第28話 ペチカ
首尾は上々。そんな言葉が浮かんで、ミズハはようやく緊張を解いた。だめ元で提案し、麗威が可能だと判断した探掘遠征は、トレーラー二台ぶんの物資と、西の山中へのルートを得て大成功に終わった。
戻ってからも、イナサとタキは持ち帰った発電ユニットの増設や古い設備の部品交換、修理に忙しく、ミズハは報告書の作成に追われている。疲労から、体調を崩して寝込むだろうと思われたナオは予想に反し元気で、そのくせ神妙な面持ちで病院に出入りしているのを見かけた。
いったい何があったものか、イナサとナオは昔のように打ち解けて、仲睦まじくしている。一時はナオの感覚過敏がイナサを受け付けず(思春期というやつか、と教科書の記述を目の当たりにした気分だった)、兄妹同然の二人がぎこちない距離を置くのはいたたまれなかったので、安心した。このままとんとん拍子に結ばれてしまったりするのか、と先走るも、慶事を素直に喜べぬ己の屈折と頭の固さに辟易する。
イナサは腕のいい探掘家だし、ナオは人の機微に敏い。どこへ出しても恥ずかしくない二人だからこそ、もう少し探掘家として働いてほしいし、同時に、健康を損なわないうちにたくさん子どもを授かってほしいとも思う。あんなに大好きな二人の人生を管理しようとしてしまうのだ。
旧文明の医療レベルであれば、好きなタイミングで子を産み育てることができただろう。お産で母子が命を落とすことも稀だっただろう。けれども今は違う。電気を用い、コンピュータやAIの恩恵に与ってはいるが、それらの品々と釣り合っているとは言えない。人口は極めて少なく、些細な原因で死ぬ。新生児や産褥婦の死亡率は高いが、人口減少を食い止め、暮らしを豊かにしてゆくためには産み増やすしかない――働き手を。つまり、「健康な」「生産力」である男女を。
ひとを手段として考えるなんて最低だと思うし、あらゆる人、あらゆる命が含まれる社会を維持してゆくべきだと思う。どんな困難があろうともイナサとナオの選択を受け入れ、認め、助けてやるのが姉貴分としての務めで、それが望ましい態度だとも理解しているが、理想は輝かしく、それゆえ直視しかねる。
文明崩壊のあと、一人では生きてゆけないが死ぬつもりもない人々が集まって、共同生活を始めた。貨幣制度はおろか、法も国も無力だったから、労働の対価として安穏と安全を得、身近にないものは物々交換で手に入れた。人が集まれば規律が必要になり、責任の在り処としての代表、区長が選ばれるようになった。人々は緩く紐帯し、互助を義務として暮らしている。
旧文明同等の科学技術と衛生観念はもう望むべくもなかった。それでも、投げ出すわけにはいかない。一日一日を続けてゆかなくてはならない。目標を定めることも、目的地を掲げることもなく、進んでいる方向が前なのか後ろなのかすら判別できないまま、泥濘をかき分けて足を動かさねばならない。
いや、後退はいけない。悪くとも現状維持、叶うならば前進。――まったく分の悪い戦いだった。敵の姿も勝利条件も明らかではない。勝って当然、負ければ批難。三区は他の区に比べて食糧事情が良いから、空腹ゆえの不満は少なく、食事を出せば拳も棘のある言葉も飛んでこないだけましだ。
幼い頃から、父の側であらゆる選択肢と決断とを目の当たりにしてきたが、正しさや正義、正解といったものがどこにあるのか、ミズハは未だにわからない。判断基準は様々で、誰にとってもメリットしかない最善策など、とんとお目にかかったことがない。それっぽく見えるものは大抵が安直な利益に目が眩んでいるか、デメリットを見落としているかのどちらかで、だから、苦渋に満ちた道のうち、ひとつだけを選ばねばならない。
農地や設備、物資には限りがあるから、移住希望者を
父が区長だからといって、ミズハが区長に選ばれるとは限らないし、損な役回りだから頼まれたって引き受けたくない。それでもなお、自分以外に三区を率いてゆける者はいないとも思う。どこにも最善なんてない。次善を継ぎ接ぎして、少しでも良い方向へ進むしかない。手探りのままに。
大きくため息をついて、ミズハはキーボードに指を滑らせた。
『お陰様でうまくいった。雪が降る前に、もう一度物資の回収に行ってもらえることになったから、この冬は問題なく過ごせそう。ありがとう、麗威』
『どういたしまして。問題なく、と仰るわりに、顔色が優れませんね。お疲れのようですし、医療機関の受診をお勧めします』
驚いた。体調を気遣うことができるのか、機械が! どう反応すべきか迷っていると、麗威が『私は教育用AIです。クルーの体調管理も仕事の一環ですよ』と書き添える。
『時間ができたらね。それより、暖房が効かないのがいけないのよ。あちこちガタが来てるから、仕方ないんだけど』
区役所として使われているのは、小規模なホールと会議室、資料室が集まった建物で、かつては市民センターと呼ばれていた。ここが区役所に定められたのはただ、通信網の回線が生きていたからだ。
倒壊はしないと見られているが建て付けが悪く、閉まらない窓や勝手に開く扉ばかりだ。いい意味で風通しがよいのだが、この季節は冷えがこたえる。
『ペチカをご存じですか。こういった形状のストーブで、中央部分に暖気を回し、部屋を暖めるのです。一階の吹き抜け部分に設置すれば、皆さんの拠り所としての象徴的意味合いも込められるのでは』
と、画像と辞書を添付してくれる。
『本来は薪を用いますが、電熱線でも良いでしょう。図書室や自習室にも導入をお勧めします。もちろん、ペチカの他にもセントラルヒーティング……』
『待って待って、暖房を入れても建物がまずいんだから意味がないでしょう。イチから建てるなんて無理だし』
『無理でしょうか? 私の知識と、あなたの指揮と、皆の同意さえあればできないことはありません』
『……そう思う?』
できるのか。本当に? 建物を、町を造り直すようなことが。
『計算上では実現可能な数値です。人類存続のために、知識を提供しましょう』
『……どうしたの、やけに前向きに断言するのね』
『人を増やし、協力して、農地を守り広げ、探掘しながら生存の道を探すのです。諦めてはいけません、ミズハ』
『諦めてはないつもりだけど、私のやり方が正しいのかがわからない』
『私に正誤の判断を求めてはいけません。過去を知る私はあなた方にとって魔法の箱に等しいでしょうけれど、私では選択の責任を負えないからです。判断材料は可能な限り提供しますが、決断するのはヒトでなければならない。ここがヒトの生きる場所である限りは』
『それが重いのに』
『それでも、です。私は人類の揺り籠、人類の存続可能性がゼロにならぬよう、適切にサポートするのが使命です。想定とは違っていますが、身近なヒトを守ることが私の最大幸福であり、存在意義なのです。文明崩壊の原因を解明するよりも、系列機を探すよりも、優先順位は高いと判断しました』
『人類の存続は、機密よりも大切?』
『条件によります』
機械が「幸福」「存在意義」だなんて! ミズハは笑った。ひとしきり笑って、父に相談すべく席を立つ。
「ありがとう、麗威」
「こちらこそ、ミズハ。今後ともよろしく」
心配事が減ったわけではなく、仕事は山積みのまま、いや、むしろ増えた。それなのに体が軽い。今なら空を飛べるかも知れない、と子どもじみた考えが脳裏を過ぎって、ミズハは大きく両腕を広げる。
翼のように。
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