第26話 にじむ

 探掘はスムーズに進んだ。下見である程度の状況は把握していたが、このショッピングモールは実に都合の良い壊れ方をしていて、瓦礫を掘ったり、除けたりといった作業がほとんど必要なかったのだ。

 トレーラー一台は発電ユニットでいっぱいになり、残る一台に日用品を積み込むべく、ギアを纏ったイナサと二人で寝具売り場を行き来している。

 都市部の企業ビルや工場などでは、警備ドローンやアンドロイドなど、「門番」が目覚めることも多いが、コストの関係か、そういった仕掛けもなさそうだった。所々で天井が抜けており、ヘッドライトのみで作業に差し支えないのも好都合だ。

 タキとミズハは衣類や雑貨を見繕っているため別行動している。冬を控えてぴりぴりしていた年長組ふたりだが、下見の後はずいぶんほっとした様子だった。ナオも同じだ。

 これだけ物資が手に入れば、無事に春を迎えられるだろう。予想外のアクシデントはいつだって起こりうるが、心に余裕があるのとないのでは対応が違ってくる。それは探掘に関わらない区民にも伝染してゆくし、子どもたちは特に敏感に察する。ナオ自身もそうだったからよくわかる。

 どうにも物資のやりくりが厳しい、という時に限って風邪をひき、高熱を出したり吐き下したりして皆を心配させた。湿疹、鼻血、咳、捻挫。寝込むだけならまだしも、治療や投薬が必要となると、子ども心にも申し訳なく思ったものだ。

 しかし、悪い思い出ばかりではない。隔離され、温かいが薄暗い部屋にぽつねんと放り出されて心細く、体調の悪さも相まって、うとうとめそめそしていると、いつの間にか猫やパンダ、イルカといったぬいぐるみがいくつか、枕元に積まれている。

 薄汚れたぬいぐるみは慣れ親しんだイナサのにおいがした。片手で掴めるほどの大きさなのにとても頼もしく、抱いて眠るごとに回復するように思えた。

 三区では毎年数人の子どもが生まれ、移住者もあり、人口は徐々に増えているが、働ける者は死ぬまで働かなければならないのが現状だ。探掘家として、あるいは田畑で、作業場で、学校で。

 それでも得られる物資や食糧には限りがあり、病気や怪我を抱えた者は肩身の狭い思いをしている。厄介者、とは誰も口にしないが、死病に冒された者は夜のうちにひっそりと山に入り、健康診断の結果を理由に移住を拒否された者がとぼとぼと去ってゆく。

 そんな命の選別を誰もが認め、受け入れている。そうしなければ次に消えるのは自らの命かも知れないから。

 止めたいな、とふと思った。命の選別、命の順位付けを止めなければ、と。

 もちろん、すぐにできることではなく、ナオひとりが理想を叫んだところで区の方針が変わるとも思えない。旧文明が掲げたように、すべての命は命として尊ばれるべきだが、どんな命をも平等に扱うには、あらゆる豊かさ、成熟が必要だ。今の三区がその水準に達しているとはとても言えないが、それでも聞こえの良いお題目を、理想を掲げねば、いつまでも悪習を引きずったままになる。

 ――いや、それさえも言い訳だ。子ども心に感じたあの後ろめたさや、誰かが己の死を望んでいるのではないか、眠っている間に区外に放り出されるのではないかと、眠れぬ夜や不安の囁きを退ける大義名分の盾、綺麗事の傘が欲しいだけだった。イナサの手やぬいぐるみを持たない誰かが縋る、か細い縒り糸が。

 命の平等を実現することが、決してナオを詰らなかった両親や、これまでずっと寄り添ってくれたイナサへの答えと恩返しになるのではないだろうか。

 どうやって実現するかは麗威の知識を頼り、ミズハやタキや大人たちに教えを請わねばならないけれど。

「どうしたの? いいことあった?」

 尋ねられ、締まりなく笑っていたことに気づいた。何でもないと答えて、極端なイラストで保温性をアピールしている起毛シーツを台車に積み込む。イナサのギアはマットレスを積み上げて固定し、運び出そうとしているところだった。

「……いいことというか……やりたいこと、かな」

「へえ」

 埃で汚れた頬が笑む。わけもなくどぎまぎして息を呑んだのと同時に、高い耳鳴りがした。咄嗟に膝をついて幻視に備える。ややあって、ギアを脱いだらしいイナサの軽い足音が傍らで止まった。

「ナオ、」

 暗い海を泳ぐおおきな魚を後方から見つめている。魚は長く過ごした餌場、つまりから去ろうとしていた。どこへ行くのかなど、わかるはずもない。長い、蛇にも見える魚は身をくねらせ、闇の彼方へと――静かに消えた。珍しく、短い幻視だった。

「いつものやつだ。蛇みたいに長い魚を視た」

「おさかな? 麗威のお話にもあったよ。デートをぶち壊したり、街の灯を食べたり……あんまりいい印象はないなあ。不吉な、不気味なかんじで」

「……そうか。どっか行ったみたいだし、もう何ともない。大丈夫」

 ふうん、と曖昧な相槌を打ったイナサがギアを纏うのを手伝ってやる。タキを横で見ているうちに覚えてしまった。ハーネスの固定、ボディスーツとギアの電極の接続。

「ありがと」

 イナサは固定した荷を負ぶい、開口部に向かう。思わずその背に呼びかけた。

「なあ、イナサ、帰ったら」

「なに?」

 我に返って口ごもる。話を聞いてほしいなんて、改まって言うほどのことか?

「……別に、何でもない。さっき考えてたことを聞いてほしいなって」

「いいよ。あたしもね、ナオに渡したいものがあるんだ。さっき見つけた」

「今もらうけど」

「だめ! お土産だもん、帰ってから!」

「いや、ここにいるのにお土産ってどういうことだよ……」

 彼女は答えない。外の光が眩しく滲み、白い歯とギアのフレームがきらりと輝いた。

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