環境という怪物

 最近行きつけになったアニメバーでカラオケ有名人となりました。montaですはい。

 私はそもそも趣味の広い人間で、単純に遊ぶことから遊びを作ることまで幅広く活動していまして。その一環で作詞作曲も素人レベルですが出来るんですよ。

 で、その幅広くある趣味の中で一番得意であり、自分の力であると言い切れるのが文章、だったらいいんですけどね?(笑) カクヨムで活動してるくせに実は違うんですよ。

 でまあじゃあ何が得意なんだと言われたら、一番は歌を歌うことだったりします。

 それで冒頭のようなことになるわけなんですが。この歌が上手いというのは自分で認識できているくらいには誇れるもので、若いころは歌を仕事にできたらとかも考えたこともありました。

 ただ、結局それを言いだすことが出来ずに違うことを補填するかのように「じゃあ」これをやりたいみたいな感じで妥協案を仕事にしたりして生きてきたんですね。

 これが今、年齢的に四十を目の前にして後悔してるんですよね。

 私は妥協案を選んではその仕事で失敗するというのを繰り返してきたわけです。なもので、どうせ失敗するなら一番好きな歌で失敗したかったなあと思ってしまうわけです。

 そもそもなんで歌を選ばなかったのかっていうのは、単純ではないですが自分の環境のせいなんですよね。

 歌そのものは幼稚園から好きでしたし、小学校で自分の声の良さを自覚して、音楽教員の方に目をかけていただいて特別レッスンさせてもらったりとかして。その頃からもう歌が好きで仕事にできたらとか思ってはいたわけです。

 でも私の親、主に父親が「自分が特殊じゃないからお前が特殊なはずがない」みたいな感覚を持っているうえで人間としてマナーが悪いひとなので。歌に関してはその歌声を聞く前の段階で「お前の様な音痴では聞いてる方が辛いだろう。よく恥ずかしくもなく授業で歌えるもんだ」くらいのことを常時平気で言うような人でした。

 なので一番やりたいこと、好きなことは言い出せなかったんですよね。その代わり二番目に好きな事とか、二番目にやりたいことを主張して、それも否定されはするけど一番好きなものを否定されるよりは辛くないという理由でその分野に身を置くようなことをしてきたわけです。

 その結果、一番とはいいがたい分野で失敗しては疲弊してを繰り返してしまって今に至るわけです。

 もちろん年齢というのは言い訳に過ぎないというか、何かやるならいつから始めても遅くはないという話はあると思うのですが、それでも今父のせいで自分の障害が大きく発達して普通の仕事が出来なくなるほどになった自分というものを見返すと、なぜやりたい道へ進んで行かなかったのかという後悔はあるわけですね。

 そんなわけで人が生まれ育つ環境ってすごく重要だと思うんですよ。少なからず人を否定することが普通だと思い込んでいるような人や環境というのはそこで育つ人に悪い影響を与えることは確かだと。

 先日知人の方の息子さんが勉強を頑張って良い成績を取れたという話をしてまして、その方の息子さんは良い環境で育ててもらえているからこそ自分で勉強を頑張れたんだと思うんです。

 そんなこともあってやはり環境は大事であると思うわけです。

 良い結果に必ずつながるわけではないですが、環境が良ければがんばれるし、失敗しても後悔しないと思うんですよね。

 そんなわけで、私もそれを肝に銘じて若い人に接していきたいと思うし、みなさんも自分の人や家族との接し方を考えてみて欲しいなと思ったりするわけです。

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