第11話 ラヴィンサラ

最初は新聞に載った小さなニュースだった。


南の街で風邪の流行が始まったという記事。


流行がいつもより、少し早い気がした。


毎年、年明けからしばらく間を開けて季節性の風邪の流行が始まる。暖かい季節が来る前に患者数がピークを迎え、やがて収束する。


私は薬屋の奥にあるカウンターで一人、簡単な朝食を取りながらまた風邪の季節が来るなあ、と考えていた。


朝ごはんはその日、薄くスライスしたパンにチーズを乗せ、目玉焼きを更に上から重ねたクロックムッシュもどきにコーヒーだった。


午後からエルの様子を見に森の管理小屋に行く予定だった。パンを昨日、たくさん買ってお店でスライスしてもらった。今日はサンドイッチを作って持っていこうと考えていた。


具はジャガイモをマヨネーズとレモン汁で軽くあえたシンプルなサラダ。それにハムを添える。あとは魚のフライにタルタルソースをたっぷりのせてサンドするのもいい。


管理小屋で、みんなに食べてもらおう。エルには干し肉をお土産にするつもりだ。


犬の回復力はものすごく、キツネ用の罠でえぐれた肉もすっかり元に戻った。傷口はピンク色の皮膚が綺麗に覆って、歩行には全く問題はない。


ただ傷のところはハゲてしまい、一生毛は生えて来なさそうだ。


あのエルの足に出来たハゲを見るたびに、私はキツネ用の罠を仕掛けて、さらに森を荒らして貴重な薬草と香木を持ち出した犯人について考えてしまう。それで一人ムカムカと腹を立ててしまうのだ。


そんなエルだがすっかり傷もふさがり、私が見に行くのは今日で最後になる予定だった。そう思うと少し寂しい感じがした。



朝食を食べ終え、皿とカップを片付ける。そして風邪の流行と共に必要になる薬の在庫を確認する。


解熱剤、鎮痛剤に咳止め。発汗を促し回復を助けるお茶も必要だ。


あとは風邪の予防に大切な、手洗いのための石鹸もいつもより多く並べることにする。


私の店は薬屋だが、できれば病気でないときにも気軽に足を運んでもらいたいと思っている。


買い物ついでのふらりと立ち寄って、病気の予防に役立つ情報を知ってもらったり、健康を守るために大事な基本的なことを学ぶ場として活用してもらえると嬉しい。


薬屋で石鹸を売るのもそうした取り組みのひとつだ。


手洗いは誰でもできる簡単な病気の予防方法だけれど、ちゃんと出来ている人は意外と少ない。


面倒くさい、というのが多分大きいんだろうな、と私は思った。


それなら手洗いを楽しめるようにしたら良いのではないか?と考えた。


そしていとこに頼んで、香りの良い、洗い心地の良い石鹸を作ってもらうことにしたのだ。


いとこの名前はラヴィンサラと言う。普段私はサラ、と呼んでいる。


サラの髪は細いシルクのようにまっすぐでさらさらだ。そして真っ白だ。肌も透けるように白く、日光に弱い。


サラには色素と言うものがほぼない、そう、サラはアルビノなのだ。


私は小さい頃からサラのその姿を見慣れいたので、その白い髪も、赤い眼も、サラの属性のひとつとしてただ認識している。


でも世の中のたいていの人はそうではなく、気持ち悪いとか呪われているとか悪口を言ったりするし、いかにも気味が悪いという目で遠巻きにみたりする。


まだ悪口を言っているくらいなら可愛いもので、アルビノには特別な力があると盲信した男がその力にあやかろうと、あろうことかまだ10歳だったサラをレイプしようとしたことがあった。


その時、たまたま一緒にいた私は大声で喚き、その男に石をぶつけた挙句、近くにあった木の棒で殴った。


騒ぎに気づいた私の父と、父の姉でサラのお母さんがものすごい勢いで飛んできて、その男をボコボコにし、憲兵に突き出した。


その男がその後どうなったかは知らないが、いつのまにか家族ごと街から消えていた。


サラのすごいところはそう言う出来事があったにも関わらず、自分の人生を変な方向に歪めてしまわないことだった。


「私は不特定多数の人と関わっていくのは無理、一人で出来る仕事を探そうと思う」


ひねくれるでもなく、さらりとそう言ってのけたサラを、年下なのにすごいな、と素直に思った。


サラは植物を育てる才能があった。


特に生育場所や土を選ぶ、栽培の難しい繊細なハーブ類や薬用植物を育てるのがびっくりするほどうまかった。


一度、噂を聞きつけた王立植物園の偉い人が数人やってきて、王国の中でも希少種中の希少種、ミズオダギリ草の栽培を依頼してきたこともある。


サラは植物園の偉い人たち、多分研究者の人たちと対等に話し、栽培の依頼を引き受けた。


そして、3年かけて見事にやってのけた。


ミズオダギリ草はこの国の中心を流れる大河の流域に多い、ある感染症の特効薬になる。


その感染症は、命を奪うことはないが人の視力を奪う。


視力を奪われた人は仕事を失ったり、学業が続けられなくなり、低賃金の仕事にしかつけないなど、この国では大きな社会問題となっていた。


もしミズオダギリ草の栽培に成功すれば、病気に有効な成分が何かを研究できる。行く行くはその成分を人工的に合成できるようにして、必要とする人たちにあまねく行き渡らせることが国を挙げての事業になっているのだ。



そんな国家事業の一端をになっているなんて、サラすごいわ、と私はこの年下のいとこを尊敬している。


サラはミズオダギリ草の栽培成功報酬として、森の近くの広大な薬草園を手に入れた。



今年18歳になるサラは、薬草栽培のために国から派遣されたスタッフと、調香師の彼氏と一緒にその薬草園に住んでいる。



クローズの札を下げてある薬屋のドアが開いた、からん、とドアベルが乾いた音を立てる。


「リサ、来たよ」


そこには真っ黒なマントを頭からすっぽりと被った、いとこのサラが立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

犬が買いにくる薬屋のはなし カブトムシ太郎 @kabukuwa0608

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ