11 岩屋の殺人
あれは忘れもしない、八年前の八月の夜更けのことでした。うだるような暑さは夜になっても変わりませんでした。私は一人、湿気を一杯に含んだ、じっとりとした静かな夜の闇の中に立ち尽くしておりました。
そんな時に、母が死んだことを叔父から聞かされたのです。
母はこの村の巫女でしたが、本当に霊媒が出来たのか、またそれが一体どんな状態なのか、私は一切知らされておりませんでした。そんな母は、私にとって、非常に近寄り難い存在でもあったのです。
羽黒さん。ひとつ確かなことは、あの晩、母はおろしてはいけない霊をおろしてしまったということなのです。
私は母の霊媒の実態を知りませんので、これは私の推測に過ぎないことなのですが……。
この村の田んぼをずっと歩いてゆくと、少しばかり岩肌が剥き出しになった崖に突き当たります。この崖には洞穴がひとつ空いていて、その入り口には扉が取り付けてあります。
ここは何かと申しますと、巫女が霊媒の修行のためにこもる部屋なのでございます。
私どもはこの部屋を、ただ単に「岩屋」と呼んでおりました。
巫女は、ここに入り、ただひたすらに呪文を唱えるのです。
ところが、羽黒さん。恐ろしいことです。母はこの洞穴とも部屋ともつかぬところに一人で閉じこもったまま、死んでしまったのです。
私は、知らせを受けて、すぐさま岩屋に駆けつけました。ところが、その時目にした母の姿といったらひどく酷たらしいものでした。
母は巫女の装束を着ておりましたが、その胸元から腹部にかけて……つまり胃のあたりですが……赤黒く濁った血肉が噴き出して、床に流れ出しておりました。
この時、母はすでに絶命していて、叔父はすぐに警察に連絡をしました。
私はこの頃、まだ二十歳そこそこ若さで、突然の母の死にただただ困惑をするばかりでした。
ところがもっと驚くべきことが、この直後に起こったのです。
岩屋の中にあった木箱の中から、眠っている状態の妹の日菜が出てきたのです。
日菜はこの時、十一歳の少女でした。
日菜は気を失っていましたが、その場で目を覚ますと、ひどく恐ろしい目にあったようで、しばらく大声で泣き叫んでおりました。ところが、あまりにも泣き叫んでいる内に、魂が抜けるように、また気が遠くなったように静かになってしまったのです。
私は叔父に言われて、日菜を抱きかかえて、御巫家の屋敷に運び込みました。そして、日菜は屋敷の一室で、しばらく意識が甦らずに眠り続けていました。
日菜は、母が殺されてるところを、この目で見てしまったのかもしれないな……。
そう考えると、日菜がこれほどショックを受けているのも説明がつくのです。
それが本当なら、ひどく残酷な話だと思いました。
しばらくすると、五色村に警察が到着しました。
私は屋敷で、ずっと日菜のそばに座っていました。
なんだか、母が死んだことが夢のように感じられていましたが、その内にだんだんと、これが夢ではなく現実に他ならないのだということが分かってきました。
そうして、私は日菜の眠っている顔を見つめている内に、無性に悲しさが込み上げてきました。だんだんと目頭が熱くなってきて、ぼろぼろと涙が頬を伝うのでした。
……その時でした。日菜が目を覚ましたのです。日菜は、ぼんやりと部屋を見回し、最後に、私の顔に目をとめて、じっと見つめていました。
私は「目を覚ましたね」と言いました。ところが、日菜は「お兄さん、なんで泣いているの?」と尋ねてきました。
……その時、嫌な予感がしました。
私は、その日菜の発言に違和感を覚えたのです。日菜は日頃、私のことを「お兄ちゃん」と呼んでいましたから「お兄さん」という言い方が、ひどく他人行儀で、聞き慣れない響きに感じたのです。
そこで、私は言いました。
「日菜、一体何が起こったんだ?」
ところが、日菜はその言葉に首を傾げると、
「日菜って誰?」
私は、ことの重要性に気づき、頭を金属バットで強打されたような衝撃を感じました。
日菜は、事件のショックで記憶を失っていたのです……。
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