第14話






 どんな時も油断するな。

 敵の攻撃など待つ必要はない。

 常に、必殺の一撃を放て。


 目の前で襲いかかるふたりを水面蹴りの要領で足を払い、転倒させる。すぐに立ちあがると同時に突き出した掌底を、駆けてくる不良の顎に叩き込む。


(まずは、ふたり……!)


 周囲に視線を這わせ、柚月は神経を研ぎ澄ました。


『戦うって決めたら、躊躇っちゃいけないよ。ギリギリまで引きつけて、全力で撃ち込んでやりな』


 幾度となく繰り返された言葉。

 一対大勢の場合、まず頭を潰す。そんなのは、実戦を知らない素人の浅知恵だ。とにかく手近にいる敵から確実に打ちのめせ。どんなに腕に自信があっても多勢に無勢。ターゲットひとりを無傷で倒せる確率は低い。ただでさえ数で劣っている状況では、些細な怪我も消耗も命取りになる。


 利用できるもの全て利用して勝機を掴め。

 最初の攻撃をし損じても、決して諦めるな。

 冷静に相手の力量を見極めろ。

 無敵の人間なんか、いやしない。

 必ず弱点はある。


 柚月は、そう師匠に教わった。

 問題は身体能力が常人レベルであるということ。【月鎮郷】での怪力は使えない。


「この女……ッ!」


 残りのふたりが、左右同時に仕掛けてくる。


 柚月は、迷うことなく距離を詰めた。

 てっきり逃げると思い込んでいた不良たちは、自分たちの中央に立つ彼女への攻撃を躊躇う。


 ゴッ!

 彼らの腹部と顔面に、膝蹴りと裏拳を叩き込む。


「クソッ!」

「なめやがって……ッ!」


 最初に転がしたふたりが起きあがってきた。

 柚月の動きは止まらない。振り返り様、膝をついたままの男に回し蹴りをする。こめかみを打たれ再び倒れる前に、残りのひとりが攻撃してきた。一発、二発と柚月に殴りかかるが、一歩ずつ後ろへ下がるだけで全て避けてしまう。そうするうちに、死角から顎へ拳を叩き込んでやる。ゆっくりと倒れる敵を確認しつつも、柚月は周囲に意識を集中する。


(あと、ひとり……ッ!?)


 残るリーダーの姿を探す瞬間、眼前に見知らぬ靴底が割り込んでくる。隙をついて大神が蹴りを入れてきたのだ。


「く……ッ!」


 わずかに身体を捻り、柚月は紙一重でかわす。大神はさらに踏み込み、蹴りで後方へ下がらせた。そんな中でも柚月が体勢を立て直すと、深追いを止めた。


 微妙な距離を保ちつつ、両者、睨み合う。時間にしてほんの数秒ほどだが、柚月は急いで得られた情報を確認する。


 正面に立つ大神は拳を構えながらも、軽いステップを踏んでいる。

 彼の戦闘スタイルは足技中心らしい。拳の打撃を得意とする相手としては、懐に入りにくい敵だった。

 柚月は額に張りついた前髪を軽く払いながら、納得する。


(……なるほど)


 大神が何故、猿山のボスを気取っている理由がわかった。動きや構えから、武道の心得があるようだった。足技を多用してくる点から、空手かキックボクシングの類だと予想される。


 柚月の瞳が硬度を増していく。

 彼女の中で、大神に対する好感度はますます下がった。

 格闘技、もしくはスポーツを一度は志しておきながら、暴走族のリーダーに成り下がるとは。たゆまぬ努力と公平、公正を重んじるスポーツマンとしてあるまじき姿だ。絶対に、その無駄に高い鼻っ柱を折ってやる。


 柚月は唇をきつく引き結ぶと、改めて大神の攻略法を考えはじめた。


(リーチが長い分、間合いに入りづらいけど……やりようはある)


 幸いにも大神は男子高生としては標準的な体格だった。おそらく春日と同じくらいだろう。柚月が見上げるほどの大柄の男なら話は別だが、これくらいの間合いなら攻め手は無限にある。


 むろん、それらは敬愛する師匠直伝の技だ。


「なになに。今頃、怖じ気づいちゃったのか……なッ!?」


 柚月が攻めてこないことを勘違いした大神は、再び蹴りを繰り出す。

 一方の柚月は避けない。わずかに一歩だけ退き、両手で靴底を受け止めた。


「ッ!?」


 さすがに真正面から防ぐとは思わず、大神が驚きに目を見開く。柚月は靴底を掴んだまま、流れるように背後へと捻る。つられて大神が背中を見せた。


「チ、イィィィィッ!」


 舌打ちしながら、大神が足に力を入れて振り切ろうとする。柚月も余計な抵抗をせず、あっさりと手離した。


 それが狙いだった。

 蹴りの短所は、軸足が不安定になりやすい点である。素人の戦法では攻撃力が高いのは蹴りと思われがちだが、正しい型を身につけ、体幹を鍛えていなければ威力は半減する。大神は最初の攻撃をいなされ、柚月の動きに驚いて抵抗したため、かえってバランスを崩してしまう。後ろの柱にしがみつき、振り返るだけの時間を稼げた。


「これで、終わりよッ!」


 柚月の勝利宣言。

 いつもなら、これで終わっていた。


 ただし、それを大神がわずかに首を傾げただけで、避けられる。柱に拳が吸い寄せられるようだった。


(─────しまっ)


 ようやく柚月も気付くが、もう遅い。


 ゴッ!

 鈍い衝撃が響く。

 拳から伝わる感触に、柚月は呼吸を詰まらせる。


「ッ!?」


 ビキッ!

 触れた柱がひび割れた。破片で頬を切った大神が、目を瞠る。

 反射的に引いた拳は無傷だ。痛みもない。


 柚月は、何が起きたのかわからなかった。

 親衛隊のひとりが叫んだ(ちなみに、頭部に包帯を巻いた男だ)ことで、我に返る。


「おまえ、少林寺拳法でも習ってんのかッ!?」

「いや、その……」


 自分でも予想外の力に、柚月はさすがに動揺した。

 鉄筋コンクリートの柱に、ヒビを入れる女子高生。おかげで暴走族の戦意は落ちかけたが、柚月は気が気でない。


(────どういうこと?)


 内心、ひどく狼狽する。

 右の拳に異常はない。

 ここは【月鎮郷】でもないのに、怪力が出せたのか。それにしては、威力が低すぎる。向こうでなら、柱どころか白壁を粉砕するくらいの感覚だった。


 どう考えていいかわからず、柚月が戦意を忘れたかけた時。


「────おいおい。女ひとりに大げさだな」


 喉の奥で笑う声が聞こえた。

 不意に、不良たちが後ろを振り向く。彼らの向こうには、長身の男が立っていた。


 歳は声からして、意外に若く二十代後半だろうか。

 ボサボサの髪に、無精ひげ。ポケットに両手を突っ込んだコートは、ぼろぼろで汚れていた。夕方も近いというのにサングラスをかけいる。隠された表情は、この状況を明らかに楽しんでいた。その怪しげな雰囲気のせいで、変わり者のホームレスとしか思えない。


「それ以上は、見過ごせねぇな。警察に捕まりたくなけりゃ、さっさと消えろ」


 ギャラリーも多くいることだし。

 そう言外に含められ、顎をしゃくる。騒ぎを遠巻きに眺める買い物客に、大神たちも焦りを覚えたようだった。


「……行くぞ」


 頬の血を拭い、言葉少なに仲間に指示すると、あっさりと逃げていった。全員、痛む場所を押さえ、ぞろぞろと歩く無様な退場ではあったが。それを無言で見ていた柚月は、安堵すら忘れた。


 原因は、彼らではない。

『捨てゼリフを吐かないあたりは立派だな』くらいにしか思うところはなかった。それよりも、気になることが別にある。


「気合いの入ったじゃじゃ馬ぶりだな」


 声の主は、助けに入ったホームレスだ。

 不敵に笑いながら、柚月の手をとると布を巻つける。先ほど、柱を撃った拳を隠すように。ハンカチかと思いきや、緋色の桜が刺繍された上等な絹だ。男の外見とは不釣り合いな代物である。


 柚月の中で、警鐘が鳴り響く。

 まだ戦闘態勢を解いてはいけない。そう理性が告げてくる。


「怪我なんかしてないけど」


 そっけなく指摘すれば、男はふっと片笑んだ。


(おまえはそうでも、後ろのお友達は心配する)


 ちらりと横目で柚月の後方に視線を送る。わざと栞に聞こえないように、声をひそめたのだ。その行動が、逆に柚月の警戒心を強めた。


「いっそ清々しいな。その腕っぷし」

「……あんた、誰?」

「尋ねる前に、自分から名乗るのがマナーってもんだろ」

「知らない人に名前を教えちゃ駄目って、お兄ちゃんに言われてるの」

「そりゃ、しっかりした兄貴だな」


 警戒を緩めない柚月に対して、男は笑った。何が、そんなに愉快か不思議なくらいだ。


「けど、そろそろ自分の頭で考えていい年頃だぜ。特に運命の出逢いは待ってちゃ来ないぞ」


 ホームレスのおじさんに、そんなこと言われても。

 どう反応していいかわからず柚月が戸惑っていると、くしゃりと頭を撫でてくる。あまりにも自然すぎて、避ける暇もなかった。


「おてんばもほどほどにしておけ。でなきゃ、厄介な事件に巻き込まれちまう」


 さらに身を寄せて、男は小さな声で囁いてくる。

 柚月が言葉の意味を理解するよりも先に、


「柚ッ!」


 急に視界を塞がれた。

 ドンッと鈍い衝撃が体当たりしてくる。


「柚ッ、よかった〜ッ! 栞は!? 栞は無事なのッ!?」


 犯人は莉子だった。

 抱きつかれた背後には、三人の警備員を連れている。


「柚。助けに来てくれて、ありがとう」


 気付くと背後には栞が立っている。自身も怖い思いをしたろうに、穏やかに親友に笑いかけてくれた。


「莉子が助けを呼んでくれたのね。ありがとう」


 覗き込まれた莉子の瞳に、涙が盛り上がっていく。

 感極まって、またまた栞に抱きついた。わりと涙腺が弱い体質らしい。絶対に、卒業式なんかで号泣するタイプだ。


 そこで、柚月は男の存在を思い出す。


(……いない……)


 去って行った方向を見ると、男の姿は消えていた。人込みに紛れたのだろうが、本当に煙のように空気に溶けたかのようにも思えた。


 ただのホームレスとは考えにくい。


『また会おう。山猫娘』


 去り際に吐かれた言葉。

 信じたわけでは当然ない。ただ小声だというのに、やけに印象的で耳に残った。





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