキも欲しいのか」

「……は?」

 なんでそうなる。

「イナサが心配してた。タキの分も持って帰ってくればよかったかなって。これから寒くなるから、ひとりで寝るのは寂しいだろうって」

「いや、ひとりって……ん、ちょっと待て」

 冬の間、イナサはミズハと眠る。ナオはイナサのぬいぐるみと。そして己は。

 ――孤独。

「まあ、最初は抵抗あったけど、慣れるといいもんだよ、ぬいぐるみ。ふかふかですべすべでさ。……タキにはわかんないだろうけど」

「そこで勝ち誇られても!」

「だってイナサにぬいぐるみもらったもの」

「ぐ……」

 イナサからのプレゼント。ぬいぐるみ。大の男がぬいぐるみ。欲しいかと言われれば、欲しいに決まっている。なぜおれにはないんだ、ぬいぐるみ。

「ち……ちなみに何のぬいぐるみか訊いていいか。勘違いするなよ、欲しいとかそういうんじゃないからな、あくまで参考に……」

「ペンギン」

 これくらいの大きさ、と彼が両手を広げて示したところによると、ちょうど人間の頭部ほどで、抱いて寝るにはさぞや具合がよろしかろうと思えた。

「お兄ー!」

 それを寄越せと締め上げる直前に、当のイナサがやってきた。区でいちばん厚着のナオとは対照的に、風が吹けば飛びそうな薄手のジャケットを羽織っただけで、同じ季節を生きているようには見えない。この場合、彼女の感覚がおかしい。冬の足音がもうすぐそこにまで迫っているのに、見ているだけで首の後ろがすうすうする。

「バックパックユニットのアジャスタのとこがちょっとぐらついてんだけど……あれ、ナオ、今日は病院はいいの?」

「今日は朝だけ。で、区役所に顔出したらお使いを頼まれてさ」

「そっかー」

 ナオはここのところ病院に出入りして、下働きのような見習いのようなことをしているらしかった。もう子どもではないのだし、何を考えているのか、などと偉そうには訊けない。話すべき時が来たら、きっと彼の方から話してくれるだろう。

「アジャスタがどうした。ぐらついてる? パックの方? それともギア側か」

「パックの方。ごめんね、この前も見てもらったんだけど」

「いいさ。壊れないものなんてないっていつも言ってるだろ」

「そうなのか?」

 と、首を伸ばしたのはナオだった。おや、珍しい。

「そりゃそうだろ。形のあるものはいつかは壊れる。……この状態で、不変のものを信じろなんて言うつもりか?」

 音の速さで陸を駆け、空を飛び、深海に潜り、星々の世界にまで手を伸ばした文明が、技術が、なすすべなく失われて大勢が死んだのだ。おまけに、なぜ滅びたのか、どのように滅びたのか、未だ何も分からないときている。

 もっとも、過去の検証に意味があるのかという声は根強く、タキも原因究明はさておいて、今日を、明日をより良く生きるためにリソースを割くべきなのではと思っている。過去への関心は好奇心と探究心だが、今をいかに生きるかは切実な現実だ。

 頼りの麗威はミズハとともに街の復興計画に携わっており、彼女もまた、旧文明は旧文明だと区切りをつけたのだと察せられた。ずいぶん、人間くさい人工知性だ。

「でもさ、なら……形のない、目に見えないものだけが変わらずにいられるってことだろ」

「大事なものは目には見えないけど、大切にした花が咲いてる星の光は目に見えるし、星の光を見て花を想うって王子さまは言ってたよ」

 なぜか食い下がるナオに、イナサが言い添えた。何の話だ、と混乱しつつ、タキは襟足をかき回して考えを整理する。

「そりゃ……なんだ、目に見えない、たとえば愛とか正義とか勇気とか、そういうのが目に見えて形のあるものに……言ってしまえば人間に依るのは当然だろ。で、形のあるものはいつか必ず壊れるから、」

 ――壊れるから、なんだ。

 何だというのだ。意義がある? 尊重すべき?

「はかないね」

 息をつくようにイナサが呟いた。彼女の愛読書に記された言葉であると、繰り返し読んだタキにはわかった。


「だけど、ってなんのこと?」

 一度なにかききだすと、しまいまできかずにはいられない王子さまが、くりかえしました。

「そりゃ、〈そのうち消えてなくなる〉っていう意味だよ」

「ぼくの花、そのうち消えてなくなるの?」

「うん、そうだとも」


 そう、はかない、のだ。

 その瞬間タキは、遠い星に残してきた一輪のバラを想う少年の気持ちを痛切に理解した。呼吸とともに言葉を呑む。何も言えなかった。

 言えないから、両腕を伸ばしてイナサとナオをかき抱く。

「……お兄、こういうとこすごい重いんだよねぇ」

「重い言うな」

 抱擁から逃れたイナサはギアの駐機場を指して「お願いね」と両手を合わせ、ナオとともに夕暮れの町に飛び出していった。

「……なんであいつら、手繋いでんだ」

 とりあえず、ナオには二度と紅茶を出さん。釈然としないものを転がしつつ、汚れたカップを流しに運ぶ。水は沁みるほど冷たく、骨の形と白さをふと思った。

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