第15話






 駅前の大通りにある喫茶店にて。


「柚、それはやりすぎだよ」


 向かいに座る春日が眉をひそめる。

 側の窓ガラスから、同じ制服の生徒が何人も通りすぎた。


 下校時刻だから当然か。

 ぼんやり景色を眺めながら、柚月はスプーンをくわえた。


「うん……私も反省してる」


 口の中で冷たいバニラアイスクリームがさらさらと溶けていくが、心が晴れることはなかった。

 目の前には、金魚鉢に盛られたフルーツやアイスクリームに、生クリームとチョコレートソースなどが山ほどかけられた魅惑のスイーツがある。こんな至福の瞬間を、自らの手で台無しにしてしまうとは。


 悪いことは重なるものらしい。

 柚月は、むっと唇を尖らせる。

 ナンパされた親友を助けるため、暴走族六人と対峙したのは昨日。

 以前、幼馴染みに誘われた喫茶店にて、世間話のつもりが反省会になってしまった。


 とはいえ、こんな内容を他の人間には喋れない。

 当事者の栞と莉子は、さらなる心労を与えることになる。第三者となれば大抵、極端に心配されるか、頭ごなしに怒られるかのどちらかだ。春日のように、軽く釘を刺してくるくらいがありがたかった。


 柚月だって、見かけた不良たちを片っ端から退治するのが得策だとは考えていない。今、自分に必要なのは別の手段を講じることだと思う。


「……仕返し、してくると思う?」


「十中八九、考えてる。あいつらは、自分たちのルールで面子とか重んじるから」

「めんどくさ」

「けど、そこから先はヤツらの知能レベルによるね」


 真剣な面持ちで幼馴染みがつけ足してくる。

 なげやりにアイスクリームと底のフレークを混ぜながら、柚月は眉間に皺を寄せた。


「……どういうこと?」

「柚たちを特定できる情報網を持ってるかってことだよ。名前とか通ってる高校がわかれば、しらみ潰しに探すだろ。きっと」

「なるほど」


 器の上部に並べられたイチゴを放り込む。口にした瞬間、先にメロンにするべきだったかと後悔する。


 要するに、仕返しをするために自分や栞たちの身元を調査するはず。ただのバカの集まりならそこで頓挫するが、高校を頼りに探し当てる可能性も十分にありえるということだ。


 柚月の表情は、ますます険しくなった。

 甘さを引き立てるイチゴの酸味も、ささくれた気持ちを慰めてくれなかった。


 これから本格的に漣の呼び出しもあるだろう。今現在、ヤツとの距離は微妙な間隔である。


 考えなければならないことが山ほどあって、いろいろな意味で気が重い。


「で? 名前を呼び合うなんてヘマしなかっただろうね」


 頼んだコーヒー片手に春日が訊ねてくる。その表情は少し意地が悪い。柚月の今の状況を、少し面白がっているようだった。どう思われても仕方ないといった心地で答える。


「私は気をつけてたけど、栞がね。聞き取れなかったことを祈るしかないわ。あと、昨日は私服だったし……」

「昨日は?」


 柚月の言葉が意外だったらしく、ぴくりと片方の眉が動いた。

 最近の記憶をさらいつつ、不良たちに身元を特定されそうなものはなかったか、考える。


「その前、カツアゲの時は制服だったかも」

「柚……」

「でもでもでも!」


 幼馴染みの溜め息を慌てて遮った。


「もし身元がバレても私だけでしょ? 栞と莉子は平気よね?」

「希望的観測って言うんだよ。そういうのは」


 がっくりと肩を落とした幼馴染みだが、すぐに考えを切り替えた。柚月と長い付き合いのせいか、過去にこだわっている暇はないと悟ったのだろう。


「とにかく用心するに越したことない。柚も友達ふたりもなるべくひとりにならないことだね」

「……ですよねぇ」


 良案は浮かばない曖昧な返事に、幼馴染みはフッと笑うとカップに口をつけた。

 状況的には、アイドルのプライベートといったところか。ただコーヒーを飲んでいるだけなのに、相手が春日だと優雅なシーンに見えた。とても絵になるなぁと思いつつ、柚月は尋ねる。


「ねぇ、春日」

「ん? なに」

「そろそろ、ここに来た理由を教えてくれない?」


 頭を悩ませる案件はいくつもあるが、新たな懸念が浮上してきた。

 そのせいか、金魚鉢パフェの攻略がいまいち進まない。決して、食べきれないというわけではないのだが。


「柚は、こういうところ嫌い?」

「そうじゃないけど……」


 嫌いではないが、もごもごと口ごもってしまう。はっきり言い切れないのは、周りの視線のせいだった。

 英国風のおしゃれな店内は、ゆったりとした音楽が流れている。ただしそれとは別に、刺し殺されそうな鋭い視線を柚月は身体中に感じていた。


(……早まったことしちゃったなー)


 もう少し考えてから返事をすればよかった。

 向かいに座る春日は、何せ有名人だ。その証拠に同じ学校の女生徒は、どんな会話をしているのか聞き耳を立てているし、他校の女子高生も何度も春日を盗み見ている。

 さらに店の外れを陣取る女子大生ふたりは、こちらの様子をつぶさに観察していた。一緒にいる柚月には、「とっとと出てけや」という視線を投げかけてくる。彼女たちは自分を追い払って、逆ナンをする気満々のようだ。


 そこまでわかっていても、柚月は席を立てない。

 幼馴染みに逃げ帰ると悟らせない、もっともらしい理由を思いつかないし、目の前には楽しみにしていた金魚鉢パフェがあるのだ。針のむしろくらいで、諦めるのは惜しいデザートだった。彼女たちの視線は、なるべく意識しないようにする。


「こういうところって、彼女と来るもんじゃないの?」

「う〜ん。そうだね。どうやら気付いてもらえなかったみたいだ」


 他人事のように呟く感想に、柚月はきょとんとした。


「どういうこと?」

「そのまんまの意味だよ。勇気を出して誘ってみたけど、彼女には通じてなかったってことさ」


 肩をすくめて話す内容は、反省のようにも思える。柚月は、春日の発言とこの店に連れて来られた理由と結びつけてみた。


「すると、これはその相談料ってこと?」

「そう思ってもいいよ」


 臆面もなく返す幼馴染みは、優しい微笑みを浮かべる。いつの間に、そんな表情を覚えたのか。

 小さな頃から幼馴染みとして付き合ってなかったら、柚月でさえドキドキするような爽やか笑みだった。

 当然、高校に入ってからは星の数ほど告白されたらしいけれど、「本命がいるから、悪いね」と皆、一様に断っている。噂では、フラレた女生徒たちが本命を探し出そうと、春日の行動を監視しているらしい。そのひたむきな情熱は、ファンクラブに変化しつつあるのだとか。

 何にせよ、柚月にとっては気の置けない男友達である。いつも助けてもらっているだけに、頼られた今、相談料のデザートがなくたって是非とも力になりたい。とりあえず、どんな人物なのか訊いてみる。


「春日のアタックに気付かないんだ。あんた、もしかしてものすごい面食い?」


 春日のように山ほど告白慣れた美人なのかと尋ねれば、幼馴染みは苦笑した。


「さぁ……オレはその娘が一番可愛いいと思ったから、好きになったんだ。他の人がどう思うかなんて関係ないね」

「あら。ごちそうさま」


 無関係な柚月まで照れる惚気だ。その一方で、羨ましく感じる。

 春日が見た目だけの異性を好きになるとは思えない。きっと、性格もいいに決まっている。少し寂しいけど、そろそろ本気で幼馴染み離れをしないと。


 冗談混じりにそんなことを考えれば、春日が困ったように笑う。


「おまけにその娘、大物っぽいんだ。直球で攻めても、惚気を聞かされてるって勘違いしてて」

「へえぇぇ。ますます興味深いわ」


 柚月が感嘆の声を洩らす。

 それは、とんでもない大物だ。春日のストレートなアタックも通じないとは。さらに詳しく話を訊こうと身を乗り出した瞬間、耳鳴りがする。


《霊圧探知 対象【蒼龍】》


(なぬッ!?)


 聞き覚えのある声に、スプーンを持つ手が止まる。


《対象捕捉 空間転移 発動》


 カッ!

 真っ白に閉ざされる視界。

 とっさに、金魚鉢の器を抱えてスプーンを握る。




 ドタッ!


「はぅッ!!」


 背中から鈍い衝撃が走る。一瞬だけ息を詰まらせ、痛みをごまかすためにゴロゴロとのたうち回る。


「ようこそ。次元の狭間を渡る【彷徨者】よ……って、なんだ。その愉快な動きは」


 頭上を見ると、呆れたような表情の漣と目が合った。

 今日は、彼の眼前に仰向けで倒れ込んだらしい。中身を零さぬよう金魚鉢を抱えたため、丸めた背中を思いきり打ったのだ。

 生クリームを口に含んだまま、盛大に怒りをぶつけた。


「いきなり、なにひゅんのよ!」


「まずは食うか喋るか怒るか、どれかにしてくれ。はしたない」


 口元を袖で隠した漣は、顔をそむける。


 あ、いつも通りっぽい。

 ほっとしたような、残念なような。






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