第10話 模索・2

 ポルトに頼まれた事を頭の中で反芻しながらラバスは市場へ向かった。

 これまでの道すがら狩ってきた動物の毛皮や、採取した薬草などの一部を売って金を作り、旅に必要な消耗品などを買うのがラバスに与えられた仕事だ。

 さほど量はないのだが、買い物リストを間違う事なく頭に叩き込むのがなかなか大変な作業である。字の読めないラバスはメモを使うことができない上、ほとんどが耳から入れた知識なので、それがどういう見た目のものであるのか知らない物もあるのだ。名前を覚え間違えてしまったら正しいものを買って帰ることができない。決して忘れぬように、ラバスは何度もポルトの言葉を頭の中で繰り返した。


 宿屋から市場まではそう遠くないと教えられたのだが、道が込み入っていていまいちわからない。何しろ人間の町に足を踏み入れるのはラバスの長い人生においても初めてのことなのだ。建物の間に入り組んだ道など訳がわからない。森の中を歩くのとは全く感覚が違う。

 きょろきょろと周りを見回していると、困っているように見えたのか一人の女性が近寄ってきた。

「旅の人ね。何かお困りかしら?」

 町の人間でないことはすぐにわかるらしい。

「市場へ行きたいのだが、道がわからなくて」

 見知らぬ人に突然話しかけられたことに少々怯えながら、ラバスはこの親切な若い女性に道を尋ねることにした。

「案内するわ」

 彼女はにっこりとラバスに笑いかけ、こっちよと手を引く。急に触れた手に驚いたが、されるがままについていくしかなかった。初めて触れた女性の手は、レダやポルトの手と違って柔らかくて細く、少しでも抵抗したら壊れてしまいそうだったのだ。


 どこから来たの?とか興味津々であれこれ尋ねてくる女性にどう答えるべきなのかラバスは迷っていた。

 このような状態がかつてレダの周りでよく起こっていたのは見知っている。要するにレダは女性にモテるのだ。おそらくこの容姿が女性にとって好ましいのだろう。地竜であるとばれぬようこっそりと町を見物しようと思っていたのだが、レダの容姿が人目を引いてしまうのは誤算だった。

 つまり彼女は今のラバスの外見であるレダのことが気に入ったのだ。故に親しくしたいと思っている。そのような好意を向けられるのはもちろんラバスには初めてのことである。しかし、これは決してラバス自身が惚れられたわけではない。きっとつまらない反応しかできないであろう自分で対処するよりも、彼女好みのレダを演じた方が喜ばれるのだろう。

 けれどもう二度とレダのふりをしないとあの時ポルトに誓った。誓いを破ってまで見知らぬ女性を喜ばせることに意味があるのかと言われれば、そんなことあるわけがない。レダを真似る事は許されない。

 だが、素の自分で上手な対人関係を行える自信がなかった。ラバスには自分の正体に疑問を持たれる事なくおつかいを済ませる任務がある。ここで何かしらのトラブルを起こすわけにはいかない。おそらく人付き合いの上手いレダを真似ることが一番違和感なくスムーズだと思うのだ。

 レダがダメならポルトを、とも少し考えたが、そもそもポルトは人付き合いが苦手であるし、このレダの容姿にポルトの振る舞いは似合わないので却下だ。


 どうしたものかと悩みながら生返事を繰り返しているうちに市場に到着した。

 この一角だけとても活気に満ち溢れている。レンガ敷きの通りの両脇にカラフルな露店が所狭しと並んでおり、人も物もたくさんで、いろんな声が飛び交っている。ポルトたちの町にもあった似たような市場を町の外から遠目に見た事はあるが、近くで見ると迫力が違う。

「どうもありがとう」

 ラバスはレダがするような笑顔を作り、女性に手を振って一方的に別れた。まだ向こうは一緒についてくるつもりだったようだが、急ぎの用事があるふりをして逃げることにした。ろくなお喋りもできなかったし、親切な彼女には申し訳なかった。

 交流してみたい思いもなかったわけではないが、この借り物の体の状態で特定の人間と親しくなるのは良くないと思ったのだ。

 この体でレダとして生きていこうと思っていた時とは違う。レダの魂を見つけたからには、いつかこの体は彼に返すべき物なのだ。

 ラバスとして誰かと親しくなってしまったら、レダが戻った時に齟齬が起きるし、レダの預かり知らぬところでレダのふりをしたって後々レダが困るだろう。レダが再びこの町に来て同じ人と出会うかどうかなんてわからないけれど、それでも可能性がゼロでない限りは配慮が必要だ。ラバスがレダの体を借りていることで、レダに不都合なことはこれ以上何も起こしたくはない。レダを困らせるためにこうしているわけではないのだ。どんな些細なことだって、排除できるものは排除したい。

 つまりレダの許可なく、他人と何かしらの関係を結ぶのは駄目だ。それは少し窮屈なようであるが、それで構わないとラバスは思う。ポルトとレダ、ラバスを受け入れてくれる人間は二人もできた。それで十分だ。贅沢すぎるぐらいだ。


 市場でまず目についたのは、色とりどりの野菜や果物だった。どれもうまそうで手に取って食べたくなるが、まずはお金と交換しなければいけないのが人間の社会である。ポルトに渡されたお金にはいくつか種類があり、どれにどれだけの価値があるのかはよくわからない。が、遠くの町からきたのでこの町の貨幣価値がわからないというふりで店の人に聞けば問題ないと教わった。

 ポルトとラバスの食事は宿で用意されるらしいので不要だが、レダの分を買って欲しいとのことだった。せっかくならばここらの森では食べられないようなものがいいだろう。町には人間が畑で育てた物だったり、遠くの町から流通してくる物だったり、ラバスが見たこともない物もたくさん売っている。

 レダは比較的酸っぱいものを好む傾向があるとポルトは言っていた。ラバスがこの体になってもかつて好んでいた酸っぱい果物を美味しいと感じるのはそんな要因もあったのだろう。天竜の味覚がどのようなものかは知らないが、地竜と似たような体の作りなのであれば、特別その味が不快に感じるような事はないのではないだろうかと考える。

 少しでもレダに喜んでもらいたい。そう考えながら商品を選ぶのはすごくワクワクして楽しかった。

「この中で酸っぱい感じの果物はどれですか?」

 少し緊張しながら店主に尋ねてみる。すると店主のおじさんは「旅の人かい?」と気さくにあれこれ説明してくれる。いくつか試食もさせてもらい、濃いオレンジ色が鮮やかで香りの強い柑橘系の果物を買うことにした。レダが喜んでくれるといい。

 後は、魚などもいいかもしれない。水が苦手なラバスには、魚を採ってやることが困難だ。一度ポルトが苦労してとってくれた川魚を食べたが思いの外うまかったことを思い出す。屋台で良い香りを漂わせて焼かれているのを見て吸い寄せられるようにそちらへ向かった。


 市場での買い物はとても興奮する体験だった。

 店では一見の客相手に個人的な深い付き合いを求めるわけもなく、その場限りの交流が可能なのだ。初めての買い物を成功させた後は少し調子に乗っていろんな店の人に話しかけてみた。美味しいものの見分け方など豆知識を教えてもらったり、時にはおまけをしてもらったり、店の人間は一様に愛想が良く、ラバスに親切にしてくれた。

 ラバスは買い物という使命をくれたポルトに感謝した。店員と客という立場は今のラバスにとってこれ以上なく都合の良い関係だ。そんなところまでポルトが気にしてくれていたのかどうかはわからないが、きっと町でしかできない沢山の体験ができるだろうと考えてくれたに違いない。レダの体を奪ったという恨みを押し殺して、ポルトは純粋にラバスのためを思ってくれる。そんな情の深さと公平性は非常に興味深い。我欲の強い地竜にはないものだ。できれば自分もそうありたいと憧れる。


 若い女性には少し注意しながら、ラバスは人間の町というものを心ゆくまで堪能した。

 頼まれたものを全て間違いなく買えたかどうかは若干の不安が残るものの、記憶違いがなければ多分大丈夫だ。名前を言って出てきたものが正解なのかどうか、知らないのでわからないものもいくつかあるが、あとでこれじゃないと怒られないといい。売る物も、買取の値段が適正なのかどうかラバスには判断がつかないが、全て買い取ってもらうことができた。


 日が暮れるまでにはまだ時間がある。与えられた仕事を終えたラバスはそのまま町を探索することにした。あてもなく路地を進み、町並みや人の様子を観察する。ただそれだけだが、ラバスには最高の楽しみだった。遠くから眺めているだけで何十年と楽しめるのだ。その中に自分が入っている興奮といったらない。広い町をただ歩く。夢の中にいるみたいだった。


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