第25話 初霜

 標高があるからか、このあたりは三区よりも気温が低く、トレーラーに霜が降りていた。イナサは上着を羽織って、これから探掘する町を見遣る。

 規格化された積層集合住宅が立ち並ぶ大都市と違って、地方都市のさらに郊外には一軒家と呼ばれた独立型住居が見られ、総じて損傷は軽微だ。そんな中、飼われていたと思しき大型犬の骨だけが残っているのを不意に見つけると、飼い主亡きあとを想像してしまって鼻の奥がつんと痛むのだった。

 探掘と言えば聞こえはいいが、打ち捨てられた品々を盗んでいるわけで、視線めいた後ろめたさは、常にうなじのあたりに漂っている。

 大好きなに倣うなら、王さまや呑み助、実業家のように、王子さまを困惑させる人物であるのは間違いない。うぬぼれ男のくだりを読むたび、こんな大人にはなるまいと思っていたのに、探掘で持ち帰った品々が喜ばれ、感謝の言葉をもらうのは心地よく、はっと我に返って気まずくなるのもしばしばだった。

 文明崩壊、滅亡、などと呼ばれる現象については、五十年が経とうとしている今でさえ、何もわかっていない。全貌を知るにはあまりに多くのものが失われ、生き延びた人々は自らの生を繋ぐことに精一杯だったし、観測機器類そのものや管制室が破壊されて使い物にならなくなっていた。

 イナサは一度だけ、他のチームに誘われて旧首都に出かけたが、そこに広がる事実を受け止めるのにしばらくかかった。

 見渡す限りに瓦礫が広がり、集合住宅、商社のビル、ランドマーク、高速道路や電車、新幹線の高架線路、あらゆる建造物が折れ、捻れ、割れて倒壊している。コンクリートには亀裂が入り、ガラスは割れ、アスファルトは隆起し、地下部分が崩落して、無惨に埋まったクレーターが生じていた。

 不安を遠ざけてくれるぬいぐるみは遠く離れた自室のベッドで、小さな頃に手を繋いで寝たナオはもちろん、難しい顔のお兄やミズハを頼る気にもなれず、少しでも眠らねばと寝袋の中で右へ左へ身動きしているうちに夜が明けてしまった。起きてきたナオの顔色は自分と同じ土気色、ミズハとタキは多少青ざめてはいるが見られるものだったので、強くあらねばと改めて思ったのだった。

 あの本には「かんじんなことは、目には見えない」と書かれていて、解釈を変化させつつもその一文をお守りにして生きてきたが、廃墟と化したかつての街にどれだけの「目に見えない」ことがあったものか、それらがすべて失われてしまったのかと、ただただ呆然とするばかりだった。納得するのはいまの生活の脆さを直視するに等しく、拒絶以外にすべは見出せない。

 三区に戻ってからも頭が働かず、気が急いて、いてもたってもいられず体をほぐして走り出すか、あるいは筋トレに没頭するしかなかった。

 いくら体を鍛えても、ギアを巧く使っても、力の及ばない領域があるのは恐ろしい。それでも、手が届く範囲を少しでも広げたかった。――そのために生き続けなければならず、生活のために探掘する。心の中の王子さまはいつも困った顔をしている。

「おとなって、とっても、とってもおかしいんだなあ」

 昨日、トレーラーを停めたのは大型ショッピングモールの駐車場で、幹線道路の先には被服店や飲食店のひしゃげた看板と建物、雑草に蹂躙されたアスファルトが見えた。

 まだ探掘の手は及んでいないようで、イナサにとっては久しぶりの「新しい」現場だった。文明崩壊当時のままの現場は倒壊の危険性が少なく、メンバー四人に対してギアが一機しかない自分たちには有り難かった。

 もっとも、ギアで瓦礫を掘ったり物品を運び出したりすれば、重量バランスが変わって安全とは言えなくなるのだが。そのあたりの見極めは、タキとミズハの知識とイナサの直感、それからナオの鋭敏さが頼りだ。

 半日かけて下見をし、持ち帰るべきものは何か、改めて話し合った。発電ユニットを複数、冬に向けて寝具や衣服、日用品。育児用品に子どもたちのおもちゃ、探掘遠征のための寝袋をはじめ、キャンプ用品も余裕があれば。あれもこれもと声が上がるたび、生活の厳しさを思い知らされる。

 皆が飢えず、寒さに震えず暮らしてゆければいいのに、とささやかに願うのだが、大人たちはそれを綺麗事だと笑う。確かに綺麗事だし、探掘で長らえている現状、多くを望めないのは事実だ。けれども、弱きを切り捨てる行為が是とされるならば、イナサはいま生きてはいないし、ナオも遠からず命を落とすだろう。

 厳然たる弱肉強食の世だと言うなら、人類が絶えるのも時間の問題だ。そうならないために社会というものをつくったのだろうし、その基盤が揺らぐ今こそ、この身と言葉を使うべきではないかと思う。

 物音がして、ナオが不機嫌そうに目をこすりながら起きてきた。顔色は悪いし唇は紫色だしで、眠れなかったのだと一目でわかった。

「おはよ。寒そうだね、お湯沸かそうか」

「ん」

 暖を取るため、電熱器ではなくガスコンロに鍋をかける。ナオは火を抱きかかえんばかりに丸まっており、あまりに痛ましい。上着を脱いで彼を包み、荷物を漁って個包装のコーヒーと粉乳をカップに開けて、と立ち回っているうちに湯が沸いた。ぽってりしたオレンジ色の太陽が東の稜線からようやく顔を出し、朝靄をきらめかせる。

 朝陽が眩しいので西向きに並んで座り、カップにふうふうと息を吹きかける。温かい飲み物は手に嬉しいが、二人して猫舌なので、飲めるようになるのはすっかり冷めてからだ。

「寒くないのか」

「寒いね、さっきフロントに霜おりてるの見たよ」

 次の瞬間には上着が投げ返されていたので、寝起きのナオがこんなに素早く動けることに驚いた。

「いいよ、ナオ、寒いんでしょ。あたしもうすぐしたら走るし、そうしたら暑くなるし」

「そういう話じゃなくて! 今! 寒いんだろ、おまえが風邪ひいたりしたら探掘どころじゃなくなる」

「ナオが風邪ひいても同じだと思うけど……」

「ひかない!」

 真っ赤な顔で断言するので、戻ってきた上着に袖を通した。吐く息はまだ白い。夜間、ずいぶん冷えたから、イナサとミズハは一も二もなく抱き合って眠ったが、ナオとタキがそのようにしたとは考えづらく、荷台の隅で縮こまって寝たのかと思うと、くすぐったいような、泣きたいような気分になる。ぬくもりを求めて隣で眠るにも口実がいるなんて、大人は面倒だ。

 手足が冷たくて眠れないと言うナオに寄り添った、無邪気な日々は遠い。両親は探掘家だったから、不在の間はナオの家で過ごしたのだ。

 お父さん、お母さん、お兄、と呼んでいる人たちと血の繋がりがないことはずいぶん前に知らされた。実の両親は事故で亡くなった、とも。そうなのか、以外の感慨はなく、両親も兄も変わらず優しかったから、思い煩わずに済んだし、目の前に親を亡くした子どもがいたら、イナサだって「助ける」と言うだろう。

 困っている人がいれば声をかけ手を差し伸べるし、ナオが寒そうにしていれば上着を貸す。当たり前のことだからそうしているだけなのに、彼はその声や手、上着を負い目に感じるらしい。返さねばならぬ借りだと。

 足したり引いたり、貸したり返したり、理屈が必要なところではないと思うし、それが「目には見えない」なにかだと思うのだが、うまく言葉にできないでいる。

 朝靄が晴れると、ナオの顔色もいくらかましになった。ぬるいコーヒーでも、体の輪郭をしゃんとさせるくらいの熱はある。

「走ってくるけど……もっかい横になれば? まだ時間あるよ」

「大丈夫。上着預かっとく」

 丸めた上着を手渡したとき、冷たい手が触れ合って、自然に離れた。イナサは朝陽に向けてゆっくりと走り出す。

 ナオが寒くないように、寂しくないように、抱いて眠れるようなぬいぐるみを持って帰ろう、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る