第12話
柚月には、憧れの人がいた。
人生の師といおうか、ケンカの師匠といおうか。強くて優しくて、何でも知っていて。目指すべき憧れの先にいる人だった。
『自分の好きに生きな。どうせ、それ以外うまくやれやしないんだから』
その師匠が、よく口にしていた言葉。
当時の柚月は幼すぎて意味を理解できなかったが、人が人として生きていく上で、とても大事なことを教わった気がする。
けれど、実際は迷ってばかり。ちっともやりたいようにやれない。
夢に描いた憧れの人には届かず。
柚月は不安だった。今の自分を見たら、師匠はどう思うだろう。
日曜日の午後。
昼食時を過ぎたファミリーレストランは、閑散としている。
「栞ってば、何がいいのさ? 靴とか時計じゃ駄目なの?」
「うーん……あんまり背のびして高価なもの買っても喜ばないと思うから」
柚月は無言でラザニアの皿をつつく。
休日のため、パーカーにカーゴパンツ、スニーカーという動きやすい服装だった。
「じゃあ、ストラップにしとく? お揃いの」
「……今度は、子供っぽすぎない?」
「意外に、ワガママですね。栞サン」
眼前で盛りあがる美少女ふたりを、じっと眺める。
お互い頼んだ昼食もそこそこに、雑誌をテーブルに広げてあれこれ話していた。
「もう、お手上げ。彼氏の誕生日プレゼントなんて……もう一緒に選んじゃえば?」
「でも、一応、喜ぶ顔が見たいのですよ」
「えい、もう爆発しろッ! リア充がッ!」
大声で差別的な言葉を吐き捨てるのは、
言うなり、ダンッとテーブルに拳を叩きつけたので、パエリアの皿とアイスティーのグラスが揺れた。
くせ一本ない長い黒髪に、くっきりとした顔立ち。Gジャンにスカート。ロングブーツが彼女の凛々しさを存分に引き出している。
ただ、ところ構わず「
スプーンをくわえながら、柚月は改めて思う。
(私、かなり離れちゃったなー……)
異世界に召喚され、盗賊たちと戦う代償なのか。
彼女たちのような日常は、遠い存在になった。彼氏が欲しいとか、プレゼントがどうとか。もし漣に呼ばれることがなかったら、彼女たちの輪に入れたかもしれないのに。
感覚が麻痺しているのか、悲しいとすら思わなかった。ウルトラな人として呼び出される現状で、ないものねだりしても仕方ないと割り切る。
柚月が食事を再開すると、不意に視線を感じた。
顔をあげれば、もう一方の美少女が柔らかに微笑んでいる。見たもの全てに安らぎを与えるような優しい表情だった。
「なに。栞」
柚月は、ぶっきらぼうに訊く。
彼女の名前は、
道を歩けばスカウトマンやナンパは当たり前、同じの通学電車を利用する他校生に塾帰りの小学生、迷った外国人などにも声をかけられる。
だが、当の本人はその魅力的な外見を自慢げに振る舞ったりせず、弓道部や図書委員など地道な活動を続けている。
莉子などはしきりにモデルになればいいのにと零すが、全く興味がないようだった。
春日といい、この親友ふたりといい、自分の周りは派手な人間ばかり。 毎回顔を合わせる度、漣に『不細工』と言われても仕方ない気がしてきた。
「柚、最近いいことあったでしょ?」
突然、問われて柚月は一瞬どきりとする。
「別に、何もないけど?」
「嘘」
いとも簡単に、栞には見抜かれてしまう。
中学からの付き合いだからか、彼女にごまかしは通用しない。年上の男性と付き合っていることもあってか、さらに磨きがかかった気がする。
もう冷めかけたパスタをフォークに巻きつけながら、指摘してくる。
「先週まで、すごくイライラしてたよ?」
「うん。カルシウムの不足かと思った」
莉子まで口を揃えて頷く。彼女まで同意見なら、本当に刺々しい態度だったのだろう。
反省の意味を込めて、柚月は渋々と白状する。
「特に、決定的な何かがあったわけじゃないのよ。ただ……」
「ああ、東雲さんのこと?」
栞の何気ない一言に、デザート代わりに頼んだクリームソーダを噴き出しかけた。目をまるくした親友が「あらあら」と、備えつけのナプキンを抜き取る。
ひとり残された莉子が、きょとんとした表情で尋ねてきた。
「男か?」
栞から渡されたナプキンで口元を押さえる。今、このタイミングで漣の話はしたくない。何となく柚月が沈黙していると、栞は意味深な笑顔を浮かべる。
「そう。ボランティアの主任さんなのよねー?」
否定はしなかった。
しかし、異世界の召喚士だとも言えない。可能なかぎり漣にまつわる詳細を削ったら、そういう結論へ落ち着いた。すると、莉子はしげしげといった様子で見つめてくる。
「へぇ、柚がボランティア……何やってんの?」
「えッ」
バカ正直に悪党退治と説明できない。
いろいろ迷った挙げ句、
「そ、掃除……?」
思わず上目遣いの疑問系で答える。
見るからに怪しい態度だったためか、莉子の視線が鋭くなった。
「……美形?」
「そりゃもう、とびっきり。柚が『ムカつくほどのいい男』って言うんだから、きっと素敵な人なのよ」
「栞!」
まるで会ったかのように話す親友(かなり事実は違うが)。
そんな話をすれば、瞳を輝かせた莉子が身を乗り出してくるではないか。
「柚、紹介して!」
「無理」
即座に、すっぱりと拒否した。
何せヤツは、異世界の住人ですもの。
紹介なんかできるわけない。それでも、納得しない莉子は食い下がってくる。
「柚のいけず! けち! 美形は皆で愛でるものなのに、独り占めする気か!?」
おいおい。
我が親友ながら、おっかないことを言うな。
あんな毒を吐く陰陽師など見ているだけでも、胃に穴が開いてしまう(少なくとも柚月は、そうだ)。そんな不毛なやりとりを見かねたのか、栞が助け船を出してくれた。
「なんかねぇ、忙しい人みたいよ。仕事も不定期だし、いつも呼び出しがいきなりだもんねぇ」
「それは、いやだな。忙しい男って」
親友の言葉に、莉子は早々と興味が失せた。
やはり、仕事が忙しくて構ってくれない恋人は遠慮したいらしい。でも、また違う話題の時には「稼げない男はいやだ」とか言うに決まっている。
その点では、親友の好みに漣は合わないだろう。
ヤツは警察みたいな仕事をしていて、人手が足りないといつも愚痴ってる。給料も低いらしく、抱えた使用人を食わせいくのに苦労しているようだった。せっかくの美形でも、交際を躊躇う理由は多々あるだろう。などと、柚月がぼんやり考えていれば、栞の明るい声が割り込んでくる。
「でも、すっごく柚のこと信用してるのよね。どんな時だって柚がいないと仕事ができないって呼び出すんだから」
そりゃ、そうだ。
荒っぽい仕事は柚月に回してくる。
好意的な親友の意見を鼻で笑ってやった。
「あいつはね、私をこき使いたいだけなの。きっと目減りしない便利なヤツとかしか思ってないわよ」
「うわー……いくら美形の上司でも、それはキツイなぁ……」
精一杯、悪態をついてやる。
漣に対しての文句なら、山ほどあるのだ。洗いざらいぶち撒けてストレス解消してやろう。
けど、莉子。
いい加減、美形から離れてくれんかね?
「あの男に信用とか信頼の文字はないの。他の人間を呼ばないのは、また一から説明しなきゃなんないのが面倒とか考えてるんだわ。きっと」
ひらひら手を振って主張しても、栞は困ったように笑うだけだ。
「そんなこと言って……東雲さんのこと話す時の柚って、とっても楽しそうだよ」
「うげー、やめてよ。あいつは、私の天敵なの。人のこと馬鹿にして、仕事ばっかり押しつけてくる冷血漢なんだから」
言い切って、内心では思う。
(まぁ……それだけでも、ないけど)
それは間違いなく、先日の出来事。
漣のプライベートに立ち入ってしまい、気を遣わせたこと。
彼だって未消化な想いがあっただろうに、わざわざ幻術の桜を柚月に見せてくれた。
けれど、あの一件をどう解釈すべきか、いまだに悩んでいる。漣の考えていることなんて、わかるはずもない。訊いたって、答えてくれるかどうか。次に会った時、どんな顔をすればいいのか。
利用されているのに。
一方的な関係なのに。
あの時の漣は、それだけではないような気がした。
親友はスプーンで残り少ないミルクティーをかき回しながら、ぼやく。
もちろん、柚月の心情など知らないはずなのだが。
「そうかな? わたし、東雲さんの見る目はあると思うけど。柚を選んだ時点で」
「柚が? 運動神経以外、見た目も頭もフツーじゃん」
莉子が不思議そうに首を傾げる。
全くもってその通りだが、本人を目の前に言うか。
視線で抗議してみるものの、莉子には通じなかった。
一方の栞は、曖昧に笑うだけで何も答えない。どちらの意見にも、肯定も否定もするつもりがないのだろう。
そこで、柚月はふと気付いた。
選ばれた意味。
そういえば、漣は何故、自分を召喚したのだろう。
理由など考えたこともなかった。大方、扱いやすい人間を適当に呼び出したと思い込んでいたのだ。
「それから、柚も」
名前を呼ばれて顔をあげる。
正面にある大粒の瞳が、柚月をしっかりと捉えていた。
「わかりにくいかもしれないけど、男の人の優しさって目に見えるものばかりじゃないのよ」
目に見えない優しさ。
表現が抽象的すぎて、柚月には理解できなかった。
意味を尋ねようとすれば、隣にの莉子がいきなり立ちあがった。
「あたしは見える方がいいッ!」
胸の前で拳を握り、親友が叫ぶ。店内の人間が注目したが、発言自体には激しく同感だ。
やっぱり、優しさは目に見えるものだろう。
「デートとかご飯とか靴とかバッグとか!」
続けられた具体例には、栞と一緒に溜め息をついておいた。
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