東野邸にて

第23話 豪邸

 丸2日かけて西部地区を出た和葉、周、アーネストは、浮かない表情で北部地区へと入った。西部地区での出来事を、話題に出そうか出すまいか、逡巡しているようだ。

 ジャンはあの後、工場の運営を止めることを決めた。虚ろな目で南部地区に戻って行く彼は見ていられなかったが、そのまま別れた。川に流れる汚染物質は減るだろうが、彼の心には大きい傷を残してしまったのではないかと、和葉は気が気でない。

「お前さんたち、いつまでもそんな様子じゃ、俺まで悲しくなってしまうだろ? ほら、あそこの茶屋で団子でも食おう!」

 アーネストは落ち込む和葉と周の頭に手を置き、背中を押した。


 入った茶屋は今まで入った店の中で、抜きんでて綺麗だった。窓ガラスには繊細な細工がされており、床には埃一つ落ちていない。そしてこの茶屋は値段が高いにも関わらず、多くの客で賑わっていた。

「北部地区はこの国の中でもかなり裕福な地区だ。ここは貴族中心の街で、軍事施設もないからか戦争の被害もたいして受けず、軍隊に入った人も少ない。よく言えば平和な街だな。だからか、他の地区からは妬まれているが……」

「だからこんなに景気がよさそうなんですね。このお団子美味しい! ほら、周さんも元気出しましょうよ」

「お前、意外と図太いよな……。まあ、俺もあの件からは立ち直ってるけどよ。流石に俺たちがどうこうできる事でもなかったしな」

 そう言う割に元気のない周を見て首を傾げながら、和葉は団子をもう一口食べた。周は落ち込んでいる、というよりも何かに緊張している、と言った方が適切な様子だった。肩に力が入っている。

 いつもは皮肉を交えて刺々しくぶっきらぼうに話す彼が、伏し目がちに心ここにあらず、といった風に座っているのは見慣れない光景だ。美しい顔つきには大人しい態度の方が合っているが、和葉はいまいち調子が出ない。

「周ちゃんは今からお屋敷に行くから緊張してるんだもんなあ? 北部地区一の権力者で、政治とかは全部今から行く『東野ひがしの家』が取り仕切ってんだ。超豪邸だぞ」

「ああ、この前言ってた……」

 和葉はハッとして口元を抑えた。幸い周には見られていない。アーネストが家庭教師をしていたことは、周には内緒という約束だったのを思い出した。

 アーネストはいたずらっ子のように笑った。

「この前言ってた……北部地区のお屋敷って、その家なんですね! 楽しみです!」

 なんとか誤魔化したが、和葉の背を流れる汗は止まらない。

「お前なんか挙動不審じゃねえか? まあいいけど。でも先生、なんで東野家なんだよ。寝泊まりなら綺麗な宿がたくさんあんだろ」

「実はその家で依頼されていることがあってね。その依頼を受ける代わりに、衣食住を提供してくれるってわけ」

「はあ、なんで俺たちはまた依頼を受けてんだろうな……。便利屋じゃねえんだぞ。先生も引き受けすぎだ」

 恨めしそうにアーネストを睨むが、睨まれた本人はどこ吹く風で、口笛を楽し気に鳴らしている。


 東野家は茶屋を出て、30分くらい歩いたところにあった。一際目立つ洋風の豪邸に、和葉は目を輝かせた。

「すごい豪邸ですね! こんな場所で、私たち何するんですか?」

「まあそれはこの家の人に直接聞く方が早い。家長は確か……この家の長男坊だったな。親父さんはとっくに隠居してるらしいから。まあ、年も年だしなあ。病気の具合もよくないらしい。だから、俺たちと会うのはその長男坊だ」

 相変わらず落ち着きのない様子の周とは対照的に、アーネストは泰然自若としている。これも経験の差なのだろうかと和葉は思った。

 シルバーの柵に囲まれた屋敷は、異世界に迷い込んだと思わせるほど現実離れしていた。そもそもこの世界が現実かどうかなんて、和葉には分からないことではあるが。

「ほら、入るぞ。お? 可愛いメイドさんが迎えに来てるみたいだなあ」

「メイドに手ぇ出すなよ。先生は人たらしだからな」

 出さない出さないと手を振って、アーネストは若いメイドに笑いかけた。

「アーネスト様、和葉様、周様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。中へどうぞ」

 この家は広大な庭も所有していた。純白の噴水には、たくさんの雀たちが集まっている。地面には上品なレンガが敷き詰められており、屋敷までの道を美しく彩っていた。

「綺麗なレンガ! でもどっかで見たことがあるような……」

 和葉が興奮したように言うと、前を歩く若いメイドが微笑みながら振り返った。

「このレンガは中央地区の物です。旦那様のお気に入りで……」

 彼女によると、中央地区のレンガは質が良くて高級品らしい。


 屋敷の中は和葉の期待に違わず、巨大なシャンデリアが飾られていた。天井には空の絵が描かれており、窓がたくさんあるからか、電気を点けなくても部屋は光に満ちていた。

 歴史の教科書でしか見たことがないような屋敷に、和葉は口をポカンと開けることしかできなかった。

「ここって、家っていうよりお城じゃないですか! こ、ここって、土足でいいんですか?」

 和葉のしどろもどろとした様子を見て、周が吹き出した。笑われたことは癪だったが、どこか元気のない様子だった彼が笑ったことに安堵もした。

「応接間までご案内致します……と言いたいところですが、隠居の身である有人あるとと申します者が対応することになりまして。個室にお通ししてもよろしいですか?」

「ええっ? 有人さんが? あの人病床についてたんじゃないの? 俺らと話したりして大丈夫?」

「私たちも心配していたのですが、あなた方をこの家に呼ぶことを決めたのはあの方ですし、直接お話ししたいのでは? とはいえ、病気も悪化していて起き上がることが難しくて……。自室からは出られないのです」

「あ、そういうことね。まあ、俺も有人さんの顔見ときたかったし丁度いいや。んじゃ、行くかあ」

 和葉は頷いて歩みを進めた。しかし周は動かなかった。

「俺、具合悪いから休んどく。わりぃがお前らで行っててくれ」

「大丈夫ですか、周さん! だからさっきから元気なかったんですね」

 周は客室で休むことになった。和葉は少し安心した様子だが、アーネストはやや不服の表情を浮かべていた。

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