第22話 絶望
道中花を買って北西へと進み、西部地区に入った。西部地方も南部地区と同じく工業地帯であったが、南部地区よりも寂れた場所だった。周の話によると、西部地区は南部地区で作った部品がないと成り立たないため、南部地区に頭があがらないらしい。そのためいつまで経っても南部地区よりも発展しないままなのだ。
西部地区を進んでいくと、農村地帯に入った。工場が立ち並ぶところから少し離れたところにある農村の傍には、南部地区で見たような、汚く濁った川が流れていた。その川のほとりにある家が、アントワーヌの家である。
3人はその家のドアを叩いた。中から中年の女が、目を虚ろにさせて出てきた。髪には白髪が混じっており、肩にはフケが積もっている。
「何の用ですか……ああ、周さん。この前ぶりですね。どうしたの?」
周を見て少し表情を明るくさせた彼女は、3人を家の中に招き入れようとした。
しかしその時、背後から大股で歩いてくる、足の長い男が近づいて来るのが見え、彼らは家から離れた。男の正体はジャンである。
「悪いが、俺も中に入れてくれないか。お嬢さんとちゃんとお別れがしたい」
3人は驚きのあまり、ポカンと口を開けたまま彼を見つめ続けた。
「あらあら、あなたも周君のお仲間ですか? もしかして、アントワーヌを探していた方かしら? どうぞどうぞ、入ってください」
そう言われると、ジャンは機嫌よく中に入って行った。周はそんな彼の肩を掴み、外に引っ張った。
「なんであんたがここに居るんだ。来るなって言っただろ」
「君たちの後をつけてきたんだ。やっぱり自分の目で確かめないとな。彼女がどんな最期を迎えたのか、僕にはそれを知る権利がある」
アーネストは珍しく取り乱した周を背後にかばい、ジャンに諦めた表情を見せた。
「そうだな。あんたの言うとおりです。一緒にお母さんの話を聞きましょう」
家の中は案外物が少なく、散らかっている様子ではなかったが、どの家具にもうっすらと埃が積もっている。
アントワーヌの母が4人を席に座るよう勧め、周以外の3人が簡単な自己紹介をした。
「あなたがジャンさんだったのね……。アントワーヌがよくあなたのことを言っていたわ。電話友達ができたって、喜んでいたの。恋心はなかったのかしらね……。あの子、鈍かったから、自分の気持ちに気づいてなかったりして……」
彼女の言葉に、ジャンは困ったような笑顔を見せた。
「はは、電話友達ですか! 僕は彼女に恋愛感情を抱いていましたけどね。でも、僕たちが電話してたこと、お母さんにまで知られていたなんてちょっと恥ずかしいな」
「あらあら、あの子のこと好きだったの? なんだか嬉しいわ。私以外にも、あの子のことを愛していてくれた人がこの世にいるなんて。ああ、そういえば、お花と手紙、ありがとう。お墓に供えておくわね」
場は非常に和やかだった。アントワーヌの母は、久しぶりに娘の話をできたことに気分が高揚しているように見えた。ジャンも上機嫌だ。
花と手紙を愛おしそうに見る彼女を、ジャンは急かすような目で見つめた。
「できれば、僕自身で持っていっていいですか? 手も合わせたいから」
「あら、いいの? じゃあ、一緒に行きましょう! 少し山奥の墓地だけど、せっかく来てくれたんだし……」
和葉と周、アーネストも一緒に彼女たちと共同墓地へ行くことになった。周の元々白い顔色が、だんだん青白くなっていく。
30分ほど歩いたところに墓地はあった。目の前を飛ぶ虫を避けて頭を振りつつ、手入れもろくにされていない道を進んでいく。
「はあ、やっと着いた……。短い距離だけど、坂だし足場が悪いからどっと疲れるな……」
ジャンはわざとらしく息を切らして呟いた。普段あまり運動をしない和葉も少し息が上がっていた。
「ごめんなさいねえ。アントワーヌが罹った病気で亡くなった人たちは、必ずここに埋葬されることになってるの。南部地区の命令でね」
「え? なぜです? まさか、感染症だったとか……?」
彼女は首を横に振り、息を深く吐いた。この場に似つかわしくないほど、澄んだ空色の瞳を曇らせる。
「アントワーヌの病気は、世間から隠さないといけなかったの。だから、こんな山奥に埋葬されていて……本当はね、地区内の暗黙のルールで、他の地区から来た人に病気のことを言ってはいけないことになんてるんだけど……。でも、あなたたちにならいいかもしれない。どうせ、今も孤独に暮らしてるんだから、今更村八分になったって変わんないわよね」
ジャンも、彼女の雰囲気から違和感を感じ取ったのかもしれない。落ち着きのなかった表情を固まらせ、じっと彼女の瞳を見つめる。
「あの子はね、人間の体に害のある魚を食べてしまって病気になったの。南部地区の工場から流れた汚染物質で、毒になってしまった魚をね。でも南部地区の工場を責めることはできない。この西部地区は、南部地区の工場で作られた品物なくして発展できないからよ。たくさんの西部地区住民が路頭に迷ってしまう。だから、謎の病気の原因が工場からの汚染物質だと分かっても、西部地区住民は見て見ぬ振りしたの。これから川の魚を食べなきゃいい話だろうって。でも、アントワーヌは間に合わなかった。病気の原因が分かる前に死んでしまった。私は、ずっと病気で苦しむあの子に、魚を食べさせ続けたの。ずっと、何も知らないで、私は毒を! ずっと娘に与え続けてたのよ!」
彼女は頭を抱え、墓の前の地面に突っ伏した。嗚咽は聞こえるが、涙は見えない。アントワーヌと同じ、青空の色をした瞳からはもう雨も降らないが、晴れることもない。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す彼女の後ろに立ち、ジャンは虚ろな目を墓に向けていた。まさか自分が彼女の死に加担しているなんて思ってもいなかったであろう彼は、現状を全く受け入れることができないでいた。
彼が現状を把握したころに、彼女が落ち着きを取り戻した。白髪交じりの髪は、もうすっかり乱れてしまっている。
ジャンはぼんやりとしていた墓にピントを合わせた。名前が彫ってある墓石の台には、干からびた花や欠けた茶碗などが乗っている。その中にエメラルドのネックレスを見つけた彼は、大声で叫び声を上げた。意味もない声を発し、体を小刻みに震わせる。
彼の瞳には、もう観客など映っていない。映っているのは、ただ絶望のみである。
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