7 五色荘の親父とトイプードル

 祐介は、閑散とした参道をひとりで歩いていった。

(確か、この辺りに民宿の五色荘があったはずだ。行きに確認をしておいたのだから間違いない……)

 そう思いながら、記憶にある場所にたどり着くと、そこには黒ずんだ色合いの木造の建物が建っていて、額に「五色荘」の三文字が掲げられていた。

 その三文字の真下に横並びになった埃で曇ったようなガラス戸は、ぴったりと閉じられていた。祐介がそのガラス戸から、そっと室内を覗き込むと、中は薄暗くて、まるで誰もいないかのようだった。


 祐介はガラス戸を引き開けた。涼しい風が吹いてきた。

 室内へ立ち入って中の様子を見れば、古民家のように広い土間があって、傘立てのつもりなのか、備前焼のような古い壺が置かれていた。そこから一段上がったところは、ちょっとした広間みたいになっていて、赤茶色の使い古したソファーなどが二つも並び、その足元に、低いテーブルが据えてあった。さらに、今でもちゃんとつくのか不安になるブラウン管の小さなテレビが埃を被っていて、それとは、対照的に立派な新品のスピーカーが、左隣りに二つに並んでいた。

 電球はランプのように高い天井から吊るされていたが、なんだかやけに黄ばんでいて、汚らしかった。角のソファーの近くには、冷蔵庫があって、瓶ビールやオレンジジュースが何本も入れられているのが見えた。


 祐介が、ぼんやりとしていると、どこからか茶色いトイプードルが走り寄ってきた。

「おおっ!」

 祐介は、トイプードルに足元に絡みつかれて、思わず転びそうになった。

「これこれ、ムサシ。駄目だよ。お客さんにそんなに甘えちゃ……」

 サングラスをかけた人の良さそうな親父が、小さなカウンターの向こうから出てきた。

「お客さんですね」

「うふっ、羽黒です、か、可愛いわんちゃんですね……」

 トイプードルのムサシちゃんがあまりにもしつこく足に絡みついてくるので、祐介は、つい変な声を出してしまった。

「うちの看板娘なんですよ。ちょっとまって下さいね……」

 親父はそう言って、サングラスをちょいと直すと、ステレオの近くに歩いて行った。

「あっ、どうぞ、お上り下さいね」


 サングラスの親父はそんなことを言っているが、祐介にとっては、猛烈な勢いで足にしがみついてくるこのムサシちゃんをどうにかしてほしいかった。

 それで、サングラスの親父の方を見れば、棚からCDを二つばかり手に取って、見比べている。

「羽黒さん。ジャズはお好きですか?」

 今はそんなことどうでも良いだろ、と祐介は言いたかった。

 とにもかくにも、祐介は、二足歩行に目覚めたトイプードルと社交ダンスをしている現状から、一刻も早く脱したかったのである。

 祐介が、トイプードルを抱き上げて、スリッパに履き替えて、段に上がったちょうどその時、サングラスの親父はCDをかけた。民宿内にはセロニアス・モンクの弾いている「ダイナ」のリズミカルな音色が流れ始めていた。

「ああ、お客さん、ムサシともう仲良くなったのですか」

 サングラスの親父は、祐介とトイプードルを見比べて満足げに笑った。祐介は、ちょっと困ったような苦笑いを浮かべた……。

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