第9話 昔、悪い風邪が流行った

「悪い風邪…」


20年ほど前のことだ。


悪い風邪、と呼ばれたウィルス性の病気が大流行した。


はじめはいつもの季節性の風邪の流行だと思われていたそれは、徐々に違うものだと明らかになった。


いつもの流行性の風邪であれば、熱は高くなってもほとんどが寝ていれば治る。稀に重症化する人たちもいたが、それは小さな子供だったり、体力のないお年寄りだ。


それが、その時に限ってなぜか体力のあるはずの若い人たちがバタバタと死んでいったのだ。



バタバタ、というのは決して大げさでも私の語彙力が貧弱なせいでもない。文字通り人が、次々とドミノだおしに倒れて死んでいったのだ。



なぜこのことを私が知っているかというと、父からその当時の話を聞いていたからだ。



ウィルス性の風邪には、基本的に効く薬がない。なので解熱剤や鎮痛剤を処方するなどの対処療法をしながら患者の回復を待つことになる。おかげで薬屋の父の元には、悪い風邪の流行と同時に、薬剤の注文がまとめて押し寄せてきた。


父はそうした医療機関からの薬の注文をさばきながらも、街に住む人たちの間に感染が広がらないよう尽力した。


出来るだけ家からでないように、具合が悪い人には家に薬を届けるから症状を書いて見えるように窓に貼っておくようになどの指示を出し、奔走した。


街の顔役の人とか、役所の衛生課の人たちなどが自主的に集まり、食べ物や薬を街の人たちに配りまくったという。


当時、母は私を妊娠中で「絶対に外に出るな、人と接触するな」と父から固く言い渡され2ヶ月ほど全く外に出られなかったという。


外で薬や食べ物を配っていた父は、自分も感染しているかもしれないといって、母の住む母屋には絶対に足を踏み入れなかったという。自分は庭にある小屋で寝泊まりしていたらしい。


「お父さんはやると決めたことは徹底的にやるっていう人だったからね。私と接触しない、というのも本当に徹底していたわ。お腹に子供はいるっていうのに、同じ敷地内にいるのに2ヶ月も会わないなんてね!おかげであなたも無事に生まれたわけだけども」


そう言って、母は子供の頃、私に笑いながら話して聞かせてくれた。母は薬学部出身で、父の薬問屋を一緒に経緯営している。父とは大学時代に出会ったそうだ。



「悪い風邪のことは、両親から時々聞かされていました。流行性の風邪とは随分様子が違っていたと。強毒性のウィルスで、それに対して免疫反応が過剰に起こり、サイトカインストームが起こって亡くなった人が多かったのでは、と聞きました」


あの時の風邪は異常だった、なぜなら目の前で本当に一瞬で人の顔色が紫色に変わり、血を吐いて死んでいくのだから、と父は教えてくれた。


その話を聞いた時、確か私は10歳くらいだったと思う。


10歳の子供に普通するか?そう言う話?と振り返ってみて思わなくもないが、私の家族は病気のことについては、食事の時間にも普通に話題にするような人たちだった。


薬問屋という家業の影響ももちろんあるが、基本的に父も母も、その家業に誇りを持っており、仕事を愛している人たちだったからだろうと思う。


薬の効果についてよく真面目に議論していたし、何より、人の体と病気のこと、体が及ぼす作用について、純粋に好奇心を持っていた。


薬を通して人の病気を治したい、薬を適正価格で必要な人に届けることで世の中の役に立つ、と言う真っ当な職業意義ももちろんあって、両親はそれを誇りしていたと思う。


ただどちらかと言うと二人とも、研究者気質が強かった。特にそれが強いのが母の方で、父は好奇心も旺盛だけれど、商売に必要な利に聡い感覚も持ち合わせていた。


だからこそ我が家の家業である薬問屋は、そこそこ規模が大きく経営もうまく回っていた。二人ともただの薬バカだったら、商売としてはどこかで失敗していただろう。


そんな二人の血を継いでいる私なので、怖い風邪の話を聞いた時は確かに怖いと思ったが、それよりもどうして人の顔色が急に紫色になるのか?とかそっちの方が気になって仕方がなかった。



「僕の家族はあの風邪で、僕を除いて全員なくなりました」



「え」



「両親、そして歳の離れた兄がいましたが、目の前で亡くなりました。あの風邪は、感染すると本当にあっという間に人の命を奪ってしまう」



カインはそう言うと、視線を手元のグラスに落とした。何と言っていいのか、私にはわからなかった。



「だからどうしても知りたかったんです。何故、僕だけが生き残ったのか。そしてあの風邪の正体が一体なんだったのか。これが僕が、獣医師になり、森の管理者になった理由です」

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