第16話






 漣の用件は、今後の予定を伝えるためだった。


「苑依姫の【星詠み】によると都の四ヶ所に微弱な【氣】の乱れを感じるとおっしゃっていたんだな?」


 いつものように散らかりまくりの局に通され、淡々とした口調で語りかけてくる声。

 その態度に複雑な気分を抱いた柚月は、黙って拝聴することにした。どさくさで持ってきたパフェを堪能しながら。一応、漣に「一緒に食べない?」と誘ってみたものの、あっさりと断られた。


「数日前、偶然にも都の四ヶ所に謎の巨石が現れた。いただいた地図によると場所は一致している」


 苑依から事情聴取した際、燐姫の情報の他にも気になる点を教わっていた。なお、詳細な場所は料紙に記して渡してくれた。帰り道、漣が眺めていたのはそれである。


「優先すべきは、その正体究明だ。必要があれば君に破壊してもらう」


 どこからともなく白夜がやって来て、柚月の膝の上に乗ってきた。

 その姿は、さも当然とばかり。大きくのびをしたり、後ろ足で身体を掻いたりする。可愛いので好きにさせておく。

 漣も特に反応を示さないので、咎められたりはしないだろう。


「それから、昨夜【御門みかど】から文が届いた。邸内で、不審人物が目撃されているらしい」


 せっせとパフェを片付けながら、柚月は確認してみた。


「……じゃあ、当分の予定は石の調査ついでに、ご当主さまの警護をするってこと?」


「あいつを警護する術者は掃いて捨てるほどいるから、本来なら君のする仕事じゃない。けど彼らだけの警護では不十分だと判断した時、不審人物の捕縛という方針で力を貸してもらう」


 何だか、妙に気の進まない仕事らしい。

 スプーンをくわえたまま、柚月はぼんやりと考える。


 この郷の政治を担う当主が狙われているなら一大事だろうに。

 自分の世界でいえば、天皇か総理大臣あたりか。決して、漣のように「ぶっちゃけ面倒くさい」なんて態度にはならないはず。


(ん? 元の世界?)


 そこで、ある疑問を思い出した。


「漣」


 柚月が名前を呼ぶと、視線だけを上げてくる。


「あのさ……」

「なに」


 はっきりしない物言いに、漣が訊ねてくる。

 急かしているつもりはないと知っているので、柚月も慎重に言葉を選び出した。


「私の力って……元の世界でも出るものなの?」


 問われた漣は、無言で片方の眉を器用につり上げた。


「心当たりでもあるのか?」

「んー……」


 あるにはあるが、どう話せばいいのやら。

 昨日の不良たちの一件を初めから説明するのは骨が折れる。コンクリートの柱にひびを入れたことだけ告げても「前後の流れがわからない」とか言われる可能性だってある。

 柚月が素早く要点をまとめようとするより先に、漣が答えてしまう。


「何をどう考えているか知らないけど、僕は君を召喚する時に少しだけ君の霊力をいじっている。そのまんまの【力】で戦われて、都を壊滅状態にされちゃ困るから」

「ちょっと。それ、どういう意味?」


 柚月は眉をひそめ、身を乗り出す。

 スカートの上にいる白夜は、すでに丸まって寝ようとしていた。


「逆説的には、君の能力や身体を故意に操作している部分は他にないし、できない」

「……それ、本当でしょうね?」


 疑り深く念を押してみると、漣が理由を説明してくる。


「すでに存在する生命の基本構造や能力値を大幅に操作するってことは、運命をねじ曲げるより難しい。ある意味、時間や空間に干渉する方が簡単なんだ。仮にできるもんなら、その薄っぺらい君の胸をどうにかしてるよ」


「ッ!?」


 突然のセクハラ発言に柚月は金魚鉢を胸に抱える。今さら遅いが、図星を突かれた場所を隠すためだ。


 いつそんなことを考えてたんだ、ドスケベ召喚士め。

 ぶるぶると怒りに震えるが、ここで抗議したら「自意識過剰」とか言われるかもしれない。普段の「不細工」やら「怪力」などの暴言なら負ける気がしないが、この手の話題は途端に弱くなる柚月だった。

 それでも屈するつもりはない。あからさまに不服だというように唇を尖らせると、漣は俯いてしまう。


「…………ぷっ」


 口元を押さえ、肩を震わせている。続けて、声にならない息づかいが聞こえてきた。


 もしかして、笑ってる?


「小さな子供みたいだな。ついているぞ」


 指先で顎をつつく、漣の表情は笑顔だった。

 それも、とびきり爽やかだった。彼はよく笑うが、人を小馬鹿にするような意地の悪い嘲る種類が多い。こんな風に純粋に楽しそうな表情を見るのは初めてだ。


 柚月は戸惑って、はたと気付く。


「えッ、どこ?」


 きょろきょろと鏡を探す。

 ヤツに笑われているのは、自分なのだ。口元にクリームか何かがついたに違いない。

 見かねたらしい漣が立ちあがって、目の前まで歩み寄る。


「違う。こっちだ」


 いつもとは違う優しげな表情で、指を唇に触れてきた。あまりにも躊躇わずに触れてきたので、柚月は驚きも抵抗も忘れてしまう。

 さっと拭って見せてきた指には、チョコレートソースがついていた。柚月が何を思うより先に、意外な指示を出される。


「とってくれ」

「私が?」


 まるで近くにある品物を取れと言うような口調だった。頼まれた方は目を丸くするしかない。


「すぐすむだろ? 僕が舐めて落としたら、君は嫌がるだろうし」


 そう言って指を舐めとる仕草に、柚月はどきっとする。

 指摘通り、そのまま漣に指を舐められるのは抵抗があった。不快というより、されたら困る。なんとなく気まずい雰囲気になりそうだ。

 なのに、東雲は当たり前のように指を近付けてくる。

 柚月は自らの食い意地を嘆いた。何故、召喚される時にパフェを掴んでしまったのか。ハンカチもポケットティッシュもスクールバックの中だ。


 仕方ない。

 これ以上、迷っていると変に思われる。


 柚月は、おもむろに漣の手をとった。

 チョコレートのついた指先に口をつける。


 その瞬間、


(ん?)


 カッと頬が熱くなり、心臓は激しく飛び跳ねた。

 今さらになって、自分のしていることがとても恥ずかしく思えてきたのだ。そこで、すぐに止めてしまえばよかったものを。


 どうしようもない自尊心が先立つ。

 急に止めれば、漣が何を言ってくるかわかったものではない。当たり障りなくスマートに終わらせてしまえ。

 そう狂気じみた本能が告げてくる。


 わずかに身動ぎする東雲の手首を掴み、舌を這わせて舐めとる。最後に軽く指に吸いつき、ゆっくりと唇を離した。


 時間としては数秒だったろう。けれど、柚月にはとても長く感じられた。

 いまだに心臓がどくどくと脈打つ。


「…………大胆だな」


 珍しく、しげしげといった表情で漣が指先と交互に見つめてくる。


「なにが」


 意識していると認めるのは癪なので、再びパフェを片付けるのに専念する。

 この頃には何故か顔から火が出るほど恥ずかしかったが、無理矢理にごまかした。いや、思い込もうとした。


 動揺していることを、眼前にいるこの男にだけは知られたくない。

 だが、現実は無情なものだ。


「君は猫か。僕は、後ろの手巾をとってくれと言ったんだが」


「ッ!?」


 呆れた声音の漣が指で背後をさす。

 後ろを振り向けば、几帳の側にある火桶の上に白い布が置かれていた。


 視線を固定したまま、柚月は愕然する。これでは完璧な早とちりではないか。

 よくよく思い返してみると主語は聞いてないし、漣からも「舐めとれ」とは要求されていない。彼は本当に手巾をとれと指示していたのだ。

 何で、こんな勘違いをした自分がわからない。


(……でも、あれ?)


 目にとまった白絹の端には、刺繍が施されてある。緋色の桜模様だった。


(どこかで見たような……)


 記憶を手繰る寸前、漣の声で現実に引き戻された。


「意外に侮れないな。山猫娘」


 その言葉で嫌な予感がした。

 視線を戻すと、漣の表情はとても愉悦じみた、いやらしい笑みをしている。


「似た状況の度に、そうやって誰かれ構わずくわえるのか?」


「な……ッ!?」


 さらり吐かれた台詞に、柚月は絶句する。

 言葉の意味は理解できなかったが、卑猥なニュアンスで責められていることは察する。


 漣の外見も手伝い、とんでもなく恥ずかしいことをした気になってくる。初心な少女が勝てるはずもなかった。


「指にまで吸いついてきて……この節操なしめ。一体、誰に習ったんだ? 次は噛みつくのか?」


 何が楽しいのか、漣はねちねちとからかってくる。


 恥ずかしくて悔しくて。

 柚月の頬は熱くて、どうにかなりそうだった。


(こんなこと、誰にもしたことないってばッ!)


 早々、何度もあってたまるか。

 頭ではそう反論するも、声が出てこない。丸くなっていた白夜が何事かと柚月を見つめてくる。こんな状況をあしらえるほどの人生経験はない。


 唇を噛みしめ、じっと恥辱に耐えるしかなかった。


 そこへ、後方からガッと不思議な音が響いてくる。


「あぅッ!!」


 一拍あとには、謎の悲鳴。

 驚いて振り返ると、爪先を押さえた宗真が蹲っている。床板で足先をこすったのだろうか。

 金魚鉢の器を乱雑に床に置いた柚月は慌てて駆け寄る。気が動転していたので、膝に白狐がいたことを忘れていた。立ちあがった瞬間に、ころんと転がり落ちる。


「宗真! 大丈夫!?」

「ゆ、柚月さま……あの、その……えと」


 混乱しているのか、言葉が出てこない。


 そんなに何を動揺しているのか不思議だった。

 転ぶのは毎度のことだろうに。


 とにかく、彼の足を引っ張って傷の有無を確かめる。


「よかった……爪とかは割れてないみたい」


 ほっとしたのも束の間。

 目が合った宗真はひたすら狼狽し、顔を茹で蛸のように真っ赤にしている。とどめには、一輪の花を差し出して俯く。その手は、見事にぶるぶると震えていた。


「ぼく、何も見てません。何も見てませんから……ッ!」


 しどろもどろに言い訳され、頭を殴られたような衝撃を受ける。


(み、見られてた……ッ!?)


 柚月は、あまりの恥ずかしさで死にたくなった。

 側に駆け寄る白夜は抗議するかのように、キーッと高い声で鳴いた。






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