第21話 ボジョレ・ヌーボー
冬が迫り、ミズハはとかく忙しくしていた。日ごとに昼は短くなり、夜空の暗さが増す。薄着で駆け回っているイナサが風邪をひくのではと心配でならない。
心配事といえば他にも山積みで、川の下流、港湾地区に拠点を構える一区の長が農産物の価値を下に見始めたり、二区の探掘チームがついに有人飛行に成功したとかいう噂の真偽を調査したり、探掘遠征の検討をしたり、麗威の言動の裏付けを取ろうとしたり、尽きることがない。うんざりするが、仕事がある、必要とされていると安堵するのも事実だった。手すきになればすぐさま気が緩んで倒れそうで怖い。
探掘頼みの生活を根本から変えるには、文明崩壊について詳細に知ることが第一だとミズハや父、それから日常が目の前で崩れ去った第一世代の数少ない生き残りは考えている。高度な科学文明が失われた原因、規模、予兆、進行。
生存者の証言は要領を得ないが、轟音と地震のあと、都市部に炎が上がり、やがて粉塵に包まれたと、大筋は共通している。地震はごく短いもので、かつ全国規模で発生したため、直下型地震による崩壊ではないと思われるが、では何の揺れだったのか、と問われると論理的な説明は不可能だった。
麗威は恐らく、三区が有する真相に最も近いカードだ。しかし彼女は滅亡に関しては頑として口を割ろうとせず、区役所に設置されたわずかなコンピュータと不安定な通信網の介助をするばかりだった。
イナサとはずいぶん仲良くしているようだが、さりげなく探りを入れても、やはり麗威の口は堅いようで、めぼしい情報はない。けれども、最近のお話がやけに作為的なのが気がかりだった。
何度か登場した「シリウス系宇宙船」は麗威のことだろう。彼女の背面や保護ケースに記された「SIRIUS」のロゴを忘れてはいない。それに、空想ではあるが「滅亡を前に宇宙船に乗れなかった人」が登場した。
ファンタジックな「お話」には魔法や魔女、人魚が登場したが、強い思いや願い、人知を超えた存在や力について語られていたように思う。単なる訓話なのか、それとも何らかの意図があるのか。無関係に思える話もあるが、読み解けていないだけかもしれない。
そういえば、ハスキー犬の飼い主だけ明確に「
椅子を蹴って自室を飛び出した。剥げかけた「314号室」のプレートが衝撃でぐらつくのを後目に、通りを全速力で走り抜け、区役所の階段を一段飛ばしで駆け上がり、麗威のフロアを目指した。
麗威とは音声による対話が可能だが、まだ誰にも聞かれたくなかった。背もたれがぎしぎし鳴るおんぼろのチェアを引いて、猛然とタイプを始める。
『麗威、お話に登場した晶という人と宇宙船に何か関連があるの? 開発者だとか、乗組員だとか……』
『あります。晶――
『インターフェイスとパーソナライズがわからない』
『細部を理解する必要はありません。ミズハ、あなたが考えたように、晶博士はシリウス系の関係者です。……私からも質問をいいですか』
『どうぞ』
『ボジョレー・ヌヴォーをご存知ですか』
『知らない』
麗威が示したのは辞書のページのようだった。図絵つきで解説がある。
曰く、「ボジョレーワイン (仏: Vins du Beaujolais)とは、フランスワインのひとつ。毎年十一月第三木曜日(日付が変わった午前零時)に解禁される、特産品の新酒をボジョレー・ヌヴォー (仏: Beaujolais nouveau) という。その年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としており、ワイン業者が主な顧客であった」
『お話は、ボジョレーのようなものです。つまりあなた方を……あなた方の反応をチェックしていたのです。人を試すことが褒められた振る舞いでないとは承知しています。お気に障ったのなら謝罪します、ミズハ』
『いいけど、それで、チェックの結果はどうだったの。何のためのチェック? ワインじゃないんだから、セールスのためってわけじゃないでしょう』
『チェック結果は、九十パーセント以上の確率で「現人類は私の脅威ではない」です。そして、あなた方の言う「文明崩壊」の再来も同程度の確率で起こり得ません』
安心して良いのか? 喜んで良いのか? 脅威とは? タイプする言葉を思いつかぬまま、手のひらだけが汗で湿ってゆく。
『栄華を極めた文明がなぜ滅びたか。なぜ人類は過去の再利用で命を繋がねばならないのか。すべてを押しつけられた皆さんがお怒りになるのはもっともです。ですが、文明崩壊の何たるか、直接はお話しできません。……いえ、私とて何も知らないに等しいのです。あなた方が求める情報を、私はきっと持っていませんし、保有する機密を部外者に語ることもできません。だから推測を、計算上の可能性を「お話」するのがせいぜいでした。誰かが気づき、疑問を抱く日を待ちながら』
応えねばならない。問わねばならない。何か言わねばならない。けれども、指は震え、舌は乾いて顎に貼りついている。
何度も唾を飲み込んで、ミズハはケーブルで繋がれたタブレット端末に問いかける。
「麗威、あなたは人類の敵?」
『私は人類の揺り籠です。人類の存続のために造られました』
画面に表示された味気ない文字を見つめ、どうにか笑顔を作った。
『その言葉が聞きたかったの。ありがとう』
どうやって自室に戻ったのか記憶がない。水をがぶがぶ飲んで、また表へ出て、子どもたちと缶蹴りをしていたイナサを力の限りに抱きしめた。
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