私は空を飛んでいた。


 スーッと滑らかに。

 すぐ近くには寝間着姿の私が並走して飛んでいた。



『しかし本当に良かったのですか?』


「何が?」


『それはもちろん魔法少女になる事ですよ。即答だったじゃないですか』


 まあ、悪魔が戸惑うのも無理はない。

 私は何よりも誰よりも魔法少女に憧れていたから。

 

『契約内容をちゃんと把握されているのかいささか不安です』


「大丈夫だよ。それよりも私にとってはあなたの存在の方が不安なんだけど、悪魔って悪いやつなんじゃないの?」


『それに関しては安心してください。私は悪魔でも比較的良い方の悪魔ですから』


「いや、その言い方だと全然安心できないんだけど。それに絶対的じゃなくて相対的なんだね」


『いえいえ、むしろこの世界に絶対的な価値観と言うものは存在しませんので、軽々しく絶対を口にする者の方が信用できないと思いますよ?』


「そういうものかなぁ……。あとさ、今私の体乗っ取ってるけど、それどうなってるの?」


『乗っ取りですか? 結構簡単ですよ? 魂がはみ出しかかってる体にこう……ぐっと自分の魂を押し込む感じで入ればポロンと飛び出ます』


「私の魂ポロンと出ちゃったんだ……」


『そんな事よりも、これから何をすべきかちゃんと理解されていますか?』


「怪物をやっつければいいんでしょ?」


『まあ、そうです。ほら、着きましたよ』



 自称良心的悪魔の指さす方向にはまるで仁王像みたいなサイズのごつごつした何かがいた。


 ここは池袋駅前の交差点。

 その真ん中に構えて機関車のように口から蒸気を吐いている。


「ザ・怪物て感じだね。私としてはもうちょっとポップな方が好みなんだけど」


『すいません。そういったご要望には対応しかねます』


「まあ、いいけどね」


『はい、じゃあ、行きましょうか』


「え⁉ 待ってよ! まだ戦い方とか教えてもらってないんだけど⁉」


『大丈夫です。怪物のランクは危険度によりDからSSSまでの7段階に分かれますが、あれはCですから、まあチュートリだと思って気楽にいきましょう。あ、くれぐれもあのことには気をつけてくださいね?』


「はーい。わかってまーす」


 注意事項として教えられている事。

 その一、死んだら肉体は残るが魂は消滅する。

 その二、一般人に攻撃を当ててはいけない。


 魂だけの私が存在しているこの世界は精神世界ビハインドワールドというらしいが、見た目は昼間でも常に薄暗いくらいで現実世界とほとんど変わらない。

 普通に人も歩いているし、車も走っている。


 精神世界での攻撃は通常は現実世界の人間に影響は無いのだが、霊感の強い人には精神汚染を引き起こし最悪死に至る事があるらしい。


 これは同時に怪物を放置してはいけない理由でもある。


 怪物が人を攻撃した場合、その人が現実世界で死亡する可能性があるからだ。


 その確率を自称良心的悪魔に尋ねると、『50対50フィフティ・フィフティです』と答えた。


 何だかフワッとしているが1%でも死ぬリスクがある時点で放っておくことはできない。

 私の中の魔法少女の血がそう騒ぐのだ。


『それではまず、戦闘服をイメージしてください』


「戦闘服って……。まあ、いいや」


 これは簡単だった。

 授業中にノートによく落書きしてたし、色彩だって完璧。

 魔法少女モノの主人公といえばピンク。

 ポップ長のかわいいフリフリスカートに胸元にはひし形のルビーをはめ込んだブローチ。

 最後にグリフィンのような大きな白い翼を生やしたら完成。


『まさか、ポーズまで決めてくるとは……。恐ろしいくらいの完成度ですね。ともかくこれで標準兵装はばっちりです』


「標準兵装?」

 

 ――なんか専門用語テクニカルタームがいちいち可愛くないなぁ。


『はい。一回の戦闘で使用できるエネルギーの上限は決まっていまして、そのだいたい10%を使用して形成されるのが標準兵装です。標準兵装ではパワーと防御力がエネルギーに応じて強化されていて、やろうと思えば素手で殴り殺す事もできます』


「へ……へえー、そうなんだ」


『さらに標準兵装に加え、特殊兵装――まあ、簡単に言えば必殺技ですね』


「必殺技⁉ どうやるの? ねえ、どうやるの?」


『予想通りの食いつきっぷりですね。まあ、それは戦いの中で教えます。もっと重要な事があるので』


「重要な事?」


『はい。それが最後の兵装。緊急兵装です。もし、全エネルギーを使い果たしてしまった場合、エリーさんは色んな意味で丸裸になります』


「え⁉ そんなの聞いてないよ⁉」


『ご安心ください。そのための保険が緊急兵装です。あらかじめ全エネルギーから10%を貯金しておいて緊急時に展開し、戦線離脱までの時間を稼ぎます。まあ、バリアみたいなものたと思って下さい』


「ほんとに保険みたいだね。まあ、とりあえず安心したよ」


『はい。じゃあ物は試しというわけでさっそく』


「わかった。まあ、とにかくやってみる!」


 地上にフワッと降り立ち、顔を上げ獲物を捉える。

 近くで見るとザラザラした肌の質感とか、赤く光る眼が不気味だ。


 ――正直言って怖い。


 だけどそれ以上に感じる。全身の細胞が脈打つようにみなぎるパワーを。


 ――嗚呼、早く解き放ってみたい!



 スクランブル交差点の信号機が黄色から赤へ。

 そして車の動きが完全に止まった。


 ――今だ!


 私は地面を蹴った。

 一度だけ軽く蹴っただけなのに、弾丸みたいにターゲットに向かって直線的に進む。


 間合いに入ったからか怪物が接近を察知して拳を振り上げる。

 このまま行くとまともに喰らう。

 だからもう一度地面を蹴って、速度そのままほとんど直角に避けて躱す。


 そのまま背後に回ってキュッと急停止。


 目標を見失った怪物をよそに感慨に浸る。

 空中を自在に飛べるのだからこういう動きができるのは考えてみれば当たり前だ。


 ――そうだ! もっと三次元的な動きをしてみよう!


 指をパチンと鳴らして注意を引いて、巨体の突撃をバックステップからの右斜め上方への跳躍という変則的な動きで回避。そのまま点と点を結ぶように空中を移動して再度背後をとった。


 ――楽しい! スピードは明らかに私の方が上。力比べならどうだろう?


 今度は口笛を吹き鳴らして敵視をとった。


 右手を後方に引く動作。そこから唸り声をあげながら弧を描くようなフック。

 巨大な岩が目の前に迫っているような迫力。


 何十倍も質量の差がありそうなその怪腕に、私は自分の左腕を捧げた――




 腕がもげた。



 怪物の腕が、だ。



 手首のとこから先がきれいさっぱり消し飛んだ。まるでプリンを掬ったようにあっけなく。


 割と太めの動脈を傷つけたのだろう。桃色の鮮血が凄い勢いで吹き出し放物線を描く。


 ――良かった。


 私は血が苦手だから心配してたけど、全然そんな事なかった。

 まるで手持ち花火みたいな感じで蛍光ピンクの何かが吹き出していて綺麗だとさえ思える。


 怪物にも痛覚があるようで激しく悍ましい叫び声を上げ、欲を言えばそれが不快だった。


「ねえ! 悪魔さん! ちょっとこっちに来てよ!」


 歩道から見守っていた彼は私の呼びかけに応じてトコトコと近寄ってくる。


「なんか既に致命傷っぽいんだけど」


『エリーさんの魔法少女としての才能はどうやら私の見込み以上だったみたいですね』


「え? 本当? 私才能あるんだ! 嬉しい!」


『より詳しく言いますと、魔法少女が使用できるエネルギーは対峙した怪物の強さに比例していて、さらにそこへ魔法少女自身の基本ステータスを掛け合わせたものが魔法少女が戦闘で発揮できる強さになるんです』


「へー、なんかゲームみたい。あ、そうだ。カッコよくトドメを刺したいんだけど」


『ああ、特殊兵装の事ですか。やり方は簡単。まず消費するエネルギーのパーセンテージ、それから技名を言ってイメージをぶっ放せばいいんです』


「なんか適当だなぁ」


『詳しく話してる時間が無いんですよ』


「どうして?」


『ここって、交差点のド真ん中で今信号機青になってますから』


「え?」


『あー、つまり現実世界の人にはパジャマを着た女子中学生が交差点のド真ん中に突っ立ってる様に見えてるという事です』

 

「それを早く言っ――」


 突然爆発じみた轟音がして地面が揺れた。

 さっきまで彼が立っていた所に怪物の鉄槌が振り下ろされたのだ。


 ――あ……そんな。私の体……死んだの?


『大丈夫、生きてますよ』


 怪物の腕をすり抜けるようにして彼が現れた。


『悪魔ともなれば精神世界での存在を限りなくゼロにすることも思いのままなので』


「なんだ良かった。びっくりしたよ」


『今は落ち着いている場合じゃないですよ? さ、トドメを』


「だね!」


 ――えーと、まずは一般人に攻撃が当たらないように、ていッ!



 ほとんど予備動作なしで怪物の腕を上方に蹴り上げると、体ごとビルの屋上くらいの高さまで跳ね上がった。


 ――そして次は決めポーズのピースサインも忘れずに。


「エネルギー40%を込めてっ! シューティングスター・レクイエム‼」


『ちょ! それはやりすぎ――』


「え? わあ!」


 それは驚きとともに感動を込めた「わあ」だった。


 私の視界は幾千もの光の筋で満たされた。

 目まぐるしく打ち出された星屑達が鈍色の空に舞い上がり、ターゲットを打ちぬく――というよりも光に包んで浄化していくような。


 禍々しい怪物を塵も残さず消し去って、残ったのは瞬くような光の残滓だけだった。



『もう。オーバーキルボーナスなんてないのにやり過ぎですよ。ほんと指向性の強い攻撃でよかった。事と次第によっては辺り一帯が焦土になっていたところですよ?』


「大丈夫。ちゃんとその変も考えてたから」


『まあ、とにかくチュートリアルお疲れさまでした。また都合が合った時に働いてくれると嬉しいです』


「そんなバイトのシフトみたいに……。なんか雰囲気ぶち壊しなんだけど」


『それは失礼しました。あと、基本的には夜間でのバトルが主になるので体を壊さない程度でお願いします』


「だからそういう気づかいがなんかリアルって言うか……まあ、心配してくれるのは嬉しいけど」


 と俯いてため息をついて顔をあげると眩しい世界が広がっていた。

 そう、世界はまだ早朝。


 えらくシームレスに現実世界に戻ってきたものだ。


 結構激しい戦闘をしたはずなのに、道路のアスファルトは一様に滑らか。

 私が世界の平穏を守ったんだなとしみじみと実感する。


 反省があるとすればたった一つ。



 ――今度は着替えてから来よう。

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