人形師の手稿 Ⅲ

 

 

       十



 目覚めると、私の頭上には、てらてらと光る満月が、霧の中で揺らめいていた。

 私は霧深い藪の中に、一人倒れ込んでいた。

 そこは夢とも現とも判らぬ場所だった。

 とにかく、とても妙な感覚だった。


 ―――どうやら、眠ってしまったらしい。


 私は思い至った。然し死人になった割には、妙に色々の光景が生々しいように感じられた。何にせよ、このまま此処に立ち尽くしていても埒が明かぬし、夢の中でもぼうっとしているのも問題であるから、一先ずこの、霧深い藪の中を抜けることにした。そうして、思いの外背の高い藪の中を抜け、緩やかな斜面を登っていった挙げ句―――私は、いかにも重厚な様相を呈した、煉瓦造りの洋館を発見した。夜霧の中、煉瓦造りの壁面に吊された洋灯ランプの光が、温かな明かりが拡散し、周囲にその建物の存在を、厳かに示している。

 私はこの、洋館の外装に見覚えがあった。

 あの、朽ち果てた煉瓦の残骸。蔦や苔に彩られ、完全に森の一部となっていた残骸。色々の位置が変わってしまい、洋館ではなくなった煉瓦の群―――その様相。

 それ以前の姿が、そこにはあった。


「どうも私は夢の中で、本来の姿を夢想しているらしい」


 私はそう考えた。そのことを思う余り、そうした夢すら見てしまうとは―――夢の中で過去に戻る等というのは、なんとも、茫漠たる話である。

 そんな事を思った途端、意識を失う前に感じていた、鈍く、拡散し続けていた頭痛が、再び私を襲った。ズキズキと痛み続け、疲労故か、喉も異様に乾いている。


「水が欲しい」


 夢の中であるのに、私はありったけの水を求めていた。夢の中で痛みを感じることに、私は何とも不気味な違和感を感じていたが、一先ずこの、私の中に生じたどうしようもない不快感を解消すべく、私は目の前に荘厳と聳え立つ、煉瓦造りの屋敷の中へと、恐る恐る這入っていった。



       十一



「すみません。誰かいませんか。誰か。誰か。………」


 重く分厚い扉を押し込み、中へ入ると、私は闇へ呼びかけた。

 然し―――返事はない。

 外に灯る洋灯ランプの、穏やかで、然し威厳を感じる様相とは異なり、建物の中は異様な程、ひんやり静まりかえっていた。背後の、外の僅かな明かりさえ、底なし沼めいた暗闇に呑まれ、消えてゆく。


 ―――俺は死んだのやもしれぬ。


不気味な魔力を感じた私は、「今、私が目撃している諸々は、私が地獄へ至る迄の、常世の、蜃気楼の夢なのだ」とさえ思った。

 途端、開けはなったままにしていた扉がギイと音を立て、閉まった。驚く私が振り返り、そして視線を戻すと―――建物を包み込む霧が晴れたのか、廊下へ連なる窓という窓から、満月の仄かな明かりが、ぼうっと、私の行き先を照らし始めた。

 迷い込んだ私を迎え入れてくれた気がした。

 どうすることも出来ぬまま、私は、目の前の廊下を、ひたひたと進んでいった。このとき漸く、私は裸足のままに彷徨い歩いているのだと気付いた。

 廊下の突き当たりの、更に奥で、部屋の扉が、開いている。そして中から、より一層明るい光の導が漏れ出し、私を導いていた。


「この部屋に、誰かいるのやもしれない」


 明かりの導きを受けた私は、謎の核心を持って、ゆっくりと、然し確実に、廊下を歩いてゆき、隙間から部屋を覗き込んだ。



       十二



 其れは正しく、少女だった。

 写真の中、幽世の笑みを私に浴びせかける、球体間接人形の少女が、あの写真の通りに、赤い椅子の上へ、ちょこんと、坐り込んでいたのである。

 巨大な満月が窓の外を完全に覆い隠し、部屋の中を、照らしていた。その、後光めいた光芒を、一散に浴びて―――巨大な窓枠を背後に、少女は確かに存在していた。

 夢にまでみた邂逅だった。

 厭、これこそ夢であるのだから、全くもって、これは邂逅でもなんでも無く、ただの私の、愚かなる幻想にすぎない筈なのである―――だが、何故だかこのときの幻想は、不思議と、幻想だと思うことが出来なかった。

 私は一瞬、私自身に戸惑いを感じた。が、元よりおかしさなどと云う物は視点次第で、私自身、そうした事柄を考える以上、おかしな存在なのであろうから、戸惑った所で意味はないのである。だから私は、沸き起こる感情に身を任せ、目の前に巻き起こる幻想の現実に、身を委ねる事にした。

 感情の高まるまま、私は涙を流しながら、よろよろと、その美しき球体間接人形に、近付いてゆく。触れることは出来なくとも、せめて自身の目の前で彼女を目視して、頭の中に、その光景の感覚を蓄えておこうと思ったからである。

 近くで見れば見る程、彼女の細部、その節々が―――裸のまま、球体の間接と、月光に照らされほんのりと上気した白き肌の、なめらかに連なるその光景が―――淡く総てを覆い隠し、然し総てをより良く示す柔布のヴェールが―――本当に、本当に美しく、彼女を。その肉体を。憂いを帯びた硝子の瞳を。くるりと柔らかに波打つ灰髪の曲線を―――「正しく彼女は生きている」という感覚を、私の脳天に打ち込んだ。


「美しいでしょう」


 低い響きを持った、落ち着きのある声だった。

 声を頼りに振り返ると、そこには、月光の当たらぬ闇の狭間に顔を隠して、一人の、黒の、古風な洋装に身を包んだ男が立っていた。

 煙管を咥え、紫煙を、この屋敷を包む夜霧みたいに吐き出している。

 月光の中に現れたその相貌は、日本人のものではなかった。凹凸のハッキリとした、彫りの深い、整った顔立ち。髪は後ろに撫でつけられており、口元の髭は、綺麗に整えられていて、右目に片眼鏡を付けている。

 そうした風貌の諸々から、私は一瞬間に、この男こそが、あの、焼け落ちた館の主人―――

 この人形の「」なのだと、私は察した。


「あなたがお造りになられたのですね」


 私はもう、私自身が見ている夢の中であるのに、その、私が永遠に憧れを抱き、恋い焦がれている「創造物」の「創造主」と出会い、酷く感激してしまった。そうしてその勢いままに、彼の手を両手で握りしめていた。

 私の無礼な行為を、彼は顔色一つ変えず、ただ穏やかに私を見つめ、口元に笑みを浮かべていた。

 私の、太く短いごわごわした手と違って、彼の手はすべすべと、女性の手みたいに細く、白く、美しかった。


「私の自慢の娘です。私はこの子を造り出すまでに、二十年の歳月を要しました」


 このような作品を造り上げる御仁であっても、それほどの月日を必要とするのかと、私は打ち振るえた。


「貴方様であれば、おそらくはその、二十年余りの間に造られてきた色々の人形達も、それは素晴らしい姿形をしているのでしょうね」私は尋ねた。

「―――いえ」すると彼は云った。

「この娘を造り上げるまでの私の作品は、それは酷いものばかりでした。いえ、だからといってその娘達が愛しくないかというと、そういう理由ではなく―――私なりに、もっと、ああしてやれたのではないか、こうしてやれたのではないかという、身勝手に思う、面倒な親心のようなものばかり生じるのです。ですからそれは、ただの私の自惚れでしてね。………買い取って下すった方々は皆、それは嬉しそうな表情をしておりました。ですからもう、彼女達が幸せに暮らせるのであれば、それでもう―――私は幸福を過ごすことが、出来るのですよ」


 巣立っていった子供たちの安息を思うような顔だった。

 すると彼は云った。


「今から彼女の写真を、撮ろうと思っているのですが―――どうです。一枚、貴方が撮ってみては」

「宜しいのですか」

「是非とも」


 そう云って、彼は私にカメラを渡した。私は彼の促すままに、そこに坐る少女の写真を、撮ることにした。その時間は、その一時は、正に至福の感覚が、私の中を支配していたと思う。レンズ越しにのぞき込んだ彼女は―――本当に、正しく私が知るとおりの、写真の中の彼女の姿―――その構図そのものであったのだから。こうして私はシャッターを落とした。側でその様を眺めている彼の眼差しは、娘の成長を喜ぶ父の眼差しに、間違いなかった。

 そうして、至福の時間を味わう中で、私はどうしても、あることが知りたくなった。

『いったいどのようにして、彼女をお造りになったのか』

 その製法を、是非とも聴いておきたいと、思ったのである。夢の中の出来事であるはずなのに、私は確かに、この機会を逃してはなるものかと、そうした決意に至った。そして私は、まだ、手にカメラを抱えるままに、こう、彼に尋ねた。


「このような事をお聞きすることは、大変、失礼やもしれぬのですが―――実は私は、貴方の造りだした人形―――この、正にこの、目の前に坐る球体間接人形の、その少女の様相―――それを写し取った写真に衝撃を受け、その衝動のままに、人形を造り始めました。然し私はどうしても、写真の中の彼女のような質感を、憂いを、儚げな様相と空気を、表すに至れていないのです。ですから私が至った、ある結論は―――この人形は、何か、特別な材を用いることで、人形としての生命力を、生き物としての活力を、お与えになっているのでは、と感じたのです」

「―――ほう」彼は一つ、少し笑って、息を吐いた。

「ですから是非ともお聞きしたいのですが―――いったい彼女は、なにを材にして造られているのでしょうか。間近に見ても、やはり、これは磁器や石塑ではない、何か特別の材を用い、造られているらのではと、感じるのです。

 製法をお聞きするなど、秘密も多いでしょうから、大変失礼とは思うのですが………どうか、どうか是非ともお教えいただきたく。………私は彼女を、私のものとして現世に表せるならば、命すら失ってもよいと、思っております。決して口外は致しません。ですからどうか、どうか、何卒。………」

「あなたはよほど、熱心な御方のようですね」彼は笑った。

「良いでしょう。では、貴方には特別に、私の製法を、お教えします」


 その言葉に、私は歓喜した。


「して、その材は」


 すると彼は悪びれもせず、



 と云った。



       十三



「人間を使うのです。生きた―――


 私はその言葉を、始め、彼が製法を知られぬ為に云っている方便なのだと感じた。だから到底、その言葉を信じる気になれなかった。


「ご冗談を」私は云うと、


「冗談ではありません」


 彼は嗤った。


「私は正しく、少女達を用いて、この、一体の人形を造り上げたのです。少女というものは、そのそれぞれが、素晴らしい要素を有しています。然し―――細部の素晴らしさというものは、一部分だけに存在し、結局、それはある種の不格好さを、その、一部分の美しさによって、生じさせるのです。私にはそれが、どうにも許せませんでした。

 ですからこう思ったのです。彼女達の素晴らしき脚、腕、顔―――そうした複数の、不格好なままの素晴らしさを一度分解し、そして一つの統一体へと凝縮させれば、それは素晴らしい、完璧な均整を保った一人の娘が―――虚像であった筈の少女が―――実像として、この世に産まれるのではないかと。………そしてそれは本当に、美しい様相を放ちました。球体間接人形としての、継ぎ目と継ぎ目のある、一つの形に囚われぬその有様は、一層彼女の無垢を、処女性を破壊し、それ故の聖性を、放ち始めたのです。………」


 その後も彼は、淡々と、然し意気揚々と、少女分解と、その再構成の法を、私に論じていった。得意料理の製法を講じるみたいに、彼は、少女を球体間接人形の材に変じる方法を論じ続けるから、彼は正しく人間を材に、この人形を―――私が心底惚れ込んだ、写真の中の、球体間接を持つ少女を、この世に造りだしたのだと、確信した。

 皮の保存、骨格の利用方法。間接と皮膚のなめしかた―――それらの諸々を。傷は最低限で済むように、家畜を屠殺する方法を用いて血抜きをするのだと、彼は得意げに云った。この方法を思いついたときは感激したと、彼は興奮を交えながら、私にその、探求によって得た知識の総てを、披露していった。


「ですから、あなたも是非、試してください。そうすれば必ず、あなたにとって最高の人形が出来ますよ。貴方にとって最高の外見を有する方―――そのパーツを持つ方々を組み合わせることで、きっと必ず、死ぬまであなたのそばで、あなた為だけのために生きていてくれる人形を、生成することが出来るはずですから。………」


 彼は最後にこう云った。


「冗談ではない」


 私は口走った。


「私は人間の女性に馴染めぬから、人形に至高を見たのです。だからこそ、貴方の造った人形の―――その、写真に生を見たのです。惚れ込んだのです。だのに、だのにそれ程の人形が――まさか人間を用いることで造られていたなどとは―――。嗚呼。こんな事ならば、人形の秘密を知ろうなどと、思わなければ良かった!」


 私はカメラを手に叫び―――そして、怒った。


「ハハハハハ………」


 彼は嗤った。


「ハハハハ。ハハハ。ハハハハハハハハ。………………」


 途端、彼は嗤い出した。嗤って嗤ってバラバラになった。見ると彼自身―――其処にいたのは、色々の切れ目を持ったままの、別々の人間から生成された、一人の男の肉体だった。


「ハハハハハ………」

「ホホホホ、ホホ」

「フフ、フフフ」

「ハハハ、ハハ、ハ、ハ、ハ………………」


 部屋という部屋中で、月夜の中の部屋中で、色々の声が嗤いだした。嗤って、嗤って、その笑い声は、何処が切れ目か判らぬままに響きわたった。その声は、屋敷の床という床から―――地面の奥の、奥底から嗤う、少女達の声だった。気付けば、崩れ落ちた男の煙管を主として、瞬く間に炎が立ち上った。そしてその炎は、そこら中に響きわたる声の主―――知らぬ間に部屋中を包み、周囲に積上がった無数の―――不完全な、なり損ないで、役立たずの人形達を、燃やし始めた。その中心で―――少女は、少女は憂いの瞳のままに、私を見つめている。恐ろしくなった私は、気付けばもう、物凄い勢いで、駈けだしていた。



       十四



 無我夢中で、私は来た途を駈けた。後ろから、竜巻みたいに拡がってゆく紫煙の炎の延焼と、燃える屋敷の、木々の、少女達の嗤い声が、私に迫る。悪魔の炎を背に感じながら、私は一度も振り返ることなく―――屋敷を飛び出し、坂を、藪の中を、一散に駆け下りた。


「―――ですか。大丈夫ですか」


 誰とも判らぬ声により、私は意識を取戻した。何処とも判らぬ池の中で、仰向けに浮かび上がっている。浮かびながら顔を起すと、山の上には、異様な赤い柱が、天へ向かって延びていた。舞い踊る火の粉の下で、燃えさかる屋敷が、どろどろ、ごろごろと、雷みたいな音を立てながら、崩れゆく音が響く。顔は痛み、水膨れが出来ているらしい。藪の中を突っ切ったからか、身体の色々な所に切り傷ができ、そこからは私の血潮が、池の中へと漏れ出していた。その傷は、まるで私の身体を、部分ごとに分断する、切取線めいたものに思えた。


「今、人を呼んできますから」


 そう云って、曲り鼻の―――あの、旅館の彼とは逆方向に鼻の曲がった少年は、朦朧とする意識の中、何処かへと駈け去ってゆく。手にカメラを抱えたままだった事に気付いた私は、カメラを池の縁へと投げ上げると、そのまま、その池―――鏡池の底の底へと沈んでいった。その池は何処までも深く、そして何処までも冷たく―――そして温かだった。

 

 

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