9 夢の風景

 祐介は、根来が幽霊を恐れているのだと知ると、不思議にも、胡麻博士の心霊講義を恐れている自分が、ひどく馬鹿馬鹿しく、滑稽に思えてきた。

 それのみならず、妙な具合に心が落ち着いてしまって、祐介は畳に仰向けになると、床の底から響いてくる、誰も聞いていないだろうにかけっぱなしになっているジャズの音色に耳をそば立たせた。

(何かおかしなことが起こるんじゃないか……)

 確かに、祐介にはさまざまな危惧があった。しかし、妙なことが起こったところで、それが何だろうか、今までも難事件を解決してきた自分じゃないか、と祐介は妙に落ち着いた心地になって、ぼんやりと天井を眺めていた。


 ぼんやりとしてくる。眠気が祐介を包み込んでゆく。どうしたのだろう。自分は疲れてしまったのだろうか。祐介は、はじめそんなことを思った。しかし、すぐに考えるのをやめてしまった。いや、考えられなくなった。そこには祐介はいなくなってしまった。ただ、天井というものがあるばかりで、自分というものがどこかに消えてしまったような感覚になった。

 それのみならず、感覚は、ただ四角い天井をさまよっていて、天井がひどく角ばっていることに、妙な違和感を感じてくるのだった。

 いつの間にか、その天井はなくなっていた。自分はどこにいるのだろうか。そんなことを考える意識もなく、見えないどこかをさまよっている内に、消えかかった小さな蝋燭があって、その灯りの下に、見覚えのない女性が座っていた。

 女性の両手には数珠が握られていて、擦られているが、音は聞こえない。ただ、この数珠を擦るという行為を繰り返している。

 女性の顔はよく分からない。見えているのに、何も感じることのない顔、そして次の瞬間には忘れてしまう顔だった。

 しかし、女性が悲しんでいるのだけは感じとることができた。なぜ女性が悲しんでいるのかは分からない。分からないが何か胸に迫るものがあって、その女性をじっと見ていた。

 ……そして、しばらくの空白。


 透き通るような青空が、無限に拡がって街を包み込んでしまった。まことに滑稽ユーモラス。焦げ茶色のマンションが子供の玩具みたいに転がっている。煙の立たぬつまらない煙突が乾いていた。それはたった一本だけの話。

 動かぬ景色。だけど車の走る音が流れる、耳のどこか端っこで。でこぼこな家並みが肩をよそあって、窮屈そうである。夏はまだ来らぬが、そうかと言って見れば、日差しは燦々と照り輝いて、アスファルトを真っ赤に焼いている。

 アスファルトはまた煌々こうこうと眩しくて、そこに黒い影が差している。暑さがやってきた五月の一風景。


 これは一体、何の風景だろうか。考えても分からない。だけれども、よく覚えている風景だった。

 そんな自分は丘の上に立っている。そこに少女が一人立っている。それは妹の姿だった。その妹がどこかへ走り出す。走って行く。走って行く。そして、妹は一体どこへ行ってしまうのだろうか。

 その時、めようと思った。だから自分も走ってゆく。走ってゆく。走ってゆく。そして、どこで立ち止まるべきなのかも分からぬまま、何もたどり着くところのないその彼方まで、走り続けているのだった。


 その時、四角い天井が再び現れた。さっきと変わらぬ天井に、相変わらずジャズの音色が流れていた。

 夢だったのか、とは思わなかった。夢だというのは自覚していた。それよりも、それが一体どういう意味を持つものなのか、祐介は考え込んだ。

 数珠を擦る女性と、丘で走り出した妹……。どうせ大した意味はないのだろう。夢なんてものはそんなものだ。意味をこじつければ、それ相応のものができるかもしれない。けれども、それは祐介にとって、重要なものだとは思えなかった……。

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