第10話






「…………」


 召喚されてからの柚月は、しばらく無言だった。正確には、文句を言う気力さえない。

 ただし、不満と怒りは掃いて捨てるほどある。柚月は、目の前の元凶を思いきり睨みつけてやった。


「ようこそ。次元の狭間を…………どうした? 今日はえらく不機嫌だな」


 いつも通りの口上を述べる途中、漣は言葉を切った。


 そりゃ、そうだっつの。

 無事着地ができた柚月は盛大に顔をしかめて、ショートブーツを脱ぐ。

 召喚された場所は、東雲家の邸内だろう。ハイソックスの足になってから、こんな状況でも気を遣う自分が馬鹿馬鹿しくなる。


「……どういうつもり? 今週は、もう呼び出さないでって言ったでしょ」


 黙ってる方が馬鹿馬鹿しい。苛立ちをぶつけるように、棘のある言い方をした。そもそも最初に『しばらく呼び出さない』と口にしてきたのは、ヤツの方だ。苑依から事情聴取した後、調べたいことができたとかほざく。

 柚月にとっては渡りに船だった。しばらく顔も見たくなかったので、週末は用事があるから絶対に呼び出さないでと念押しまでしたのに。


 約束のしがいのない男。それも東雲漣の特徴だ。

 当然だが、彼が気にした様子はない。普段と違うことといえば、ヤツが近づいてきて膝を折ったくらいか。至近距離にある整った顔を見たくなくて、ぷいっと視線を逸らす。


「手を出せ」

「いやよ」

「いいから」

「い・や」


 誰が、従ってやるものか。絶対に許してなんかやらない。

 徹底抗戦の覚悟で守りを固める柚月に対し、漣は浅い溜め息をつく。

 計画を変更したようで、袂から一枚の紙を取り出す。長方形の掌より少し大きいサイズで、何重もの線や紋様などが筆で描かれている。柚月は、神社などで見かけるお札に似ていると思った。


 それを漣は重ねた自身の掌に押し込む。

 小声で何かを呟き、掌の中にふっと息を吹きかけて、こちらに差し出してくる。その様子があまりにも強引だった。柚月は警戒しながらも、漣の手を覗き込む。


 眼前で開かれた掌を見て、


「わぁ……!」


 柚月は感嘆の声を洩らした。

 彼の掌には、尾が九つに裂けた白狐が鎮座する。視線が合うなり、小さな顔をくりっと傾げた。


 か、可愛いい!


「この子、名前は?」

「……【白夜びゃくや】だ」


 掌にいる狐に指を差し出すと、漣の指の間から前足をのばしてきた。

 人懐こいのか、好奇心が旺盛なのか。こうなってくると触りたい。

 けど、先ほど彼の要求を突っぱねてしまっただけに妙な負い目がある。ここで白夜に触りたいと言ったら、図々しくないか。


 でも、触りたい!

 そんな葛藤をしていると、漣が柚月の掌に白夜を乗せてきた。


「……いいの?」

「そのつもりで呼んだ」


 さらに負い目は深くなるものの、柚月の手に降りた白狐はちょろちょろと彼女の腕を駆けのぼった。


「あ……ッ、ちょっ……ちょっと!」


 一気に肩までのぼり詰めた白夜は、柚月の首筋にすり寄った。


「やだ、くすぐったい!」


 首や頬に触れる柔らかさと温かさ。

 今までの苛立ちが嘘のように吹き飛んだ。



 白狐の胸に抱いて、その可愛いさを存分に愛でる。

 全精力を注ぐと言ってもいい。ひたすら白夜と遊ぶことに没頭する。

 ここがどこか、来た目的、目の前には天敵がいることすら柚月が忘れかけた頃、


「悪かった」


 遠慮がちな声をかけられる。


「え、なになに? もう何でもいい~」


 白夜を手に抱いて頬ずりする柚月は、骨抜きにされた状態ではあったが。すぐに、はたと我に返る。


 おずおずと視線をあげれば、いつもの眠たげな表情の漣がいる。


(……もしかして、『悪かった』って言った?)


 空耳か、幻聴か。

 それくらい、反応に困る単語だった。


 あの漣が謝罪? 何を?

 聞き間違いと疑うのが妥当だろう。


「本当に悪かったよ。今日の呼び出しは、今後のことを考えてね。そいつに君の霊気を覚えさせたかった」


 その言葉は、どこか戸惑っているように見えた。

 漣が手をのばす。指で頭を撫でると、白狐は気持ちよさげに目を閉じた。


「昨日のことも意地悪で言ったんじゃない。もう終わったことだから、むし返すのに気が引けたんだ」


「終わってる?」


 白狐を抱いたまま、柚月が目を丸くする。

 そういえば、漣が燐姫の説明をした時、


『僕の前任者ってとこかな。とても優れた術者で、苑依姫と同じ【星詠み】の力を持ってた』


 と、過去形だった。


 今現在は、役目を退いているとも取れるが、


「燐姫は、僕の育ての親だ。内乱の混乱時、両親を亡くし、他に身寄りのなかった僕を拾って、術者として育ててくれた」


「それがどういう……」


 柚月は、のろのろと尋ねた。

 会話の脈絡がなかったように思えたからだ。ほんのわずか胸に湧いた予感を深く考えずに。


 答える前に、漣は軽く笑ってみせる。その顔は、どこか寂しげだった。


「三年前に亡くなった」


 そう告げられた柚月の頭は真っ白になった。思わず視線を伏せてしまう。


「ごめん」


 やっと口にした謝罪も、情けない声音だった。


 柚月の母親は、すでに亡くなっている。父の説明では不幸な事故だったという。柚月が生まれてすぐのことである。当然、彼女の記憶の中に母親は存在しえない。


 でも、それだけ。

 物心つく前に失った人でさえ、柚月はとても寂しい思いをしている。

 もっと身近な人を失った漣の悲しみはどれほどのものか。柚月には理解できない。きっと、途方もない深い喪失感が漣の胸にはまだ残っているはず。


「本当に、ごめん……」


 そのくせ、拒絶されたことを勝手にいじけて拗ねて。

 何故、彼が話したくない事情まで考えなかったのだろう。

 両親を亡くして、再び手に入れた家族を失って。そんな境遇に対して、自分はどうしたらいいんだろう?


 じわじわと視界が滲みかけた時、目の前が真っ暗になった。

 その直後、


「いッ!」


 一瞬だけ鼻に痛みを感じて、視界が開ける。


「な……なななッ!?」


 目の前では漣が右手をひらつかせた。それで彼に鼻をつままれたことを知る。いつもの怒りもわかず茫然としていると、漣は渋い顔になった。


「そんな顔するだろうから、言いたくなかったんだ」


 やっぱり、気を遣われていた。ますます自分が情けなくなる。


「ごめん……」

「三度目だな」


 それでも、すぐに気持ちは切り替えられない。手の中にいる白夜に指を舐められても、今度はすぐに浮上できなかった。


 漣は長い溜め息をつく。


「桜は好きか?」


「は?」


「桜の花は好きかと訊いている」


「そりゃ、日本人で嫌いな人はいないと思うけど……」


 口にしたあとで、ここの住人に通じる感覚なのかと気付く。どう説明するか迷う内に、漣は立ちあがった。


「こっちに来い」


 局を出て、廂を横切る。

 いつもなら「一体、何様よ?」とでも悪態つくところだが、先ほどのこともあり、強気に出れなかった。言われるまま、白夜を抱いたまま後をついていく。




 漣は、何故か柚月を庭へ連れ出した。いつも賑やかな広い敷地には誰もいない。


「ここにするか」


 そう告げた漣は、一本の葉桜の前に立つ。


「範囲は……六尺くらいでいいな」


 ぶつぶつとぼやきながら、純白の袖を振る。


「《四方六尺 因果剥離》」


 漣が印を結ぶと、キンッと耳鳴りのような音が響く。じわじわと周囲の空気が変化する。


 よくは知らないが、漣は召喚士である前に【言霊ことだまつかい】であるらしい。

 彼の声と言葉で、術を発動させる。数回ほど間近に見た柚月には魔法のように思えた。


「《対象【白桜】 幻影花 発動》」


 唱えた直後に強い風が吹く。

 きつく目を閉じて、収まるのを待ったあと。恐る恐る開けた視界には、


「な、なんで……?」


 満開の桜の花が現れた。

 先ほどまで新緑が生い茂る樹木だったのに、淡い色の花が咲き誇っている。


「初歩的な幻術だ。術者が思い描いた景色を現実と擦り合わせ、投影する」


 説明する漣の手に白の花弁が舞い落ちる。

 指先に触れる途端、弾けて光の粒子が瞬く。


「あ……」


「子供騙しの術だよ。僕の【言霊】は長く保たないし、本家には敵わない」


 今度は、柚月の手の中にいる九尾狐を見つめる。白夜と視線が合えば、周囲に青白い炎が浮かびあがった。狐火というものだろうか。掌サイズの獣(妖?)なのだから、普通の動物ではないと薄々予想していたが。幻術を操る能力があると漣は言いたいようだ。


 青白く燃える炎が桜の花弁と混じり、消えていく。そんな幻想的な景色をしばらく眺める。


「きれい……」


 口にしてから柚月は、しまったと思った。隣に立つ漣が皮肉を言ってくるに決まってる。語彙が少ないとか、らしくないこと言うなとか。

 ただ黙っていても、あれこれ文句をでっちあげる男だ。


(ああ、また馬鹿にされるわ……)


 柚月が諦念に似た気持ちで、漣の顔を盗み見る。


 見て、目を瞠った。

 そこにあったのは、いつもの意地の悪い笑みではなかった。


 透き通るような優しい笑顔。


「笑っていろ」


 言われて、それが漣の言葉だと理解するのに時間がかかった。どんな意味か計りかねて、どくりと心臓が跳ねる。


「もともと不細工なんだから、沈んだ顔してるともっと不細工になるぞ」


「なッ……!」


 怒鳴りかけて、すぐにやめる。

 また意地悪な笑顔に戻っているが、いつのものように言い返す気にはなれなかった。


(一応、元気づけてくれたのかな)


 素直には信じられない。

 とはいえ、今の状況を説明する理由を他に思いつかない。


 漣にとっては、意味のないことをしている。

 柚月にとっても、意味がない。


 でも、不快ではなかった。

 胸に残る温かさと、締めつけるような切なさ。


 初めての漣の言動に柚月が混乱していると、彼はさっさと踵を返してしまう。


「漣!」


 思わず呼びとめたものの、また「ごめん」と口にしかけて慌てて呑み込む。

 彼の気持ちを無駄にする気か。今度こそ、言わなくては。


「……ありがとう」


 勇気をふり絞って、口にした感謝の言葉。いつも言おうとして失敗してきた言葉。


 皮肉げに笑われたっていい。ここで口にしなければ、柚月はまた後悔する。

 そう思っただけなのに。


 漣は横目で笑うだけだ。普段の意地悪な表情ではなく、柔らかな雰囲気を纏わせて。


「完全に幻術が消失するまで、まだ間がある。好きなだけ見ていくといい」


 かけられた言葉はどこまでも優しくて。

 歩き去る後ろ姿を、柚月は茫然と見送った。


(こんなの、反則じゃん……)


 一歩も前へ進んでいない。解決もしていない。

 自分の気持ちだって、わからないまま。


 でも、漣が初めて柚月のためしてくれた。


 悪かったと言って。

 白夜を預けて。

 桜の花を見せてくれただけ。


 たったそれだけで、今までの不満はどこかに消え失せてしまった。


 顔をあげれば、風が吹く。

 幻影の花が揺れ、吹雪のように花弁を散らす。

 いつの間にか、手の中にいる白夜は目を閉じた。


 幻の花弁が消えるまで、柚月はその場に立ち尽くした。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る