第11話
放課後の教室。
ぼんやりとした表情で、柚月は考える。
(……どういう意味だったのかな、アレ)
T字ホウキで教室のゴミを掃き出す。ほぼ単純作業のような動きだった。周囲の生徒も机を動かしたり、黒板の掃除をしている。
あのあと、柚月はすぐ元の世界へ帰された。
正確には、幻術が消えた頃に宗真が迎えに来てくれたのだ。帰り際に顔を合わせた漣には、特に変わった様子はなかったが。
だからこそ、柚月は悩んでいる。
(……どう解釈すればいいわけ?)
直接、本人に訊くしか晴らせない謎だ。
しかし、その根本的な問題は漣云々ではなく、自分にあると柚月は薄々感じはじめている。
今まで、積もりに積もった彼に対する不満と不信、怒りなどがたくさんあった。それなのに、あのたったひとつの幻術で全てが霧散してしまう。
(……私、単純すぎないか?)
眉間に深く皺を寄せる。
散々こき使われた過去を、こんな形で精算するのか。漣にさらに「扱いやすい女」だと思われてないか。
柚月としては切実な悩みだが、同じ掃除当番の生徒たちは見なかったふりをした。
触らぬ神に祟りなし。
それが現代日本社会共通のルールである。
(最近のイライラがなくなっちゃってる……たった、あれだけのことで)
周囲に一線を引かれていることを気付かない柚月。そこで、ある可能性が頭をよぎった。
(それとも、まさか、私……)
「蒼衣さん!」
嫌な予感が湧いて出てきた時、名前を呼ばれてハッとなる。反射的に、漣のことは頭から追い出した。
声のした方を見れば、長谷川が教室の扉前で手招きをしている。
「蒼衣さん。ちょっと」
「なによ、今度は。ちゃんと掃除してんじゃな……」
ホウキを持ったまま、近寄ったところで言葉が途切れる。目の前には、長身の男が立っていたからだ。
「お互い、こうして会話するのは初めてだな。蒼衣柚月」
声のトーンは、漣よりも抑揚がなくてずっと低い。
黒髪黒目。
涼しげな切れ長の瞳と、微動だにしない整った顔立ちは、抜き身の刀を思わせた。ノンフレームの眼鏡からは鋭い光を放つ。ただ、そこにいるだけで重厚な威圧感を与えてくる。その特徴が、柚月には見覚えがあった。
「あんたは……」
「日下部副委員長には敬語を使ってください。先輩なんですから」
隣に立つ長谷川の言葉で、思い出す。
確か、名前は
顔だけは知っていた。
一年上の先輩で、学年トップの秀才だ。全国模試では常に上位にいて、教師陣が医学部へ送り出そうと躍起になっている。おまけに、凄味のある美形だ。学年を問わず女生徒に「クールで素敵」と人気らしい。
普通、このタイプのインテリは不良たちに実力行使でプライドを粉砕されるのだが。
この男、噂では数々の伝説を残す。
煙草を吸っていた男子生徒たちを注意して、反感を買うどころか禁煙させたとか。非効率な授業をする教師に謎の論理を展開し、辞職に追い込んだとか。朝吹の女子生徒に痴漢をした犯人を見つけ出して、本人の前で土下座をさせたとか。
それゆえなのか、別名【
風紀の副委員長だとは知らなかったが、柚月の友達が美形だと絶賛していた。
さして興味の引かれなかった柚月は、そのことをすっかり忘れていたのだ。副委員長と言われても顔を思い出せなかったのは、そのためである。
「先日は失礼した。用があるなら俺から出向くべきだったな」
そこまで言いかけて、柚月を不思議そうに見下ろした。
「…………今まで、何をしていた?」
「見てわかんない? 掃除してたんだけど」
手にしていたT字ホウキを見せると、わずかにフッと息を洩らした。
どうやら苦笑したらしい。
「報告書通りだな。無遅刻、無欠席。授業態度も生活態度も、いたって真面目。一部の服装違反と問題行動さえなければ、模範生で通るだろうに」
何だ、その報告書って。
柚月が脱力しかけた時、不意に長谷川と目が合った。すぐに顔を逸らしたあたりで、報告書とやらの作成者に察しがつく。
問題児とはいえ、他人を追いかけ回して報告書を作るとは。この学校の風紀委員は、よほど暇人の集まりなのだろう。
「一昨日の夕方、他校生と乱闘騒ぎをしたというのは本当か?」
「……証拠でもあるの?」
溜め息でも出そうな表情の柚月は、ベタなセリフを吐いた。犯行を自供したも同然だが、日下部の調査内容がどれほど信憑性のあるものか確かめる狙いもあった。
すると、副委員長は手品のように黒革の手帳とICレコーダーを掌に出現させる。
「被害者の三人は、裂傷に打撲、全治二週間の怪我だそうだ。彼らの証言も名前も調べてあるし、騒動の発端になった小学生の証言もとってある」
お見事と言うほかない。さすがは、朝吹の閻魔大王。ぐうの音も出ない確実な証拠を揃えていた。
柚月が内心で感心していると、日下部は話を一気に進めてくる。
「言い訳があるなら聞こう。このままでは、俺が見聞きしたことを警察に通報しなければいけなくなる」
そこで、柚月の眉がスッと平坦になった。
日下部は、攻め手を間違えた。一般市民としての義務を果たすと口にしているが、柚月にわかりやすい脅しをかけてきたのだ。暗に「正直に話した方が身のため」だと告げている。
そんな脅迫に屈する彼女では、もちろんない。
彼のしていることは、正論そうに見えて他者の弱みにつけこもうとしているだけだ。従う理由なんて、どこにもない。
「……だから? あんた、私をどうしたいわけ?」
彼女の口調は、あくまで冷ややかだった。
「あんたが言いたいことはわかるわよ。カツアゲの現場を目撃した時点で、私のすることは仲裁じゃなくて警察への通報でしょうね。けど、仮にそうしたとして、その後はどうなるの?」
日下部の目が、わずかに見開く。
柚月が冷静に反論したことに驚いたようだった。
「通報したとしても、あの連中は警察が到着する前にきっとドロンよ。もちろん、彼らの身元はわからず、お金は戻ってこない。その時、被害者の少年に何て言うの?
『ごめんね。お金のことは諦めてちょうだい。でも、夕暮れ時に大金持ってウロウロしてたあなたも悪いのよ』とでも言うつもり? ふざけんじゃないわよ。これからを生きてく純真な子供に、努力すれば報われる喜びの前に、他人を疑うことを教えてどうすんの?」
偶然、その場に居合わせた生徒は無言でことの成り行きを見ている。
彼らは、誰ひとりとして柚月の言葉を理解できていない。
おおよその高校生は、身体は十分大人に見えても、精神は未熟なままだ。大抵の物事を好きか嫌いか、周囲と同じかそうでないか、それくらいの価値基準しか決められないでいる。
端的にいえば、共感できるかできないかが重要なのだ。
それでいて、大した労力もなく他者より突出した能力を発揮する者に憧れる。当然、同じ年頃の男女にもてはやされなければ意味がない。
それ以外のものは、将来的には意義のあることでもワケわかんないものとして淘汰される。
柚月は、まさに後者のタイプだった。犯罪被害者の気持ちをわかりやすい言葉で論じてみせても、共感など得られようはずもない。
彼女自身も漠然と理解している。おそらく、自分の意見の方が少数派だと。むしろ周囲の生徒たちには、柚月の主張を黙って聞いている日下部の方が印象的に映ったことだろう。
「それに、あの不良たちが初犯だと思ってんの? 見るからにわかる、自分より弱い立場の小学生を選んでた。きっと彼らにお金を取られた人は、他にもたくさんいるわよ。なのに万が一、犯人を逮捕できたとしても、全額が持ち主に戻ることは難しいでしょうね。相手は未成年だし、取られたお金は少額で、相手もいちいち覚えてないから……でも、そんなのって理不尽じゃない。たかだか、口が切れるぐらい蹴ったってなんぼのもんだっての? あんたは被害者の苦痛の前に、加害者の人権を主張するわけ?」
柚月の静かな言葉に、漆黒の瞳に険を宿す。
今まで無表情に近い日下部が、はっきりと不快感を表したのだ。
「口が過ぎるぞ、蒼衣。おまえは警察でも検察でもない。現時点では、おまえのしていることはただの暴力行為だ」
「だったら、私を警察に突き出しなさいよ。それが一般市民の義務で、正しい方法なんでしょ」
咎めた日下部の方が、一瞬だけ眉根を寄せた。
間髪入れずに反論した柚月が、あまりにも堂々としていたからか。あるいは「その時は思いきり抵抗してやる」と物語っている強気な瞳に気圧されたのか。
どちらにせよ、珍しいことである。長谷川をはじめとする周囲の面々は驚きを隠せなかった。
どんな素行の悪い生徒でも唯々諾々と従わせてきた日下部が、一介の女生徒に言い負かされている。そう受け取れる場面だった。
しばらく、柚月たちは無言で睨み合う。やがて、日下部が降参したように小さな溜め息をついた。
「……わからんな」
「何が」
柚月は、うんざりとした声音だった。さっきから論点のはっきりしない話題に付き合わされた身としては当然の反応だった。
「そこまで論破しておいて、何故、自らを卑下する?」
「あのね、世の中ってのは複雑でしょ。私のやってることは全面的に正しいなんて言う気さらさらないわよ」
柚月が呆れぎみに答える。
本人としては誰しも思うことだろうにと考えていたのだが。
「……なるほど」
日下部が、興味深げに呟く。
予想外の言葉に柚月は警戒するも、副委員長はさっさと話をまとめてしまった。
「その主張を認めるわけにはいかないが、おまえを警察へ突き出す気は失せた。これからは秩序ある行動を心がけるように」
それだけ言うと、踵を返して歩き去る。一体、何だったのか柚月が眉をひそめれば。
「誤解しないでください。今回は、副委員長の寛大なご処置で無罪放免になっただけです。もう二度と騒ぎを起こしてはいけませんよ」
「はいはい」
前へ出てきた長谷川がたしなめてくる。柚月は適当に手を振って返事しておいた。
(どいつもこいつも……どうして私を巻き込むのかしらね?)
答えてくれる人はいないと知りつつも、胸に残り続ける疑問。しかし、この時、自らの発言が周囲の生徒たちに多大な影響を及ぼしていたことに、柚月は気付いていなかった。
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