29 現場

「根来さん。やはり事件は起きてしまったのですね」

 粉河は根来に会うなり、そんな皮肉っぽいことを言った。というよりも、粉河は単刀直入に感想を述べただけなのだった。事実がよっぽど皮肉な状況だったのである。

「ああ、俺の失態かもしれんな。まったく、今日はひでえ日だ。しかし、俺は休みなわけだし、事件の証人でもあるから、今日一杯は暴れまわるというわけにもいかんな。粉河。お前に期待してるよ」

 粉河は、そんなことを吐き捨てるように言う根来を恨めしそうに見てから、土手を降りて行った。そこには、先ほど川から引き揚げられた死体が横たわっていた。

 なるほど、人魚のように水流と砂利の上に浮き上がっていたのだろう。その顔は、生前の美しさを残しながらも、表情には驚愕と苦悶が入り混じっていた。

「被害者は御巫日菜だ。ついさっきまで俺たちと一緒に、彼岸寺で妹の口寄せを見ていたんだが、従姉妹の御巫絢子と一緒に寺を下ってから後は、俺たちは日菜さんを見ていない」

 根来がそう言うと、粉河は、

「絞殺ですかね。首に絞められた跡がありますが」

 と検死官の長谷倉に尋ねた。

「恐ろしい死に様ですよ。凶器は縄のようなものでしょうな。相当、強い力で絞められている。絞められて、そして、橋の上から川に放り込まれたのですなぁ」

 検死官の長谷倉は、その首筋の跡を愛おしそうに眺めている。


「解剖してみんと分かりませんが、まず一時から二時までの間に殺されたとみて間違いないでしょうなぁ」

 長谷倉は、不謹慎な笑みを浮かべてそう言うと、満足げにため息をついた。

「ところで、一つ奇妙なことがあるんだが」

 根来は粉河にそう漏らした。

「なんです?」

「被害者の服が違うんだよ。俺たちが彼岸寺で見た時、日菜さんは確かに白いワンピースを着ていたんだが……」

 そう言われて、粉河が被害者の服を見てみると、それは白のシャツにボルドー色のスカートだった。

「確かに不思議ですね。着替えたんでしょうか」

「犯人が殺害後に、被害者の服を着せ替えたっていうのもおかしいし、被害者が自ら着替えたと考えるべきかも知れんな」

「可能性はありますね」

 根来は、不満げに唸ると、

「まあ、そんなことよりも重大問題なのは、この橋だよ、橋」

「橋がなんですか?」

「赤いんだよ」

「見りゃ分かりますよ」

 粉河が怒りそうだったので、根来は慌てて、あの文句を再現することにした。


「赤い色、横たわる人影、流れ落ちる、あふれ返る……」

「何の呪文ですか、それは」

「昼間に行った月菜さんの口寄せ中に、殺人の予言があったんだ。その一つに、こういう言葉があったんだよ」

「赤い色、横たわる人影、流れ落ちる、あふれ返る……まさに、この事件のことを言っているようですね」

 粉河は少し呆気に取られた。これを予言殺人というべきか、見立て殺人というべきかよく分からないが、明らかに推理小説の世界の犯罪のように荒唐無稽なのである。

 しかし、これは決して、ミステリー作家が読者を面白がらせようとほくそ笑んでつく上げた虚構の事件ではないのだ。決して、そんなはずはないのだ。断じて、ミステリー小説ではないのだ。

 粉河はそう思って、もう一度、現場を見つめる。赤い色をしているアーチ橋の下に横たわっていた死体、そして、川の流れは流れ落ちるようでもあり、岩にぶつかって、跳ね返るところは、あふれ返っているようでもあった。


「とにかく、殺人は一時から二時の間に行われたのです。川は死体を運ぶほどの水流ではありませんから、この場所で殺人が行われたのは間違いありません。さらに、現場には凶器らしいものは落ちていませんね」

 粉河がそう淡々と述べてから、辺りを見まわすと、土手の上に祐介が立っていた。

「羽黒さん!」

 粉河と根来は低い土手に登り、祐介の方へと向かった。

「お久しぶりですね。粉河さん」

「ええ。羽黒さんはこの事件をどう見ますか?」

「霊が降りてきて、予言をして、日菜さんが殺された。そういう話でしょう」

 祐介は、少し投げやりな風にも取れることを言った。

「まさか、そんなこと、本気で信じているわけじゃないですよね」

「あながち否定もできませんね。ところで、もしそうだとしたら、八年前の事件の責任が、日菜さんにあったというような筋書きになりますね。そうでなくては、あの予言の言わんとしていることと筋が合いませんよ」

「どういうことですか。私はたった今、ここに来たばかりで、よく分からないのですが……」

 祐介は少し微笑むと、

「八年前に殺された母親の霊が、八年前の悲しみから、今から罪人を三人殺すと言ったのですよ。その罪人の一人が、たった今、殺害された日菜さんなのだとしたら、どういうことになりますかね。八年前に菊江さんを殺したのは、日菜さんだとでも言うのでしょうか。日菜さんは当時、十一歳の少女ですよ?」

 祐介は納得がいかない様子だった。

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