第10話 模索・1
山を一つ越えたところで眼下に町が見渡せた。ポルトとレダが生まれ育った町とよく似たような石造りや煉瓦造りの建物が並んでいるのが見える。似たような雰囲気はあるが、こちらの町の方が少し大きく、発展しているようだ。小さな家が所狭しと並んでいたノートンと違い、こちらは大きめの建物が余裕を持って建っている。
「人工物がある景色が久しぶりすぎて感慨深いよ」
ポルトの呟きに、レダもラバスも大きく頷いた。
レダがギャギャっと小さく声を上げながら小さな手でラバスをペチペチと叩く。ポルトには言葉はわからないが、森暮らしのお前が言うかと突っ込んでいるのだろうことはなんとなくわかった。
「こうして町を眺めていた年月はレダが生きてきたよりも長い。これが懐かしいという感覚なのだろう?」
真面目に答えるラバスに、なるほどねとレダは小さく頷いた。
もしかしたらラバスはポルトたち以上に人間のことを知っているのかもしれない。眺めていただけとはいえ、年季の入り方が違う。
言葉がわかるという繋がりからか、レダとラバスは思った以上に交流を深めている。
時折何かしら簡単な会話を交わしている様子を見ると、ポルトは軽く嫉妬を覚えた。ラバスが通訳しないものは本当に他愛無く意味もないやり取りなのだろうが、一緒にいるのに一人だけわからないというのは少し切ない。
持ち前の人懐っこさもあり、レダはラバスに対して非常に友好的態度である。もとよりレダはそういう性格だ。興味を引く何かを見つけられるまでは基本的に他人には無関心なポルトと違い、初対面のどんな相手ともすぐに打ち解けられる。
こんな状況であってもそれは変わらないようだ。精神的不安もかなりあるだろうに、いつも通りに振る舞えるのがレダの強さだと思う。物理的な強さだけでなく、こういう強さを併せ持っているところがポルトにはとても眩しくて、憧れる部分である。
しかし、この友好的態度が本心からなのか、表面上なのかまでは判断がつかない。感情的に動いているように見えるが、実は計算高いところもあるのだとポルトは知っている。瞬間的に色々なことを理性的に考えている。頭の回転が早いのだ。
自らの体を奪われたラバスに対してレダは一体どんな気持ちを抱き、何を思っているのだろうかと、ポルトはちらちらとその様子を窺い見ているのだが、いまいちわからなかった。普段であればレダが何を考えているのかおおよその事なら感じ取れるのだけれど、何しろ天竜の体では表情が分かりづらい。いくら深い付き合いといえど、顔の作りがこれまで見てきたものと全く違うのだから心の機微まで読み取ることは難しい。
今の状態のレダと会話ができたならぜひ問うてみたいところである。自らの体と対話するのはどんな気分なのだろう。きっとずいぶん複雑であるだろう。
それでも、友好的なレダの態度は、ラバスと一緒に旅をする決断をしたポルトを肯定してくれているようで、ポルトを安心させた。なぜ、と非難される可能性だって大いにあったのだ。
これまでの経緯をレダはどこまで知っているのだろうか。レダの意識がオージの中でいつからポルトたちと共にあったのかは定かではない。ずっと見ていてくれたのだろうか。
(話がしたいよ、レダ)
それはこの先叶うことがあるのだろうか。
魂と体の一致しない二人の後ろ姿を見つめて、ポルトは握った拳にぐっと力を込めた。
「町に着いたらどうするんだ?」
ラバスがいつになくそわそわしながら、目を輝かせてポルトを振り返った。感傷的になっていたポルトは気持ちを引き締め現実へと意識を戻す。
町を目の前にして一番しっかりしないといけないのはポルトだ。町を知らないラバスも、町では身を隠さなければいけないレダも、頼ることができない。
「そうだね、お金は多少持ってきてるから宿を取ろう。僕は図書館か書店に行くよ。そもそも別の町で勉強するのが僕の旅の目的だからね」
「俺も行ってもいいのだろうか。レダと一緒に外で待っていた方がいいか?」
本当は町に入りたくて仕方がないだろうに、ラバスは天竜の体であるレダを気にしてそんなことを言う。
「レダはまだなんとかリュックに入るサイズだから、隠していけば大丈夫。せっかくその体なんだから一緒に行こう。その代わり、僕のリュックの中身を持ってもらうよ」
ラバスは隠しきれない嬉しさに頬を緩めた。地竜は感情が薄いと言い、普段はなかなかポーカーフェイスを崩さないラバスであるが、本人が思うより感情はあるのではないかとポルトは思う。
久しぶりにいつでも明るく笑っていたレダの本来の顔を見たような気がした。
彼の人間の世界への憧れは相当なものである。レダには申し訳ないが、純粋に楽しませてやりたい。知らないことを知る喜びは何にも変え難いと知っている。
エラルドの町に着き、宿屋の部屋に入ると、久しぶりのベッドに身を投げた。森での生活も嫌いではないが、こういう快適さを求める気持ちももちろんある。柔らかく暖かいところで寝られるだけで、言いようのない幸せを感じる。早く出せとリュックの中から抗議するレダをしばらく放置してその心地良さを噛みしめたほどだ。
ラバスの手によって解放されたレダは、ポルトの寝転ぶベッドにぴょんと飛び乗り、隣に並んで同じように転がった。多分レダも同じ表情をしていることだろう。天竜の硬い表皮ではよくわからないが。
はあーっと大きく息を吐きにんまり笑みを浮かべて寝転ぶ二人を不思議そうな顔で見つめたラバスは、やがて真似をするように隣のベッドにそっと身を横たえた。
「これはすごい。人間がなぜベッドを使うのか理解した」
「今夜はよく眠れそうだね。見張りもいらないし」
このままでは今すぐにでも眠ってしまいそうだったので、ポルトは引かれる後ろ髪を強い意志で引きちぎって立ち上がる。
「予定通り僕は勉強に行ってくる。夕方には戻るよ」
ポルトは一人で出かけようとするが、レダが慌ててポルトの服を引っ張り引き留めた。
「レダは駄目だよ。ここでおとなしく留守番してて。絶対誰にも見つからないようにしてよ?」
レダは、それはわかっているとばかりに大きく頷く。一緒に行きたかったわけではないようだ。
「時間…というような事を言ってる」
ラバスの通訳が入り、ポルトは少し首を傾げたが、思い当たることがあって口に手を当てた。
「さてはレダ、僕が時間通りに帰ってこないと思ってるね」
何かに集中し始めると全く周りが見えなくなるポルトの習性をレダはよく知っている。それで困らされたことが何度もあるからだ。大丈夫だよ、とはとても言えない自分が嫌になる。
「俺が一緒に行こう」
ラバスが言ったがポルトは首を横に振る。
「ラバスにはおつかいに行ってもらうよ」
「おつかい?」
「そう。町にいる間に売り買いしておきたいものがある。地竜だってばれないように一人で行けるかい?」
「問題ない。と思う」
若干の不安を残した様子でラバスは頷いたが、おそらく大丈夫だろうとポルトは思う。レダを完璧に演じられるぐらいに、ラバスは人間を知っている。おかしな行動はしないだろう。だから別行動を取ることを選択したのだ。
レダもいるし、町に長居するつもりはない。やれることは効率的にやってしまいたい。
それに、ラバスは町を見て回りたいだろう。ポルトに付き合って一日図書館でぼんやりさせるのは気の毒だ。
「日が暮れる頃になったら図書館まで僕を迎えにきてくれる?嫌がっても無理矢理連れて帰ってくれていいから」
「わかった。無理矢理でいいんだな?」
ラバスと共にちらりとレダを見やれば、満足げに大きく頷いている。レダの心配ごとは無事解決されたようだ。突然こんな姿になってレダの方がずっと大変だろうに、レダは当たり前のようにポルトの事を考えてくれる。中身は全く以前と変わりないレダであることに、ポルトは誰へともなく感謝した。
宿屋の女将に聞いた通り、町の中心近くに学校があった。ポルトの通っていた学校より随分と規模は大きいが、学校というのはどこも似たような独特の雰囲気があるものらしい。同じ年頃の子供たちが集い、一斉に等しく同じ事を学ぶ。その光景に懐かしさを感じた。
あのままノートンに残っていたら、今でもこうして学校でレダと肩を並べていたのだろう。レダは優等生で、ポルトは落ちこぼれで、それでも同じ事を学ぶのだ。同じ事を同じように教わってもできないことはたくさんあって、勘弁してくれと思う反面、実力差がこれだけあってもレダの隣にいられるのはありがたくもあった。得意な場所ではなかったが、嫌いな場所でもなかった。
ノートンでは男は戦闘を、女は商売を主に学んでいたが、ここでは男女差はあまりないらしい。男も女も一様に同じ事を行っていた。
そんな様子を横目で見ながら、ポルトは学校に併設された図書館を目指した。煉瓦造りの立派な建物だ。
外見もさることながら驚くべきはその中身で、ずらり並んだ蔵書の数にポルトは圧倒された。
この町を選んだのは正解だった。この町にはきっと賢者がたくさん生きてきたのだ。おそらくノートンには存在しない知識もたくさんあるだろう。
蔵書の管理もしっかりされており、棚ごとに内容もきちんと揃えて並べられているようだ。ポルトは心躍らせながら、何を読もうかまずはざっと見て回る。
時間は限られている。まず一番知りたいことは何だろうか。
当初の予定であれば、戦えないポルトが町で生きていくために必要な知識、ノートンには存在しない知恵を探すということであるが、今のポルトが一番知りたいのは竜の知識だった。地竜についても天竜についても知りたい。レダを元の体に戻すことは可能なのか、何か少しでもヒントになることがないだろうか。その辺りを中心に調べてみたい。
そう思ってしまったらもう、そうすることしかできなくなってしまうのがポルトという人間だ。
(母さん、ごめん)
心の中で母に詫びて、おそらく町で生きるのには到底役立ちそうもない類の本を探し始めた。
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