第2話
■ ◆ ■
タカは週末の二日間を使って、自分が出来る限りの方法で蒼光花についての情報を集めようとした。しかし、「既に発見された花である」と確信を持っていたにも関わらず何らかの情報がヒットする事は無かった。
蛍のように光る花であれば、品種改良等を行った結果特殊なフィルター越しに見る事で実現する事が出来たらしいが、蒼光花は肉眼で青く光って見せる。
とはいえ、彼の検索履歴が「青 光る 花」だったり、「蒼光花」という仮の名称だった時点で引き出しはそこまで多かったわけでは無かったのだが、ネットの海は想像よりもずっと深く、広い。
『蒼光花』でヒットしないのはともかく、『青く光る花』で写真に撮ったような花がヒットしないのはありえないと感じていた。
つまり、蒼光花はタカの中で新種の花になり得ようとしていたのだ。
いっその事、顔の見えない花の詳しい誰かに質問サイトを使って聞いてみるのもアリなのではないか、と判断したのだが、その結果ネット上に大きく広まる事があれば霧島に対して何か思わせる事になるだろう。
ひとまず、自分も蒼光花について調べた、という事を報告しなくては――。
タカはそう思い。
「――というわけで、俺はその花が新種なのではないかと思うんだが」
週末明けの放課後、新聞作成が始まってすぐにタカは霧島に話を振った。
霧島はタカから話を振られた事があまり無かった為に最初は目を点にしていたのだが、タカがどのように調べたのか、ついでに吉姫の家に寄って実物を見たという話を聞きながら、相槌を返していた。
「私もネットでいくらか探してみたけど、青く光る花についての情報なんて全然見つからなかったんだよね。画像で検索してみても見つかるのは自分が思ってたものとは違ったし。植物に詳しい人とか、この花について知ってる人が身近に居たらいいんだけどね」
霧島はそう言いながら、先週分の遅れを取り戻そうと必死に筆を動かしていた。タカは相変わらずそれを見ているだけだったが、これが普段の新聞部のあり方なのだ。
「そういえば、今日は遅れを取り戻すための助っ人を呼んでてね。あと少しすれば松阪先輩が来てくれるはずだよ」
「松阪……松阪って、保険委員長の
霧島はうん、と頷いて、新聞と自分の目の距離を近づけながら、言葉を続ける。
「私が一年生の頃からお世話になってる先輩でね、新聞の締切が危ないなって時はいつも手伝ってくれるんだ。最近はあまりお世話になってなかったけど、風邪ひいちゃって予定が崩れちゃったからね」
『松阪 伊吹』という名前はタカも全校集会や校内放送で良く聞く名前だった。
松阪は保険委員の委員長を務める三年生であり、品行方正という言葉が校内では最も似合うであろう礼儀正しい女性だ。
そんな彼女が新聞部に関わる事になったきっかけは一年前、先生に向けて新聞部の存続の為に頭を下げていた霧島を彼女が見とめてからだった。
一年生一人しか活動しない新聞部を廃止しようと考えていた顧問の先生に対し、霧島はたった一人で頭を下げ、少しでも存続させる為に先生に説得を試みるも、先生が中々折れずにこのままでは廃部になってしまう、という寸前だった。
そこで、偶然職員室に顔を出していた松阪は「次回の新聞コンクールに彼女の新聞を提出して、結果を残す事が出来たら存続という形にするのはどうか」と発案。
先生も結果を残せるならば、と承諾し、その後霧島は無事新聞コンクールにおいて奨励賞を獲得、今現在も新聞を書き続ける事が出来るようになったのだ。
その頃から松阪は霧島の新聞の愛読者として、霧島は松阪を恩人として、そして今は互いに友人として、学年の垣根無く二人は関わりを持つようになっている。
その一年後、今度は部活動を成立させる人数そのものが足りなくなってしまい、またもや存続の危機となってしまうのだが、それを救ったのは誰なのかは言うまでもない。
「というかタカ君が手伝ってくれれば委員会活動で忙しい松阪先輩の手を借りなくてもいいんだけどな。タカ君の手を借りる……鷹の手も借りたい!猫ならぬ!」
ただ、その救世主は松阪と違い、協力しようとする姿勢は一切見せない上に、クラスの中では変わり者という扱いを受けているような少年なのだが。
「上手い事言ったつもりだろうが漢字が違うからな。それにそもそも、俺は部活動の数あわせの為に入部しただけで、新聞の手伝いをするために入部したわけじゃないんだ」
「ケチ……」
「何とでも言え」
説得を諦めた霧島は、しゅん、と眉尻を下げて新聞作業を始める。
二人の会話が途切れて数分後、唐突に黒板側の扉が、がらがらと音を立てて開かれた。
「やー、千雪ちゃん。お待たせしたね!」
夕陽で照らされた八重歯をチラつかせて教室内に軽快な声を飛ばした少女は、鞄を片手に二年一組内へと足を踏み入れていく。
「あ、松阪先輩!」
先ほどの落ち込みようがまるで無かったかのように、霧島は席を立ち上がって松阪の方へと向かっていった。
松阪はそんな霧島の頭を軽く撫でてから、タカの方に向かって歩いていく。
「君がタカ君……かな?」
明るいトーンのまま、互いを知らぬ二人は視線を合わせる。
タカは他人と目を合わせて会話をする、というのは得意では無かった為、頭を下げるという行為を伴って自分の名前を伝える。
「……ええ、タカです。よろしくお願いします」
「君の話は千雪ちゃんから聞いてるよ。新聞部を助けてくれたんだってね?」
「助けたなんて大それた事はしてませんよ。ただ、そこの級友が部活を潰したくないからと迫ってきたから仕方なく新聞部に入部しただけで……」
「世間じゃそういう事を人助け、そしてそういう事をする奴をお人よしって言うんだよ。良かったね、千雪ちゃん。優しい人が新聞部に来てくれたみたいで」
タカは少し調子が悪そうに顔を伏せる。なんせ、他人と会話する事も少ないどころか、褒められるなんてこともあまり体験していない。
とどのつまり気恥ずかしくなってしまったからだ。
霧島は松阪の言葉に同意するようにこくこく、と何度か頷いてから、松阪が座る席を用意してから自分の席に戻る。霧島とタカが正面に向かい合い、タカの左手側、霧島の右手側に松阪が座る。そういった構図が教室内に出来ていた。
「それじゃあ改めまして、私は三年の松阪伊吹。好きな物は辛い食べ物、苦手な物は甘ったるい食べ物!保険委員の委員長を務めてるから部活動は特に所属してないよ。クラスでは松阪とか伊吹とかイブちゃんとかイブイブとか、色々なあだ名で呼ばれてるから、タカ君も好きなように呼んでいいからね」
松阪はにこにこと笑顔を向けながら、初対面のタカに向かって朗らかに自己紹介をする。
「いや……普通に松阪先輩って呼ばせて貰いますよ。そちらの方が一個上ですし」
「ええー?私、別にそういうの気にしないんだけどな。まぁタカ君がそう呼ぶのがいいなら、それでいいかな」
普段の集会や放送でしか松阪の声を聴いた事の無いタカにとっては、目の前に対峙している松阪の声色や話し口調に違和感を覚えていた。
タカが元々知っていた松阪という人間は、どんな相手に対しても――言い換えるならば下級生に対しても上級生に対しても、当然先生に対しても完璧な敬語を崩さず、まさに委員長という風格を常に周囲に撒き散らしているような、そんな人間だった。
ただ、今目の前に居る彼女は、制服を微妙に着崩していて、気持ち普段より高い声色で、かつ人懐こい笑顔で自分達に言葉をかけてくる。
(つまり、普段俺が見ている松阪先輩は『
タカがはっきりとそう思うくらいには、松阪という人間の普段との差が垣間見えた。
「さて、私も軽く自己紹介したから、良かったらタカ君にも自己紹介して貰えると嬉しいんだけどなぁ」
松阪は身体を僅かに前に倒し、軽く上目使い気味になりながらタカの事を見上げる。
タカはその目になんだか自分の中身を見透かされているような気がして、思わず視線をそらさずにはいられなかった。
ただ、向こうが自己紹介を望むのならば、と。
「俺の好きな物は本で、苦手な物は見ている通りコミュニケーションといった所です。新聞部の幽霊部員を担当しています。他人と会話する事なんてあんまりないんで、あだ名みたいな物は特に無いです」
「ダウト、ここに居る時点で幽霊部員じゃないでしょ」
人差し指をちっちっ、と揺らしながら松阪は答える。
「基本幽霊部員ですよ。実際の所は教室の電気の消灯確認と全員が出た教室の鍵閉めはしてますが、新聞部の活動に直接関わった事は一度もありません」
「そうなの?千雪ちゃん」
「そうなんですよ~。さっきも鷹の手も借りたいって言ってお願いしたんですけど、全然助けてくれる気配が無くって……」
あらあら、と言いたげな松阪と、この会話中にも忙しそうにペンを走らせる霧島。
「まぁそういう事ですから、人助けはしたかもしれませんがお人よしでは無いんですよ。幽霊部員というよりは地縛霊部員の方が正しいのかもしれませんね」
そして、相も変わらず本を片手に椅子を揺らすタカ。
そこに存在はするけれども、居るだけで何もしない、地縛霊のような部員――。
「地縛霊部員か……中々面白い事言うね、タカ君。ちょっと気に入ったよ」
「ありがとうございます」
タカは相槌を打つように礼を返しておいた。
「よし、それじゃあ次は千雪ちゃん、折角だし流れで自己紹介しちゃいなよ」
「え、ええ、私ですか!?タカ君も松阪先輩も分かってると思うんですけど……」
(いや、俺はお前の事を大して知らない)
タカは口に出す必要も無い言葉を心の中で噛みしめた。
「もしかしたら私の知らない千雪ちゃんが居るかもしれないからさ。ね、お願い!」
「ま、まぁ、松阪先輩が言うのであれば……」
霧島は一度ペンを動かすのを止め、顔を上げてタカと松阪の顔を交互に見る。
「ええと、私は霧島……霧島千雪です。好きな物は新聞で、苦手な物はコンピュータ関連です。携帯とか上手く使えなくて……。で、一応新聞部の部長を一年生の頃から務めてます。といっても、活動部員二人のさみしい部活なんですけどね。えへへ」
霧島はにこにこと笑いながら自己紹介を続け、そんな霧島を松阪は微笑ましく眺める。
「実質活動部員は一人だけどな」
タカは足を組んで霧島の方を睨みつけるように見る。
「そ、そんな悲しい事言わないでほしいなー、なんて……」
霧島は小動物のように縮こまりながら反撃の言葉を小さく返す。
「こらっ、タカ君!うちの新聞部員をいじめたらタダじゃおかないよ?」
松阪はタカの方を向いてシャドーボクシングをし始めて威嚇をする。
三人の力関係が何となく分かるような、そんな図が教室の中に出来ていた。
「……って、こういう事やってる場合じゃないんです!松阪先輩、早く記事の手伝いをしていただかないと、締切に間に合わなさそうなんです!」
突然、霧島は机を叩いて立ち上がる。
アニメのキャラクターの小さなシールでデコレーションされたペンが机の上をころころと転がり落ちそうになり、松阪はそれを机から落ちる前に確保する。
「あら、じゃあ親睦会はここまでにしておこうか」
松阪は手にしたペンを机上を転がして霧島に渡し、新聞の方へと視線を移す。
「これが今回の新聞の内容かぁ。さてさて、今回は一体どんなネタを持ってきたのかな?」
松阪はトップ記事から順々に目を降ろしていき、一番下の記事まで視線をやる。
最上段のトップ記事は野球部の活動調査及び、選手への今後の大会における意気込みのインタビュー、中央の記事では学校に所属している先生について知って貰う為の簡単な紹介記事など、新聞部らしい記事がきっちりと纏められていた。
途中までは松阪も頷きながら記事の内容に目を通していたのだが、とある記事の項目……青く光る花について書かれた小さな記事を見て、松阪の視線は固まった。
「……?松阪先輩、どこか変な部分でもありましたか?」
「……いや、ちょっと気になる部分があってさ。この青く光る花?っていうのは、一体どんな花なんだい?」
微かに震えたような声と共に、松阪は霧島に向かって尋ねる。
霧島は急いで自分の手元にある、青く光る花の写真を松阪に提出した。
すると、松阪は自分の唇を噛み、僅かに表情を青くした。
「松阪先輩……?」
「あ、あぁ。千雪ちゃん。写真もわざわざ見せてくれてありがとう。……ただ……」
「ただ……?」
「……い、いや、ごめん!千雪ちゃん。ちょっと今日は体調が良くなくってさ、お手伝いは明日に回してもらってもいいかな?」
明らかに不審な挙動を見せる松阪だったが、調子が悪いのならば、と。
「分かりました、お大事にして下さいね」
霧島はそう答えて、教室を出ていく松阪を見送った。
教室の扉を閉めた霧島は、顔を斜めにしながら自分の席に向かい、腰を下ろした。
「……なんだか松阪先輩、具合悪そうだったなぁ。保険委員の仕事の後だったみたいだし、ちょっと無理させちゃったのかも」
「……あぁ、そうかもな」
そんなわけあるか。タカは心の底で唱えていた。
この教室に入ってからずっと太陽のような笑顔を見せていた松阪が、青く光る花の記事を見た瞬間、表情に影を降ろしたのだ。もしかしたら、自分達が欲していた青く光る花についての情報を何か持っているのかもしれない。
ただ、その事を霧島に伝えてしまってもいいのだろうか――と、タカは悩んでいた。
今伝えてしまえば、霧島に連れられて松阪の所へと向かう事になるだろう。
ただ、タカ本人からすればそれは面倒事の一つでしかない。彼はあくまでも新聞部の影として存在したいだけであって、新聞部の活動に巻き込まれたくはないのだ。
タカ個人の所感としては、この記事はあくまでも青く光る花が
タカが青い花の情報を求めているのは、あくまでも自分の知的好奇心を満たしたいが為であって、新聞部のためでは無いのだ。
結果、タカが霧島に対し何も言わなかった事により、本日の新聞部活動は霧島がひたすらペンを走らせるだけで終了する事となった。
「それじゃ、タカ君……いつも通り、お願いねぇ」
声に生気が籠っていない程度にくたくたになった霧島からの指示を聞いて、タカは小さく頷く。タカは読んでいた本を畳み、教室の机と椅子の位置を整理して、電気をぱちり、と消す。そして先生へと鍵を届け、普段通りのローテーションを済ませた。
帰り道、タカは携帯に残していた青く光る花の写真を眺めながら道を歩いていた。
正面から歩いてくる人を右へ左へ避けながら、おぼつかない足取りで家へと向かう。
(あれだけ目立つ花にも関わらず、何か情報を持っていそうなのは松阪先輩だけか……)
少年は心の中でため息を吐きながら、ポケットの中に携帯を突っ込む。
その直後、目の前から歩いてきた一人の少女が目に入った為、タカは身体を左側にずらして、少女が通る道を作る。
「――え?」
少女が隣を通り過ぎた瞬間、少年は自分の視界に入った『異常物体』にその目を惹かれた。
つい先刻まで自分が見つめていた、青く光る花。
その花で編みこまれた不気味な花冠を、つい先ほど通り過ぎた少女は頭に被っていたのだ。
少年が振り向いた瞬間、少女もまた、少年をそのつぶらな瞳で捉えていた。
その瞬間、少年と少女が立っている場所はコンクリートと電柱が立ち並ぶ狭い歩道から、地平の果てまで青く光る花が咲き乱れる花畑へと移り変わっていた。
「……!」
ひゅっ……とタカの喉から緊張と恐怖と困惑の風切音が漏れる。
今、一体何が起きたのか?この場所は何なのか?この少女は何者なのか?
ありとあらゆる疑問が一瞬の内に少年の脳内を埋め尽くしていく。
「お久しぶり……いえ、この場合は初めまして、でしょうか?お兄様……」
少女は青紫色のグラデーションがかかった長い髪を揺らしながら、少年の方へと体を向ける。タカはその動作にさえ、一歩後ずさる。少女に怯えている、というわけではない。
今自分が見えているもの全てに、少年は怯えているのだ。
「わたくし、名を『セカイ』と申します。以後、お見知りおきを……」
スカートを指先でつまみ、少女は礼儀正しくタカに向けて挨拶をする。
タカは未だに混乱から抜け出す事は出来ていないが、目の前の少女が自分に対し挨拶をしている、という事だけは何となく理解する事が出来た。
「……!……!」
しかし、それに対して答える、又は何らかの抵抗の意思を見せる事さえ、今のタカには出来なかった。まばたきを一つ、この少女の前で行っただけでこんな異空間に身を運ばされたのだ。まともな返答が出来なくて当然だった。
そんなタカの動揺を見た少女、セカイは、タカの胸にふわり、と飛び込んで、男子高校生らしいその大きな背中に手を回した。
「……なっ、なんだ!?何をする!?」
「お兄様がひどく緊張なさっているようですから、少しでも落ち着いて貰おうと思いまして。大丈夫ですわお兄様、わたくしはお兄様の『敵』ではございません」
タカはふと自分の手を見ると、かつてない程に小刻みに震えているのが見えた。
だが、セカイに抱き着かれているとその手の震えも少しずつおさまっていくように見える。
先ほどまで自分の目に見える全てに怯えていたタカだったが、少なくともこの少女に対して怯える必要は無いのだ、と理解し、ひとまず理性を取り戻す事が出来た。
その後、タカは軽く深呼吸を何度か繰り返し。
「セカイ……だったか。その言葉は信じていいんだな?」
落ち着いていい状況なのかどうかは分からないけれど。
タカは言葉を呑み殺しながら、まるでフランス人形のような少女の青い瞳を見て答えた。
「それは良かったですわ」
セカイは落ち着きを取り戻した少年から身を離し、青く光る花が咲き乱れる地面へと腰を下ろす。タカもそれにつられるように地面に腰を下ろしてから、周囲をきょろきょろと見渡す。右を見ても左を見ても無数の花が咲き乱れ、またその花の上には紫色に輝く鱗粉を散らす美しい蝶が空を舞っている。雲一つ無い空に美しく輝く月の姿も相まって、プラネタリウムじみた幻想的な世界をタカは堪能していた。
「さて、お兄様。わたくしが貴方をここに呼んだのは理由があります。決してこの景色を堪能して頂くために呼んだわけではありませんわ」
蝶を眺めていた少年の瞳が、セカイの方へと向けられる。
「理由?どんな理由があるんだ?」
セカイは小さく一呼吸を挟んで、タカに伝えた。
「お兄様から『
少年はごくり、と息を呑む。
「待ってくれ、俺から質問をいくつか挟みたい」
「ええ、構いませんわ」
「吉姫の方はともかく、罪病の花、って何の事を言っているんだ?」
「当然――これらの事ですわ」
少女は両手を大きく開き、小さく天を仰いで見せる。
つまり、罪病の花とは今地面に咲き誇っている、青く光る花達の事を指しているのだ、と。
「お兄様も当然ご存じですわよね?この花達の事を……」
タカは、自分の片手に握りしめられていた携帯のギャラリーの欄から、吉姫の家に咲いていた青く光る花の写真を確認した。その花と地面に咲いている花は、花びらの枚数こそそれぞれ違うもののそれ以外の特徴は完全に一致していると言っていい。
「……あぁ、知ってはいるが……何でこの花について知っているだけで俺は記憶を消されなければならないんだ?」
「それはこの花達が持つ性質によるものですわ。折角ですから……お兄様に、一から説明してあげましょう。どうせ忘れてしまうのですから」
セカイは地面に咲いている罪病の花を一輪摘み、口を開いた。
「この罪病の花と呼ばれる物は、人工的に作る事が不可能な花なのです。ではどういった時にこの花は咲くのか?……この花は、『孤独死を望む者』の周囲に、この美しい花弁を開かせるのです」
「孤独死を望む者……?」
「ええ。わたくしことセカイは、孤独死を望む者ほど愚かな存在は居ないと考えています。何故なら、世界は人と人が手を取り合って回るはずなのに、他人から差し伸べられた手を払い落とすような真似をしているからです」
セカイが持っていた花が、根本から段々と紫から黒に変化していき、段々と花弁の方も美しい青から真っ黒な闇に侵食されていく。
「つまりは。孤独を求める者はこの世界には不要なのです。貴方が先日プリントを届けた吉姫さん、でしたか。彼女もまた、この世界にとって不要なものです。だから――」
「――罪病の花の力を使って、消すのです」
「……!」
花びらまで完全に黒く染まった花は、やがて僅かな風に吹かれて、さらさらと灰のようになって飛んでいく。それと同時に、タカの背筋には冷たい汗がすーっ……と流れていった。
「この罪病の花自体に、『咲かせた者の記憶を周囲の人物から削除する』という効力はあるのですが、どうも咲かせた者との繋がりをある程度持っている者にはあまり効力が出ないようでしてね。だからこうやってわたくしが消える寸前の人間に関わっていた者の記憶を消して歩き回っている、という事なのです」
「……つまり、俺から吉姫の記憶を消すことで、最初から吉姫なんて人間は居なかったという事にしようって話か……?」
「物分りが良くて助かりますね。罪病の花は、一度咲かせてしまえば宿主の生命力を奪って美しい花を咲かせ続けますから、いずれ吉姫さんは消えていく事でしょう。それまでに、吉姫さんについての記憶を持つ者を消して回れば、この世界から彼女は完全に消えた事になります」
タカは一通り話を聞いて、このセカイと言う少女の人間性について理解した。
この少女の思想は、とても危険なものだ。
自分にとって不要だと判断したものは躊躇無く切り捨てるといったような発言に加えて、他人の記憶を容易く弄る事が出来るとも言いたげな発言の数々。
果たして彼女の発言が本当に可能か不可能か、正しいのか否かは判断出来ないが、彼女の手によって吉姫という存在がこの世界から無かった事にされてしまうという可能性が存在するだけで、少年の背筋に悪寒が走るには十分すぎた。
そして、彼女は何より『孤独』というものを嫌っているようにも思えた。
もしかしたら、次に消されてしまうのはタカの可能性だって当然ありうる。
なにせ、タカ少年は、他の人間と関わる事を拒否して孤独として生きてきたのだから。
「さて、説明を終えた所で。早速お兄様の記憶から吉姫さんの記憶を消し去って見せましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
自分の方に伸びてきた少女の手を振り払うように、タカは自分の両手を振った。
「どうかしましたか?痛みはありませんから怯えるような事は無いはずですが」
例え痛みが無かったとしても、自分の記憶を弄られるなんて恐ろしい事を許容するのはまともな人間なら難しいだろう。
ただそれ以上に、吉姫という名前しか知らない存在に『死』よりも恐ろしい『消滅』の危機が迫っている事に、どこか恐ろしいものを感じていたのだ。
そんな時とっさに彼の口から、今までの彼からなら出るはずの無い言葉が発せられた。
「もしも、もしもだ。俺が、今から吉姫を助け出したいと言ったら……それは可能なのか?」
セカイの目が、一瞬点になった。
「……?貴方、今、これから消える人間を助けたい、と言いましたか?」
タカはこくり、と小さく頷いて見せる。
「貴方、吉姫という人間の友人なのですか?」
「いや、そんな事はない」
「それならば顔見知り、という事ですか?」
「いや、顔すら見たことがない」
「それならば助ける理由なんて無いのでは?」
「……」
その通りだった。タカにとっては他人なんてどうでもいい存在。
そのはずなのに、今、見知らぬ誰かの為に手を差し伸べようとしている。
それは、自分が孤独のままならば彼女と同じように消されてしまう、という恐怖から逃れるためなのか、それとも別の正義感のようなものが彼を突き動かしているのか。
それは今の時点でははっきりとは分からなかったが、タカの瞳を見たセカイは、ふむ、と小さく声を漏らして。
「……まぁ、もし罪病の花から吉姫さんを救いたいのであれば、彼女を孤独から解放してあげれば良いでしょう。孤独死を望むから花を咲かせるのですから」
セカイはタカに背中を向けて、指をぱちり、と闇夜に響くように鳴らす。
すると、タカとセカイが立っている場所が、二人が出会ったコンクリートの地面へと変化した。
「ただ、勘違いなさらぬように忠告しておきますが、お兄様がこれから救おうとする人物は、この世界に存在する必要の無い人間です。そして、その人間を助けた所でお兄様はヒーローのように感謝される事も無ければ、英雄として称えられる事も無いでしょう。それでも良いのならば、どうぞご勝手に――」
セカイはその言葉を最後に、タカの目の前から姿を消した。
タカは、自分がセカイに向けて放った言葉に対し、自分で疑問を持っていた。
『どうして自分は素性も知らぬ吉姫という人間を助けようとしていたのか?』
自分は他の人間と関わるのを嫌っていたはずなのに、どうして顔も知らぬ人間なんかに助け舟を出そうとしているのか。
少年は本日をもって初めて、自分という人間が分からなくなってしまったのだ。
「ああっ……くそ!」
タカは自分の頭をかきむしった。そして家の方向へと向かって全速力で駆け出し始めるが、直ぐに呼吸が荒くなり、汗も額からとめどなく溢れていく。
「俺は一体……なんで吉姫なんかを助けようとしていたんだ……!」
ぽつりと呟いた少年の言葉は、静かな夜の海に飲み込まれて消えていったのだった。
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