第五章 末妹

 我が妹、六玄木むくろぎ羽子うずは、生まれたそのときから風変わりだったわけではない。

 お母様のお腹から出てきたときの体重は確か三千グラムちょっとで、体のどこにも異常は無く、至って普通の女の子として彼女はこの世の一員となった。

 そして人並みに立ち歩きを始め、人並みに言葉を話し始め、人並みに物を食べて、ごく当たり前に大きくなっていった。


 羽子が生まれたとき私はまだ二歳だったから、妹ができるということについて確固たる嬉しさや期待を持っていたわけではなかったと思う。さすがに二歳の頃のことは覚えていないが、恐らくそうだったはずだ。

 逆に言えば、私が物心ついたときには――つまり私の最古の記憶の中には、すでに羽子がいた。彼女は私にとっては姉の冠奈かんなと同じく、人生の初期セットにしっかり組み込まれていた存在なわけである。


 昔、我が家にはペットがいた。コロンという名前のオスのラブラドール・レトリーバーで、私達三姉妹は毎日彼にべったりだった。

 いまもよく理解できていないのだが、犬は主の子供というものをどのようにして自分より格上の存在と認識するのだろう。

 私達は彼に対してまるっきり幼稚な接し方しかしていなかったが、彼はとても紳士的に、おとなしく、私達にいじられっぱなしになっていた。どのようなしつけの結果かわからないが、よくしつけられた子だったと思う。……いや「子」と呼ぶのは間違いか。私達より何歳も年上だったのだから。


 そのコロンが亡くなったとき、冠奈は小学校の六年生、私は三年生、そして羽子は一年生だった。

 亡くなった日は平日で、私達が学校へ行っている間に彼は息を引き取った。家に帰ってきた私達は三人が三人とも寝るまで泣いていたのを覚えている。

 家族を失うという経験を、そこで初めて味わったのだ。


 そのことと関係があるのか無いのかわからないが、羽子に変わったところが見え始めたのはちょうどこの頃からだったように思う。


 最初のうち、それらはべつに誰の目にも問題としては捉えられなかった。

 人間、誰にだって特徴というものはある。一つや二つではなく、幾つもある場合だってある。特徴があることが悪いことなのではもちろんないし、むしろ何一つ特徴のない人間は面白味に欠けると言えるだろう。

 実際、羽子は若干風変わりながらも小学校生活は無事に――少なくとも見かけ上は無事に――送れていたのだ。

 何より成績は抜群で、某有名進学校に圧倒的な成績で合格し、入学することができた。成績が優秀であるという事実には、無数の細かな問題点を一息で吹き飛ばしてしまう力がある。


 ――だが、その進学校の中等部一年生となって半年ほど過ぎた二学期のあるとき、羽子は突然、学校に行くことを拒否するようになった。同時に、外界と行き来することをも。


 もちろん我が家はそれなりに混乱し、何とか原因を突き止め、事態を解決しようとした。

 しかし羽子に訊ねてもそのことに関しては一切答えようとしなかったし、学校側へ接触をしてみても、先方はこちらと同じくらい事態を把握できていないようだった。

 誰の頭にもまずよぎるのはいわゆるイジメの存在だが、どのように探りを入れてみてもその痕跡は見られなかった。クラスメート達にとっても突然の出来事だったようである。

 と同時に、このような声も聞かれたのだった。

「六玄木さんならそうなることもあるかもって、いまなら思える――」


 ◆


 羽子がどんな少女なのかについて、簡単に紹介しておこう。


 身長は一五〇センチをほんの少し越えるくらいで、歳の割には小さめだが、それよりも何よりも細身の体が特徴的である。たぶん四十キロを割るのではないだろうか。

 食が細いわけでもなく動きも少ないはずなのに、一向に体重が増えないのだ。

 そのせいか、すでに述べたことだが、名前の通り空中を舞う羽を思わせる軽やかな動きをする。物音を立てるのが(そして立てられるのも)嫌いらしいのも一因のようだが、普通の人間にはあんなに軽やかな動作を常に見せることは難しいだろう。

 優雅と言えば優雅で、彼女の魅力なのかもしれない。


 魅力といえば、その顔立ちはさぞや男子には魅力的に映るのだろうと思う。

「お人形さんのような」という古い表現があるが、羽子はまさにそのような可愛らしさを持っている。

 それでいてどこかハッとさせられるような強い目をしている。髪は長く、前髪はほぼまっすぐに切り揃えられている。

 いまこれを担当しているのは雨傘だ。お母様は美容師を呼びたがっているのだが、羽子がそれを断固として拒否しているのだ。でもまあ素人がやっているにしては、なかなかどうして羽子の魅力を引き立たせることができているように思う。


 しかし可愛らしい見た目に反して、羽子はとにかく無口である。

 これが小学校に入ったあたりから顕著になったことの一つなのだが、必要最小限のことしか口に出そうとしない。

 決して語彙に乏しいわけでも、咄嗟に言葉が出ない体質なわけでもない。むしろそれらは豊富かつ機敏なほうで、ここぞというときには油断していると切り刻まれそうになるような鋭いことを言う。

 なのに普段はそれを奥底にしまい込んでしまっているのだ。


 皮下脂肪が少なそうなのに、やたらに暑がりというか、寒さに強く、年がら年中薄着なのも特徴の一つである。

 聞いたところによると、冬でもあまり自室の暖房を効かせないらしい。

 夏と冬で着る物があそこまで変わらない人物を、私は羽子以外にはお相撲さんくらいしか知らない。冬に好んで薄着でいるということは、夏はそれ以上脱ぐものがなくてさぞやつらい思いをしているのではないかと思うが、本人にそれを訊ねてみたことはまだない。


 それと関係することだが、羽子は徹底して靴と靴下が嫌いである。

 どれだけお母様や付き人に言われても家の中を裸足で歩き回りたがり、その意固地さでとうとう正式な許可を勝ち取ったのは小学三年生くらいの頃だ。

 幼稚園、小学校も春夏秋冬ずっと靴下を履かずに通い続けていた。

 中学に入ったときにはさすがにお母様が靴下を強制したのだが、証言によると教室に着くなり脱いでしまって、放課後にまた履いて帰宅していたらしい。

 羽子がまだ学校に通っていた頃、素足で靴を履くのはいろいろ問題があるんじゃないかと私は言ったことがあるのだが、返ってきた答は「授業中とかほとんど靴履いてないから平気」というものだった。

 学校でも家と同じノリなのかと、私は呆れ顔になったのを覚えている。

 まあ、控えめに言っても変わり者のレッテルからは逃れられなかったことだろう。


 しかしそんな変人でも、とにかく成績は抜群だった。それは首都圏屈指に優秀な子達が集まる進学校の中においても――最初の一学期の成績だけの話だが――同様だった。

 自慢するわけではないが、私達姉妹は冠奈も私も成績優秀である。

 しかし才能というか、脳みその最大出力のようなものでいえば、断トツで羽子が優れていることは認めざるを得ない。これは学校の成績だけで言っているのではなく、日常において彼女と接していて感じてきたことだ。


 羽子は一言でいって、天才肌なのである。

 それを支えているのは、異様なまでの集中力だ。何かにのめり込んだとき、複雑なことに取り組んだときの羽子はまるで、目の前の物事のためだけにプログラムされたロボットのようになる。

 食欲も睡眠欲もどこかへ吹っ飛んでしまうようだし、周囲の人間が現実に引き戻そうと話しかけてみても、うまく戻ってこられないのか、一区切りつくまではやり取りがほとんど成立しない。

 逆に、幾つもの問題に並行して取り組むのは人一倍苦手であるらしく、それを強いられると酷く混乱する。そのことがさらに羽子の行動様式を集中型に特化させているように見受けられる。


 天才肌で変わったところがあって無口とくれば、もはやお約束なのかもしれないが、羽子には友達らしい友達がいなかったし、いまもいない。

 決して孤立していたわけではなく、学校生活を送るにあたっての最低限度のやり取りはこなしていたという。

 しかし後々になって振り返ってみれば、誰かの家に遊びに行ったこともなければ、誰かを家に招いたこともない。

 繋がりを太くしていく類のコミュニケーションはまともに取っていなかったのだ。

 羽子が同年代の他人と何かをやっているのを見る機会は、運動会くらいしかなかったように思う。


 小学校のときのなけなしの人間関係が進学校へ進んだことでリセットされたことは、羽子にとってどういう意味を持っていたのだろう。

 うまく想像することができないのだが、いずれにせよ当然のように、中学校でも友達はできなかった。

 羽子が学校に行かなくなってから、クラスメートの誰かが心配して電話をかけてきたとか、家に様子を伺いに来たといったことは一度もない。担任の教師が何度かやって来ただけだ。

 繰り返すようだがイジメは無かったという。ただ少しばかり無口で変わっていて、どの友達グループにも属していなかっただけだ。

 でももしそこで一人でも友達らしきものを作れていたら、いまでもその子と――外の人間と、ネットを通じてでもやり取りできていたかもしれない。それを思うと、余計なお世話かもしれないのだが、とても口惜しい気持ちになる。


 ネットは羽子の大切な趣味だ。中学校に入学したときにパソコンとスマートフォンを買い与えられて以来、嵌り込んでいる。

 それまでの彼女は読書一辺倒だった。それぞれの部屋にある本棚とはべつに、我が家にはお父様が設置した図書室があって、そこにかなりの量の蔵書が存在する。

 羽子は小学生の頃からよくそこに入り浸っていた。意味がわかるものもわからないものも構わず読み漁っていたらしいが、意味がわからないものを読むという感覚が私にはいまいち掴めない。

 ともあれ、いまでは読書とネットは半々くらいになったように窺える。

 羽子にとってはどちらの趣味も、情報のインプットという点で共通するものがあるのだろう。ときどき二つの趣味は合体し、図書室でノートパソコンを開いて何かやっている羽子を見かけることもある。


 ネット上で何か発信しているかというと、そういうわけではないらしい。

 世の中にはネットでのやり取りが横行しすぎなほど横行しているが、本人の言を信じるならば、羽子はそこに加わることには興味がないようだ。

 せめてネット上にだけでも誰か仲良くできる相手を作れればいいのにと常々私は思っている。引きこもりつつもネットでは積極的に物を言う、そんなタイプの人間も世の中にはいる。

 しかし残念ながら羽子はオンライン・オフラインを問わない正真正銘の一匹狼であるようだった。彼女はアウトプットに関する欲が希薄なのだろう。あるいはそれが上手にできないのかもしれない。


 引きこもりを始めて以来、羽子の生活のリズムは滅茶苦茶になった。

 最初にまず昼夜逆転が起き、夕方に起き出し朝方に眠るようになった。しばらくするとその昼夜逆転さえ保つことができなくなり、いったいいつ起きていつ寝ているのか、きちんと把握している者は誰もいないという状況になった。

 当然、食事を家族と一緒に摂ることもなくなり、春沙はるささんが作ってそのまま冷蔵庫に入れておいたものを、真夜中に温めて食べたりするようになった。

 夕食だけは一緒に摂るようになったのは、ここ数ヶ月のことである。羽子はそこだけは寝起きの帳尻を合わせるようになった。小さな変化だが、まあいちおう改善の方向にはあると言っていいのかもしれない。


 そのいちばんリズムが乱れていた時期に、もっとも苦労していたのが雨傘あまがさだ。

 いまでこそ無くなったようだが、その頃の羽子は何か用件があれば真夜中でも雨傘に連絡を入れていたらしい。

 雨傘もお説教ができるような性格ではまったくないから、そのすべてに生真面目に応対することとなり、日によっては明らかに顔に疲れが見えていて気の毒になるほどだった。

 いまにして思えば、羽子はその時期、彼女なりに雨傘を試していたのかもしれない。どこまで甘えていいのか。どこまで信用していいのか。それを推し量っていたのではないだろうか。


 雨傘の前任者は、羽子が引きこもりを始めて少し経った頃に付き人を辞め、屋敷を出て行った。

 詳しい事情を直接聞いたわけではないのだが、そこに羽子の問題が関わっているということは誰が推測しても行き着く結論だろう。

 子供心に感じていたことなのだが、前任者は昔から羽子のことを本心から好きになれてはいなかった。

 可愛い見た目の割に可愛げはなく、その上何かと小言の対象となる振る舞いをする。挙げ句の果てに、せっかく合格した学校へ行かなくなってしまった。

 お父様からクビを宣告されたのか、自分から辞めたのかはわからない。でもどちらにせよ、彼女はそのあたりで限界を感じたのだろうと思う。この子のお守りは自分には重荷である、と。


 だから羽子は雨傘が自分についてこられる人間なのかどうかを知りたかったのだと思う。

 結果として、雨傘は羽子にとても気に入られることとなった。

 二ヶ月ほど様々な無理難題をふっかけられていた雨傘だが、徐々にそれが減っていき、羽子の要求もそれなりに常識的なものに収まっていった。

 もちろんいまでも雨傘は仕事中に突然呼び出され、方々に頭を下げながら羽子のもとへ直行していたりするわけだが、普通の人間の活動時間に限るようになっただけでもだいぶ気遣いができるようになったと言える。


 ◆


 羽子のいない食卓で、お父様とお母様は一度だけ、発達障害という言葉を口にしたことがある。もしかしたら羽子はそれかもしれないというのだ。

 その響きがとても重たいものに感じられて、私は自分でその言葉について調べてみた。確かに、羽子の特徴の幾つかはそれに当てはまっているように思えた。

 もし本当にそうなのであれば、羽子の問題は我が家だけで抱え込むものではなく、然るべき相手に相談するべきものだということになる。


 でもその話題がのぼったのは現在に至るまでその一回だけで、具体的な行動には繋がらなかった。

 お父様達の思惑はわからない。僅かな可能性として口にしたに過ぎなかったのかもしれないし、真正面から見つめたくなかったのかもしれない。

 いずれにせよ羽子についてはそれ以降も雨傘に一任するという対処が採られ続けた。それで夕食に顔を出すまでに「回復」してきたのだから、そう愚かな決断でもなかったと言うことはまあ、できる。


 でも、障害云々はとりあえず脇に置いておくとして、すべてを雨傘に任せてしまったのはやはり怠慢だったのではないかと、いまになって私は反省している。

 もちろん私達家族は大筋では良かれと思ってそうしたわけなのだが、どこかに羽子を恐れる気持ちはなかっただろうか。そして多かれ少なかれ、羽子にその気持ちを見透かされてはいなかっただろうか。


 私達はたぶん、どこかしらで羽子に失望されたのではないかと、いまの私は考える。

 たとえ拒絶されることがあっても、私達はもっと積極的に羽子と関わりを持とうとするべきだったのだ。

 これが二十歳の大人であるなら話は異なるかもしれない。でも羽子はまだ十四歳なのだ。二歳違いの私が言うのもどうかと思うのだが――彼女はまだ子供なのである。

 羽子には家族が必要だ。

 ――否。羽子に必要とされるような家族でなければいけないのだ。

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